人生: シルバー事件(まとめ読み)

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シルバー事件(まとめ読み)

プレイステーション用

※下に行くほど新しい記事です。


目次から...

2005.07.26(シルバー事件より)

シルバー事件をさがして

 やっと届いた!
 通販で買った『シルバー事件』のことですよ。中古なのに定価より高いっつうプレミアぶりをいかんなく発揮してましたが、まあその中では比較的安い方だったのでよしとしよう。そんなことより『シルバー事件』だ。

 もとはと言えばこのゲームの発売が1999年。うわ、6年も前のゲームだったのか。あの時もたしかにちょっと気になるゲームではあったけど、そのどうにもキャッチーさに欠ける、なんつうかヘタな人は無視して置いてきますよ的ないかにも上級者向け的画面にいささか引いてしまい、結局買わずに放っておいたのだった。そう、あれはあまりにも暑い夏の日のことだった──。ごめん適当書いた。夏だっけ?
 とにかくそれから時は流れ、2001年。販売元を『シルバー事件』のアスキーからビクター・インタラクティブ・ソフトウエアに移したグラスホッパー・マニファクチュアの新作『花と太陽と雨と』が発売になる。ちなみにこの時はかなり買う気でいたものの手持ちがない的な理由でほっといたらいつの間にか店頭の目立つ所から姿を消していて記憶からも忘れ去られるという悲劇を経験している。僕が。そう、あれはあまりにも暑い夏の日のことだった──。←こう書けば何でもまとまると思っている
 そして2005年。ついに、あ、途中発売された『michigan』はちょっと筋が違うんでおいといて、2005年ついに『Killer7』発売。発売元は今度はカプコンである。ところで関係ないが、なぜかいま唐突に「沈みかけた船から逃げるネズミ」の話を思い出したが、あくまでもこの件とは関係ない。
 キラー7がやたらめっぽう面白くて、すっかり夢中になった僕はキラー7を終えるとともに速攻で『花と太陽と雨と』を購入したのだった。申し訳ないが中古で。ちょうど近所の店にあったので。
 それで『花と太陽と雨と』からも遊んでる最中に面白オーラが確実に発散されていたので、このさいだから今のうちに『シルバー事件』も買っとこうと思った2005年、夏。恋をした。Oh 君に夢中。←ひねりを加えて『夏の日の1999』っぽくしてみたらどうしようもなくなってしまった
 新品どころか中古屋ですらぜんぜん見つからない品薄ぶり。いやそりゃまあ初代プレステだしねえ、とか思うものの遊びたい思いはいかんともしがたく、結局プレミア価格で通販購入したのだった。そう、あれはあまりにも暑い夏の日のことだった──。お、今度はちゃんと季節感あってる。
 そんなこんなしてる間に遊んでた『花と太陽と雨と』も佳境に入り、これはどう見ても前作にあたる『シルバー事件』に関連性があるだろうという場面に幾度となくぶつかり、ああこんなことなら先にプレミア価格でもなんでもシルバー事件から遊んどくんだったと思ったもののいまだメール便は届かない。『花と太陽と雨と』が終わったその次の日、ようやくシルバー事件は家に届いたのだった。夏の日のことだった。←やや省略

 で、さっそく開封。そしてとりあえず取扱説明書を読む。ああ! あんのじょう操作系がなんか特殊だ。思えばこういうところに引いて買わずにいたんだった。痛恨事ではあるが、こういうキャッチーさに欠けるインターフェイスで世に送り出す方にも問題はあると思う(いささか恨みごと)。
 まあそのへんはおいおい憶えることにして、そんなことよりもキャラクター紹介だ。またこの説明書、やたらと登場キャラクターがたくさん載ってるんだけど、さておきまず大事なのは名前だ。──お、知ってる名前がある! 『花と太陽と雨と』に出てきた名前だよこれ! 順序が逆なのはわかってるけど、しょうがないじゃないか。おお、この人が『花と太陽と雨と』ではああなるのか。……これ、ある意味じゃ僕にとっては『シルバー事件』のネタバレ?
 し、しまった! 僕はこのキャラクターについていささかの情報を知ってしまっている!
 これをゲーム遊んでない人向けにたとえで表わすと(←うざい)、連作シリーズの推理小説の2作目を最初に読んでしまったようなものだ。その2作目の中に「彼はあの忌まわしい事件で恋人を失う事となったのだった」とか書いてあったとする。そして2作目が面白かったってんで1作目から読んでみたら、その彼の恋人と言えるキャラがまるで死ぬ気配もなく元気に登場したとしよう。し、しまった! 君だってそう思うだろう。このキャラ、じき何らかの忌まわしい事件に巻き込まれて死ぬよ! 知っちゃったよ、おい!
 そういう具合の、いや別に死ぬとかそういう話はたとえなんですが、とにかく『シルバー事件』で起きるであろういくつかの事態を僕は既に知ってしまっているのだった。ああ、こんなことなら先にプレミア価格でもなんでもシルバー事件から遊んどくんだった。
 後悔先に立たずである。人はときにあやまちを繰り返すのである。語感がいいから言ってみたが文意と合っていないのである。

