2006.01.18(映画の話より)
そう悪くはねえぜ
ものにはたいてい「楽しみ方」というやつがある。それを知らずにものを見るのは不幸だし、間違った楽しみ方を前提にものを見てしまうのはもっと不幸だと思う。たとえば『ファイナルファンタジー』シリーズを「RPG」の昔ながらの解釈にしたがって「主人公に自分を投影して遊ぶもの」として遊んだらそりゃ多分つまんないだろう。むしろよくわからなくなるだろう。
たとえば西部劇というジャンルは基本的に「男のかっこ良さ」を表現することが第一義であって、いかにかっこいい映像があるか、いかにかっこいい行動をとるか、いかにかっこいい銃の撃ち方をするか、そういったことさえクリアーしていればあとはストーリーとか娯楽性とかは瑣末ごとであって、本来どうでもいいのである。ここのところが日本ではあまり理解されてなく、西部劇というととかく退屈というイメージがあるように思うのだが、どうだろう。
まあそんなことはどうでもよく(意外な展開)、僕が前から思っていた「一般的にダメだと言われてるけど楽しみ方によっては結構いけるぜ映画」を3つ挙げてみたい。思いつきで。
『アンブレイカブル』
前作『シックス・センス』で一躍スターダムにのし上がったシャマラン監督が一躍スターダムから飛び降りたと評判のアレ映画。だけど実はこの映画、アメコミをある程度読んでるとものすごくおもしろいんですよ。ていうかこの映画がアメコミなんですよ(←意味がわからない)。えーと、つまりCGアニメ映画の『Mr.インクレディブル』って別にアメコミ原作じゃないけどでも確実にアメコミじゃない? そういう意味でアンブレイカブルもやっぱりアメコミなのです。
アメコミ界隈では俗にヒーロー誕生物語を「オリジン・ストーリー」と言ったりします。アメコミでは同じタイトル・同じヒーローでもたびたび回想とか2代目にバトンタッチとか前やったアレは時空のゆがみ等の理由でなかったことにとか(本当にある)、そういう理由でオリジン・ストーリーが結構ひんぱんに出てくるんですな。加えてオリジン・ストーリーは「一番最初の話」なので伏線とか気にせずキレイに完結した話を描けるという利点もあって、良作が多いのも特徴なのです。そんな理由でアメコミ界ではオリジン・ストーリーは一種特別な存在なのです。
で、アンブレイカブル。
この映画はまさしくアメコミのオリジン・ストーリーの手法にのっとって非常にていねいにヒーローの誕生を描いていて、正直僕はアメコミ物映画ではライミ監督版『スパイダーマン』に並ぶ傑作だと思ってますよ本気で。ラストなんか「なるほどそうだよそこを描かないとアメコミじゃねえよな!」と思わずヒザを打つ展開。
いまいちというか強烈に地味な主人公の能力やコスチュームも、オリジン・ストーリーの金字塔『BATMAN: YEAR ONE』ばりの渋いやりくちと思って見るとこれまた納得。というか昨今のアメコミ界には「やっぱりあのコスチュームはねえよなあ。マントとか」という時代の空気があり、なんとか地味な方向性を模索しているところ大なのです(そればっかりじゃないけど)。
そういう理由で全体の作風もサスペンス調というかスリラー調になってるのですが(ここなんかも「おっ、アラン・ムーア調だね」とか「フランク・ミラーを意識したかな?」とかニヤニヤできるところ)、アメコミ文化のない日本ではそのまんまサスペンスかスリラーだ的にとらえられてしまった上にあの『シックス・センス』みたいな衝撃が!と余計な期待までされちゃって可哀想なことに。いや本当にアメリカではわりと評判いいみたいよこの映画(参考:IMDbのユーザー評価)。
ついでにもうひとこと加えるなら、「アンブレイカブル」というタイトルも日本ではUN・BREAK=壊れない男という一点のみでとらえられがちですが、実は英語のunbreakableには「馴らしがたい」という意味もあって、主人公が自分の境遇を受け入れようとしない姿のダブルミーニングになってたりもします。このニュアンスが伝わってればまた評価も変わってたのかなあ、とか。
『ラスト・アクション・ヒーロー』
主役をつとめたシュワルツェネッガー本人が「やんなきゃよかった」と大いに認めてしまうほどに大コケした映画。とは言うけれど、いやこの映画普通に面白くねえ? と当時から首をかしげることしきりだった僕ですが、どうも「シュワルツェネッガー主演のスーパーアクション映画」と思って観る人が多かったらしく、まあそりゃガッカリするだろうな。
タイトルになまじ「アクションヒーロー」なんてついてるから勘違いしがちですが、この映画は「映画のパロディ / オマージュ」として観るとすごく楽しめる。つうかそう思って観るのがむしろ正解では?
