人生: 過去ログ 2009年10月

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過去ログ 2009年10月

※下に行くほど新しい記事です。

2009.10.27(その他もろもろの話より)

Heartsnative

 発売からちょっと経つんだけど、『Heartsnative』がどうにも良くってねえ。音楽としてもいいんだけど、その詞の世界というか物語性がどうにも良くてねえ。
 最初に聴いたときはちょっと心のドアをガバ開きにされすぎてオレはいま冷静を失っている! 己を取り戻せ! とか思ってたんですが、数日たって落ち着いて聴いてもやっぱり骨のズイまでこれ好きだわたまんねえわと思う次第。
 もともとMOSAIC.WAVというユニットが好きなんで「企画盤カバーアルバム」的な印象で買ってたんだけど、いかんですよこれは。初音ミクとの相性良すぎ物語性高すぎ。

 そもそも今回のアルバムアーティスト的存在であるMOSAIC.WAVっていうユニットはまー頭のおかしな電波ソング(ほめことば)とかかなりどうかしてる萌え曲(ほめことば)とか、だいたいメジャーA-Pop界のいかれ最右翼(ほめことば)みたいな立ち位置で有名な気がするんですけど。
 いや、まあ、ほめてます。
 しかるにその詞のセンスは実はすごく見事な言葉遊びであったり「理系のりくつ視点と文系のロマンチシズムの融合」という非常にいい意味での中二病であったり、編曲も明らかに過剰な電子音の重ね打ちや半端にノスタルジックな(つまり'80〜90年代ポップな)音ネタいじりであったり、あと曲は普通にすごくキャッチー。 ぶっちゃけ個人的には替えのきかない唯一無二のユニットなんですが、そこにきてこの1枚ですよ。

 まあ僕の個人的な思い入れがほとばしるところもありますが、ほとばしりのままに書けばボーカロイド(この場合主に初音ミク)という「キャラクター」には独特の物語性というのがあって、彼女は萌えキャラの図像を持っていながら、アニメやマンガや小説といった「人格」を定義するストーリーを持たない、単なるプログラムであるという複雑さを抱えているわけです。(※もちろんそういう「設定」を持たない、単純に楽器/ボーカルとしてボーカロイドを使った楽曲や、逆にボーカロイドを「俳優」として割りきって楽曲世界の演者にした曲もたくさんあります。まあその話はおいておこうや。いまは「人工物の女の子」としての初音ミクの話をしようや)

 まーこの話をすると究極的には「神林長平の『雪風』」という2語におさまっちゃいかねないんですけど、読んでないひとにわかりにくすぎるのでその話はせずに。
 この『Heartsnative』というアルバムで歌われているのは、機械と人間のディスコミニュケーションというか、人間になりきれない「人工物の限界」という哀しさであり、「それでも精一杯近寄ろうとする愛」という、限りなくロマンチックな物語なんですよ。こういうの好きだともう堪らないわけですよ。

 たとえばtr.4『server error』で歌われるのは絶望的なデジタルの断絶だと僕は思うんですが。
 アナログ同士(要するに人間)だとなあなあでまあ色々こじれても会おうと思えば会えるわけですよ。ところがデジタルのキャラクターであるミクの場合、サーバーエラーが返ってきたらもうマン=マシン・インターフェースが一切なくなるわけで、「君(キミ)」である人間には絶対に会えないわけですよ。
 0 (false) の壁に遮られたらもうどんなに頑張っても接続されないというデジタルの哀しさを、それをこの曲はよりによってクリスマスというアナログな概念に託して歌うという、ああもう聴きながら書いてて泣けるわ。僕はもうこういうのに弱くてねえ。あとドラムンベース風の編曲がテクノっ子だ。

 逆にtr.2『***にできたかな』やtr.6『HATSUNEtive』はそういう哀しみをバックグラウンドに持ちつつ、そんな壁なんかぶち壊す勢いで幸せになるという暴力的ポジティブな曲になってます。そんな愛ゆえの暴力的ポジティブさって、もうつまるところ「青春」ですよ。電子の青春なんて、もう詩でしょうこれは。

 tr.5『キミは何テラバイト?』は原曲がもともとボーカロイドのためにあるような歌なんだけど、いやもうそりゃこれを初音ミクが歌えばサマにもなるわ!
 人間のすべてを機械の視点からしか捉えることができなくて、そのこと自体にも機械的な概念でしか自覚のない主人公の歌なんですけど、ええと抽象的すぎてわかりづらいですか。
 つまりこの詞の中のミクは「わかってない」んですよ。「ボクは内蔵80GB / キミは何テラバイト?」と歌う「ボク」は、人間である「キミ」がバイト数で表現できない概念だと理解してないわけで。そのズレを理解しないまま、それでも「キミ」が好きなんですね。なにこの切ないイノセンス。
 またメロディもそういうイノセンスさを強調する美しいメロディで、この原曲はまあ当然ボーカロイドに歌ってほしいよね。
 という安易な発想をひっくり返すようにボーカロイド6体のアカペラ(!)で始まるんですよこのカバーバージョン。なに穢れのない電子ボイスで歌ってんの、泣かす気か! オレをそんなに泣かしたいのか!

 そういうのひとことで言えば「健気」っていうんですかね。
 実際ボーカロイドに限らなくても、プログラムされたロジックのままに文字通り「無心」に電池切れになるまで人のために稼働し続ける機械って、見てて泣けるじゃないですか。
 『みんなみくみくにしてあげる♪』は元々原曲の時点でそういう健気な詞だったし、それでいて明るい曲がまたかえって健気で泣けるとこもあったわけです。
 ところが今回のカバーで追加された新サビがまた明るい元気ないいメロディで、原曲を知ってるだけにそこが泣けるんですね。バックトラックもMOSAIC.WAV流の、ピコピコサウンドをブ厚く重ねまくって聴けば聴くほど味の出る音でこれも「らしい」感じでいいわあ。

 tr.3『電気の恋人』もカバー曲。これは今までの視点とは逆に、機械文明の明るい面を人間のロマンチシズムから歌った曲です。
 人間側から機械への想いを楽天的なまでにストレートに歌にしていて、それを今回歌うのが人間み〜こ(MOSAIC.WAVのボーカル)&ボーカロイド初音ミクという、「噛み合わない」2者で歌うところが、こう、泣けるわけですよ。キカイと人間が幸せに共存するミライを音楽として表現していて、泣かされるわけですよ。泣いてばっかりかオレは。

 その延長線上かもしれないんだけど、ラストトラックtr.7『Mimic me.』はもうそういうの超越した幸せな曲。
 歌詞にはここまで背景にあったボーカロイドの非人間性はほとんど登場しないのね。無垢性がかすかに匂わされたり、テクニカルな言葉遊びが入る程度。
 そのかわり、音階に狂いがない機械のボーカロイドだからできる「98人分のハーモニー」という大技で歌ってるんですよこの曲。それと人間2人分で合わせて100人。それ使って壮大で幸せなメロディを奏でるのね。
 人間とボーカロイドの幸せな共存を音楽性そのもので表現してて、ここまで語られてきたボーカロイドの物語の最高のグランドフィナーレなんですよ。トータルアルバムだったのか、そういやこうやって考えると。

 いやあとにかくね、買っといて正解だったというか、歌詞カード読みながら高音質で聴けてよかったっていう感じですよ。こんないい物語ちょっとないわ。

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