 とにかくそんな感じで少々残念に思いながらも、とにかく遊んでみることにした。
 あ、今日は説明書読むだけで終わりました。

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2005.07.27(シルバー事件より)

名前入力

 前回は説明書を読んだところで1日が充実してしまいすべてを終えてしまったので、今度こそゲームを始めよう。

 プレステ2にCDをセットして、メモリーカードもプレステ2用から初代プレステ用の灰色のに差し替えて、さあ遊ぶ準備は万全である。
 読み込みを「高速」にすべきか否かでかなり迷ったものの、とりあえずノーマルで遊んで我慢できないくらい遅かったら変えてみようということに決めてゲーム読み込み開始。
 初代プレステのメーカーロゴに懐かしさを感じつつ、さすがに6年前のゲームともなるとオープニングムービーの演出の手法が古臭いなーとか、いや当時はかなりいかしてたんだろうけど、とか、さすがに思ったりもした。
 そしてゲームスタート。名前入力画面である。
 え? 入力すんの?
 珍しいじゃないか。もはやグラスホッパー・マニファクチュア(*1)製のゲームを立て続けに遊んですっかり半可通の僕に言わせれば(←すごい説得力のなさ)、ここのゲームでプレイヤーの名前入力するのってやけに珍しいことである。何か特別な意味があるのかと勘ぐってしまうところである。
 真面目な話、どんな名前を入力したものか悩んだ。そもそもこれはゲーム一般の「プレイヤーキャラの名前」入力画面なのかそれとも「プレイヤー本人の名前」を入れる場面なのか、はたまた「セーブデータを区別するためのID」を確認しているのかというレベルからまず悩んだ。世間一般では、そういうときは普通に自分の名前入れればいいじゃんという共通見解があるかもしれないが、僕は「アレフガルドの勇者の名前に『まさお』はねえじゃん」という思想の持ち主なのだ。全国のまさおさんに他意は無い。
 こういう時は観察だ。入力欄を見る限り、4文字限定である。少なくとも、姓か名前かどっちかしか入らないのだろう。次に入力用の文字を見てみると、カーソルがデフォルトで数字を指している。これは、やはり名前というよりIDを入れろということだろうか。てきとうに自分の誕生日とか入れちゃってOKなんだろうか。いやでも「Name Entry」って書いてあるしなあ。
 問題は僕の本名にもある。僕の姓はいかにもありふれていて、ドラマチックさに欠けるのだ。ご先祖様に罪はないが、このゲームに登場する「クサビ」とか「ナカテガワ」姓の中にあって僕の名字はいかにも押し出しに欠ける気がするのだ。そのぐらい素な名字なのだ。かといって名前はといえば、今度はゴッドファーザーが頑張っちゃった結果、すごくドラマチックでこれはこれでゲームから浮くような気がする名前だ。いや、そもそもこの入力画面には姓を入れればいいのか名を入れればいいのか。こうなったら細木数子先生にお願いするというのはどうだろう。どうだろうも何もそれだけは死んでもいやだけど。
 結局いろいろ考えた結果、「スギウラ」にしました。ハンドルネームである。熟考と妥協の産物である。もしこれで入力すべきが名前の方だった時にはリセットしてやり直す覚悟である。