映画の世界(どんなだ)からやってきたヒーローが現実世界で大活躍というプロットですが、この映画と現実のギャップに翻弄される姿がすげえ面白い。映画の数々のお約束をそんなわけねえじゃんとばかりに「映画の中で」否定する、この矛盾した構造と徹底して出まくるお約束の数々が、もう観ててあーあるある映画ってこういうのあるよとクスクス笑えて楽しい。まさに映画LOVEな映画、こいつは言ってみればニューシネマを90年代軽薄アクションに置き換えた『ニューシネマ・パラダイス』だよ! ごめんちょっと言いすぎた。
そんなわけであのタイトルもずばりこの映画はアクションヒーローという存在をちゃかした映画なんですよという意味だったんだろうけど、まあ実際伝わりづらくはあるかも。
『ポストマン』
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でオスカーを総ナメにしたケビン・コスナー監督主演作! 今度はラジー賞を総ナメだ! ってな感じで1998年ラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞:俗に言う「最低映画賞」)を5部門受賞しちゃった問題作。……いやまあ、これに関しちゃラジー賞もあるだろうなっていう感じの映画としてムチャクチャな展開の早さと要所要所(だけ)でなぜか異常に壮大になる映像と音楽、そしてあるんだかないんだかよくわからないメッセージ性、とダメな要素を大量に持った映画ですよ実際。
しかしちょっと待たれよ諸君まあ聞け。監督としてのケビン・コスナーはもともとこういう人なのです! ……あーいや、ダメな監督って意味じゃなくてですね。
いちばん最初の方で言ったでしょ西部劇とは娯楽作ではなく「かっこいいを楽しむ映画」なのだと。それを思い出していただきたい。そう、コスナー監督は西部劇監督なのです! マジで。
君も『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を観たか! 僕も観た! あれ単体で観るとお腹一杯の大感動な名作ですが、実はコスナー監督的にはあれは「単に西部劇を撮ったらついでに名作がついてきた」的なものなのです。コスナー監督がこれ読んだら怒ると思う。
えーとこのあたり文脈を読まないとわかりづらいんだけど、実はコスナー監督作品って『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『ポストマン』『ワイルド・レンジ』と西部の香りあふるる映画ばっかり撮ってるんですよ。ワイルド・レンジは事実西部劇だし、ダンス・ウィズ・ウルブズも変形西部劇、ポストマンはもっと変形した西部劇。
そうして西部劇の視点で観るとこの映画、猛烈にかっこいい映像、猛烈にかっこいい音楽、猛烈にかっこいい男の生きざま、それらを余す所なく描いているから他のことはどうだっていいのです。視聴者は何も考えず「かっこいい!」とよだれをたらしてればよいのです。その意味西部劇も大好きな僕としてはもうマジ合格点ですわ本当に。
ついでに言えば、この映画の欠点のひとつである変に早いテンポ。これもコスナー監督作品の文脈を読んでいくとなんとなく合点がいくところだったりします。
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の一般公開バージョンとディレクターズ・カット版と両方見た人にはわかるでしょうが、アレ一般公開バージョンはものすごく早いテンポに切り刻みまくってるんですね。それでも3時間超の映画になっちゃうってのもすごい話ですが、コスナー監督が本当に撮りたかったディレクターズ・カット版観てみたらもうテンポ遅いのなんの。寝る人とか確実に出るぜ?ってくらい、必要以上にじっくり撮ってるんですよ本当はアレ。
ところがそれをぶった切った一般公開バージョンが大ヒット。コスナー監督思ったねこの時。「あーやっぱテンポ早くないとダメかー」 本当に思ったかどうかは知りませんが、少なからずポストマンに影響を与えてることは想像にかたくありますまい。ちなみにその次の監督作『ワイルド・レンジ』ではちょうどいい感じのテンポになってました。泣かせる話だ。