 結局、主人公の名字がここで入れた名前になることが数分後に明らかになって僕は安堵のため息をつくことになるのだが、その数瞬前に「スギウラ」という人物名が初めて出た時、素で自分が入れた名前だと忘れてたっていうのは秘密だ。

 本当はこの後ちゃんとゲームもしましたが、例によって長くなりすぎたので次回に続きます。名前入れるだけでこの騒ぎか。

*1 グラスホッパー・マニファクチュア

「GHM」と略す場合が多いのだけど、僕はよほど連呼する場合以外は、略する気が起きない。だって初めて見た人にはGHMたって、なんのことだかわからないじゃないか。

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2005.07.28(シルバー事件より)

画面は踊る

 やられた。
 まさかこんなに「技」にあふれたゲームだったとは。
 正直に言えばこのゲーム遊ぶ前は、画面写真を見てなんとなく地味なゲームなんだろうと思っていた。画面は暗く黒一色で、その上に小さなウィンドウがぽつりぽつりと置かれている。ウィンドウはどれも四角形を基調とした遊びのないデザインで、メッセージウィンドウもこれまた黒地に長体のかかった文字。かといって落ち着いたデザインかと言えばそうでもなく、どっちかっていうとウィンドウがあちこちに散らばっててどこがメインなのかもよく分からない。総じてこれほどキャッチーさに欠けるゲーム画面もそうそうあるまい。
 と、思ってたら全然違ってた。
 うわ何この発明。
 百聞は一見に如かず。ゲーム始まってすぐのあたりの動画をキャプチャーしたので、このゲーム遊んだことない人はまずはこちらを見てほしい。強烈にサイズを小さくしてるので画面が汚い上に動きがカクカクで音も消してますが、雰囲気はだいたい伝わると思う。

アスキー/グラスホッパー・マニュファクチュア『シルバー事件』より
 動画で観てはじめてこの画面の魅力がわかった。思えば『キラー7』もそういうところがあったけれど。
 要するにこのゲーム、画面中すべての要素が「動く」のだ。普通のアドベンチャーゲーム的なこの位置はメッセージウィンドウ、この位置はグラフィックとか、そういう発想で見ることが間違ってたのだ。
 かといってただにぎやかしに動いてるわけではなく、基本的には「その時注目すべき場所」が動くようになっている。つまりプレイヤー的には、動いた要素に目をやればいいという大変シンプルで明快なインターフェイスになっているのだ。まあ、ある程度の動体視力は必要になりそうだけど。
 そしてこの「動き」がちゃんとゲームの演出として成立してるというのも大事なところだ。たとえば緊張感が上がってく場面なんかだと、はじめは画面の一要素でしかなかった「顔ウィンドウ」が徐々に他のウィンドウを押しのけて画面の中心になっていく。これを見ているプレイヤーにとっては「他のものが見えなくなっていく」状況で、自然に緊張感を感じるようになっているのだ。背景で明滅する水色の英単語も、一見無意味に明滅しているだけのように見えて実は場面の雰囲気に合わせて出現・消失のテンポを変えている。演出のために計算し尽くされた画面表現、と言っていいだろう。ずいぶん真面目なことばっかり言書いちゃいましたが。
 近いところだと『行殺 新選組』なんかは、顔ウィンドウの動きでキャラの動きや掛け合いを表現したりしてましたが(キャラAがキャラBを殴る時、キャラAの顔ウィンドウがキャラBの顔ウィンドウに向かって突進したり)、ここまで縦横無尽に画面要素全てを駆使した演出というのは僕の記憶にはない。
 これ実際すごい発明だったと思うんだけど、まったく後に続くゲームが出てこなかったのは、たぶん革新的すぎてそのまま使うとパクリになってしまうっていうのと、あとたぶん静止画で見ると全然すごさがわからないっつうかむしろ引くっていうのが理由なんでしょうな。もったいない。

 あ、ちなみにゲームの方はチュートリアルを兼ねたイントロダクションを終えたところです。これからいよいよゲームは本題に入るのだろうか。

*1 

Windowsで再生するにはQuickTimeが必要です(すでに入っていれば問題なし)。
Get QuickTime
わざわざインストールするのも面倒な話ですが、無料だし今後いろんなコンテンツ観るのに損はしないんじゃない? 多分。

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2005.07.29(シルバー事件より)

これまでのあらすじ

 そういえばまだこのゲームがどんな内容だったかひとことも書いてなかった。
 4日目にして初めてゲームの内容に踏み込むゲーム日記というのも画期的だ。ほめたたえるがよかろう(罪悪感)。

 と、言ったものの正直まだ先が見えないというか全体像が分からないというか。とりあえずいま目に見えていることだけを書けば、ある猟奇殺人犯を追っているところである。刑事物である。関係ないが僕は『「太陽にほえろ」のテーマ』とテクノミュージック初期の楽曲『POPCORN』がしばしばごっちゃになるのだが、僕だけだろうか? これだけ思ったことを何の推敲もせずにそのまま書くと、さすがに気が引けてくるものですね。
 刑事物ではあるが、それこそ『太陽にほえろ』から『ビバリーヒルズ・コップ』まで様々なのでひとくくりにするには早すぎるだろう。えーと、簡単に言えば、近未来もの。だいたいロボコップと同じくらい近未来。このたとえもちょっとどうかとは思う。だいいちこのゲームの舞台は20世紀末だし。
 主人公(?)スギウラは公安警察部に属する特殊部隊の一員である。特殊部隊なんで聞き込みとか家宅捜索とかはあんまりしない。仕事としては重犯罪人の確保あるいは処理である。
 このへんの描写がなかなか面白くて、ええとこれシナリオというよりシステムにまつわる話なんでぼかさず普通に書きますが、まさに近未来の特殊部隊だけあってデジタル化が進んでて格好いい。
 現代でも最前線なんかでは軍事衛星レベルで敵地のデータを分析した上で司令部が兵士1人1人の位置を常時把握してシステマティックに指示を出していく、なんつうかハイテク戦化しつつあるとかなんとかですが(あいまい知識発動)、このゲームはそういうノリで凶悪犯罪者を追うシステムとなっております。イメージとしては映画『ブラックホーク・ダウン』の調子が良かった頃とか、アニメ『ガサラキ』の最初の2話ぐらいとか、そのへんを思い出していただければゲームやってない人には分かりやすいかと思いますが、そのたとえ自体がいまひとつわかりづらくないか。
 まあ数歩歩くたびに無線連絡でチームの位置関係を把握しつつ(無線連絡が入る時にはもちろん「ガガッ」てノイズが入る)、司令部の指示に従って犯人の「位置」に向かっていくわけですよ簡単に言えば。そんなこんなで凶悪犯罪者を追いつめた我ら特殊部隊。が、そこに!
 てな具合で事態は急転直下。意外に早くゲームは特殊部隊のワクから外れて、司令部の指示もない単騎行動をせざるをえない状況に。いわゆる刑事部にあたる「24署凶悪犯罪課」の今にもジーパンとかマイコンとかのニックネームがつきそうな面々もバーンと顔見せして、もはや刑事物にならんとする勢いである。これから一体どうなるんだろうか。個人的には特殊部隊員のキルマシーンとして行動するのも雰囲気があって好きだったんですが。
 そんなこんなでポリゴン3Dの中を東西南北に進みつつ、時々現われる顔アイコンに話しかけたり要所要所でパズル的な暗号を解いたりして操作は進むのである。いまのは「操作」と「捜査」のかけことばだったのだが、こんなことなら言わなきゃよかったと後悔している。

 ちなみに現在の進行状況は、例の凶悪犯罪者の生い立ちが明らかになったところです。これから話はどう進むんだろうか。

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2005.07.30(シルバー事件より)

流れ

 「流れ」と書くと同時に虎眼流(*1)を連想するようでは、社会生活に支障が出かねない(自省)。

 それはそれとして流れの話である。虎眼流のことは頼むから忘れてください(土下座)。
 前回まででプロローグからいわゆる第1話にあたる話までを終え、普通ならいいかげんゲームの流れが十分つかめる頃合いであるが、しかしこのゲームを作っているのはグラスホッパー・マニファクチュアだ。ゆめゆめ油断してはならないのがグラスホッパー製ゲームである。
 今日も今日とて電源を入れてロードしてみると、なんか様子がおかしい。
 世間一般のゲームでもよくある「シナリオ選択画面」(最新のシナリオから始めるか、それとも過去のシナリオを遊び直すか選ぶ)的な画面なのだが、こいつが奇妙である。
 左ボタンを押すと第2話が選べる。これはいい。昨日第1話を終わったところでセーブしてやめたんだからごく普通の話だ。しかし、右ボタンを押すとまた別の「第1話」が選べてしまうのだ。「第1話」ではあるけど昨日遊んだ「第1話」とはタイトルが違うのだ。
 そこでとにかく疑問解決のために選択してみたところ、一種外伝的な、前回のストーリーを別の角度から見たストーリーだった。ゲーム的な遊び要素は希少で、ほとんどボタン連打みたいなノリでどんどん先に進んでくんで、まあいわばインターミッションみたいなもんなんですかね。
 比較的早めに終わったんで、今度は第2話を遊ぶことにする。ええと、ややこしいなこれ。
 このさいゲーム中の表現をそのまま使うと、「本編」にあたるシリーズが「transmitter」。「外伝」にあたるのが「placebo」と名付けられている。昨日遊んだのがtransmitterの第1話で、さっき遊び終わったのはplaceboの第1話。今度はtransmitterの第2話である。書いてていっそうごっちゃになってきたが、みんなついてこれてるのだろうか。
 さて、今度のtransmitterは?
 スギウラ(劇中人物)です。最近周囲に流されがちな人生を送っていますが、皆さんはいかがおすごしでしょうか。次回は「スギウラと男の子」「クサビの張り込みはつらいよ」「イセリナ、恋のあと」の3本です。
 また来週も見てくださいね。とか言ってるとそろそろ読んでる人も我慢の限界であろう。だいたい「イセリナ、恋のあと」はシルバー事件に何の関係もない機動戦士ガンダム第11話のタイトルじゃないか。

 とにかく第2話はこうして終わったのだった(説明にならず)。
 前回の流れをくんで例の凶悪猟奇犯罪者がまた何か事件を巻き起こすのかと思いきや、まったく別の事件に駆り出されるのだった。謎の転落死事件、そして事件現場で見た謎の少年、そして現場のマンションに住む謎の住人! 「謎」以外のボキャブラリーがないのか僕には。
 まあそんな感じで、第1話がサイコミステリー風味だったのに対し今度はやけに刑事物っぽい話でした。おそらくこうしてエピソードごとに趣向が変わっていくのだろう。『キラー7』も『花と太陽と雨と』もそんな感じだったし。
 だからといって油断していると全然予想してたのと話が違うってなるのがグラスホッパー・マニファクチュア製ゲームの恐ろしいところなのだが。placeboの第2話ははたしてどうなるのか。まだ事件は予断を許さないのだ(がんばって刑事物っぽくまとめてみました)。

*1 虎眼流

『シグルイ』より。「流れ」は虎眼流中目録以上の秘伝である。だからといって世間一般ではそんな意味ではない。

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2005.07.31(シルバー事件より)

トランスミッター・プラシーボ

 いまのところ1日に2話というか、1日に"transmitter"を1話と"placebo"を1話というペースで進んでいる(くわしくは前回参照)。
 どうやら本編にあたるtransmitterでは中心人物の1人として事件に関わる一方、外伝のplaceboでは無関係な第三者の視点で事件を捉え直すという構造になっているようだ。いやグラスホッパー・マニファクチュア製ゲームだからこの構造がいつまで続くかわからないんですけどね。とりあえずここまではそうだった。
 ちなみに現在の進行状況は第3話。具体性をもたせずにいえば、残酷で悲しいおとぎ話にまつわるエピソードだった。そう、あれ。まったく、遊んだあとになんとも言えない気分にされたものだ。
 そもそも昨日第2話を終えて、さあ今日はどんな変化球を投げてくんのかと思ったらこれが素な意味で変化球というか、ゲームの「画風」からしていきなり違ってるんですが。ど、どこの作者多忙につきアシスタントが物凄く頑張ったマンガだよあんた!←いまどき無いたとえ
 まあ『キラー7』でアニメムービーパートが出るたびに絵柄がいちいち違ってた時点で予想できてしかるべきだったのかもしれないけど、まさかアドベンチャーゲームのグラフィックがエピソードによって絵柄を変えてくるとは想像してなかった。
 あと微妙に話はずれるが、クサビさん(太陽にほえろにおけるゴリさん的存在)の顔グラフィックが同じエピソードの中でさえまったく安定しないのはさすがにどうかと思う。原画家の間の意思統一がうまくいっていなかったのだろうか。それか、まあいいか的発想の所産だろうか。
 ともかくそんな一味違うクールテイストな絵柄の中、事件は序盤の地味な展開から一転、大事件へと発展(ややライムに乗った文章)。前回の刑事物とはまた差をつける松本清張ばりの社会派ミステリーっぽいノリ(*1)になってきておいおいこれどうなんのよと思ったら、この名前は……? よもや! え、ええー! 本当にそう来るの! とか思ってる間に"transmitter"第3話完。ひでえ、ぶつ切りエンドか! と思ったところで"placebo"を遊ぶとちゃんと第三者視点で事件の構造が補完されるというシステムでございました。なるほど。

 このtransmitterとplaceboの関係は、ゲームというよりミステリのシステムとして良くできたシステムだと思う。
 transmitterで主観的に(つまりは断片的に)見た事件を、placeboでは客観的視点で解体して意味の通る形につなげ直す。情動で動いていたtransmitterの物語を、placeboは冷たいほどに淡々と整理していく。
 で、いったんtransmitterを終えたあとにplaceboでストーリーを組み立て直されると、一度経験したtransmitterの物語性がより深く見えてくるっつう構造なんですよ。簡単にいえば、transmitterの間ずっと「人の気も知らない」状態で遊んでるんだけど(ほら主観視点だから)、placeboで整理されることで「ああ、あの時あの人はああいうことを考えていたんだ」と思い返すことになるってなわけで。たぶんtransmitterがちゃんと謎を解いたりフラグを立てたり「ゲーム」として成立してるのに対して、placeboがほとんどボタン連打的なゲーム性を放棄した内容になってるのも、意図的なものなんだろう。
 そういうわけでplaceboを終えた頃にはtransmitterに再び思いをはせ、しみじみとした余韻とともにゲームを終えられるのです。

 こんな小難しいことを並べて何を言いたいのかっていうと、transmitterを終えたらplaceboも遊ばないと1エピソードを終えた気にならないっていうことなんですよ。おかげで一度ゲーム始めたらなかなか終わらなくて大変なんだ本当に。

*1 松本清張ばりの社会派ミステリーっぽいノリ

読んだことないのに適当ばかり言うのは良くないことだとさすがに思います。

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2005.08.01(シルバー事件より)

スギウラよ、お前はどこにいた

 今日も例によって"transmitter"と"placebo"を1話ずつ終えて、簡単にいうとネットワークっていうのは、アレよねー、みたいな話だったんだけど(こんなにも人のやる気をそぐ紹介のしかたがあるのだろうか)、そんなことはさておき長い前置きを始めようか。

 「しゃべらないプレイヤーキャラ」というものをどう解釈するか、意外と人によってそれはバラバラである。
 いちばん有名な例で言うと、ドラクエの主人公はしゃべらない(*1)。クレイジー・D(ダイアモンド)は砕けないそうだが、ドラクエの主人公はしゃべらない。←書くんじゃなかった。
 ある種のプレイヤーはこの主人公を「ぜんぜんしゃべらない人」と認識しているそうだ。なんか話しかけられてもじっと黙っている。うなずいたり首を振ったりはするかもしれないが、声は出さない。彼がしゃべるのは「はい」とか「いいえ」とか「みんながんばれ」とか、ゲーム中にちゃんと明示されるコマンドだけである。
 またある種のプレイヤーにとってはこの主人公はプレイヤー本人であって、プレイヤーが思ったことがイコール主人公のセリフ(あるいは思考)になるという。村人に気に障るセリフを言われて「うっさい」と思ったら、それは主人公が「うっさい」と言ってる(少なくとも思っている)ことになるのだ。
 そしてある種のプレイヤーは、主人公が主人公らしいセリフを喋っていると想像する。なんつうのいわゆる脳内設定つうやつを多かれ少なかれ構築し、その性格に合わせたセリフを喋っていることにする。村人のセリフでムカついても、設定上の主人公が柔和な性格であれば笑って許しているところを想像し、そんな感じのセリフを脳裏に描くのだ。
 白状すると、いちばん最後の「設定に合わせたセリフを想像型」である僕にとって、「プレイヤー=主人公型」はまだしも、最初の「ぜんぜんしゃべらない型」解釈の存在はかなり衝撃的だった。そんな考え方があるとは思いもしなかったのだ。良い悪いじゃなく、単純に驚いた。まさかって思った。今はもう慣れましたが。
 思うに、これはある種の世代論になるんじゃないだろうか。ゲームに出てくる主人公とのファーストコンタクトがなんだったかでけっこうその後の主人公観が変わってきたりはしないか。
 たとえば『ファイナルファンタジー』というゲームがある。このシリーズでうかつに「プレイヤー=主人公型」とか「設定に合わせたセリフを想像型」で遊ぶと、そりゃゲームが目茶苦茶になることだろう。自分の思い通りに喋ってるのを想像してたら一転、思いもよらないセリフをゲーム中で喋り出すことになるんだから。あ、『1』と『XI』を除いた話ですけど。そういうのに慣れたプレイヤーは、他のゲームでも同様のルールを適用しがちなのではないのか。そういうもんでもないのか(弱気)。そういう流れでドラクエも「ぜんぜんしゃべらない型」で遊んでるってことはないだろうか。
 ドラクエはこの点けっこうスタンスがあいまいで、実際どのスタイルで遊んでもそれなりに通用するようにできている。とは言え、作り手側の意識としては「プレイヤー=主人公型」を中心に作っているように見える(特に初期3部作にその傾向は強い)。このあたりのゲームに親しんでると、他の主人公がしゃべらないゲームでもやっぱり「プレイヤー=主人公型」になりがちだったりしないだろうか。誰に聞いたわけでもないので想像だけど。
 『ウィザードリィ』なんかだと、ドラクエの「ゆうしゃ」的ピンの主人公ポジションが存在せずにいきなり6人編成の主人公パーティーで始まるから、このゲームを「プレイヤー=主人公型」で遊ぶのは無理というものだろう。まあ、パーティーの1人に自分の名前をつけてそいつ=主人公=自分っていう遊び方は可能だけど、その他の5人はさすがに「設定に合わせたセリフを想像型」で遊ぶことになる。このへんの古典に属するゲームとか、あとさらにさかのぼってテーブルトークRPGとかを主に遊んでた世代はやっぱり、いくつになっても「設定に合わせたセリフを想像型」かたぎが抜けないってことはないですかね。
 ものすごくおおざっぱな分類で、無理あるなあってのは今書いてても思った。
 実際あきらかにこの世代に属するクリエイターがただ何も考えずに作ってみたようなゲームとかでも、けっこう『ブルトン・レイ』みたく今までしゃべらなかった主人公が最後になっていきなり裏設定まじりのセリフを語り出すとかそういうことも多かったしなあ(*2)

 というのが前置き。(ひどいと自分でも思う)
 『シルバー事件』の主人公はしゃべらない。いや、それだとさすがに捜査に支障が出るからしゃべってないわけじゃないんだろうけど、少なくとも画面上にセリフは表示されない。
 最初のうち、僕はこの主人公に自分を投影して遊んでいた。「設定に合わせたセリフを想像型」の自分としてはえらく珍しいパターンである。ふう、このことを言いたいがためにあの前置きはあったのだ。
 ゲーム画面がポリゴンの主観視点だったこともあるし、名前に「スギウラ」なんつう自分のハンドルネームを入れた影響もあったのだと思う。ゲーム中みんながスギウラスギウラ呼んでくるから、おう俺っちのことかいと僕もなんとなく思ったのだ。
 だが、遊んでるうちにどうも様子が変わってきた。ものすごく陰影の濃い顔グラフィックが出てきた。陰影が濃いのは顔を影で隠してプレイヤーに予断を持たせないための措置だったのだろうけど、なんかかえって不気味なイメージが先行してしまった。それに、他のキャラクターのセリフで描写もされることも何度か出てきた。いちばん始末に困ったのは「自衛隊みたいな」というやつだ。どう客観的に考えても僕はパッと見の印象が自衛隊員って感じではない。ないのであります、上官殿。←自衛隊員に対するおそらく誤った認識
 結局いつのまにか僕の中でスギウラというキャラクター像ができてしまった。スギウラは短髪で背が高く、引き締まった体格の男である。そのくせ体育会系という感じではなく、どっちかと言うと隣にいる人を居心地悪くさせるような物静かな男である。顔なんかは線が細くいい男とも言えば言えるがそれ以前に、大切にしていたペットが死んだ朝にそのまま出勤したような目をいつもしてるせいであんまり第一印象のよくない男である。不満があっても表に出さないし、だいいち現状をありのままに受け入れて不満をそんなに持たない男である。笑う時は顔を背けてこっそり笑い、微笑む時も目を伏せてそっと微笑む男である。もう何年も泣いていないし、怒った時でも表情の変わらぬ男である。
 いったい誰なんだ、こいつは。なんか知らないが遊んでるうちにこういうことになったのだった。
 自己主張が少ないところなんかはたぶん、ゲーム中で独断先行したりしないところから来ているのだろう。そういうのは主人公以外のキャラの役目だったのだ。妙に落ち着いて見えるのはやはりゲーム中、慌てるような描写がなかったからだろう。慌ててもいいようなシーンは何度かあったのだけれど、そういうときはたいてい周囲も主人公どころではなかったので、スギウラが慌てる描写がプレイヤーである僕には見えなかったのだ。第一印象が悪いのも、いろんなキャラクターからとっつき悪そうな対応をされているからだろう。まあ、そりゃ殺人事件とかを追ってる刑事的存在がそんなにいい対応をされるとも思えないけど。
 そんなこんなでゲーム中の描写に合わせていつのまにやら僕の中のスギウラ像が形成されていったのだが、ここまで書いてちょっと気になることを思い出した。かなり初期のころ、とある動物みたいな顔をしてると某キャラクターに言われていたのだ。僕はその動物がどんな見た目をしてたか憶えてなく、えーとたしかあれイギリスかどっかの犬種でわりとスッキリした見た目の長毛種だったよな、とかぼんやりと思ったままだいたいそんなとこだろう的に今まで流していたのだけど、いちおういまGoogleでイメージ検索してみた。ゲームをやった方ならおわかりですね。そう、あの動物。ゲーム遊んでない人にも隠すほどのことではないと思うので、検索結果はこちら
 ……うわあ、スギウラのイメージと全然ちがったなあこれ。

 というか僕はどこをどうやってこれを「イギリスかどっかの犬種でわりとスッキリした見た目の長毛種」だと憶えていたのか、そっちの方がむしろ問題ではないのか。大丈夫か。

*1 ドラクエの主人公はしゃべらない

正確には『1』と『3』ではひとことずつしゃべった。この話出すたびに毎回言ってしまってるけど。

*2 『ブルトン・レイ』

いくらなんでもたとえが古いよ。まあ、それぐらい衝撃的だったっていうことです、最後になっていきなり裏設定まじりのセリフを語り出す主人公。今までの自分の想像してたキャラとあまりにもイメージが違いすぎてたので。

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2005.08.02(シルバー事件より)

事件解決

 これから『シルバー事件』を遊んでみようと思っている人(*1)にはちょっと引いてしまうことかもしれないが、実は僕はこのゲームがちょっと苦手だった。プレステの電源を入れるのにちょっとばかり気が重たいこと多々だった。
 こんなことを書いてしまうと今まで読んでいた人から、あんたあんなに面白え面白えって言ってたじゃないかよ! 大人って、信用できねえ! この支配からの脱出! 盗んだバイク! 夜の校舎窓ガラス! という感じで怒られるかもしれない。いや実際面白かったんだけど、あるじゃない面白そうなホラー映画だけど怖いから観たくないとか、いい曲なんだけどハードすぎて疲れるから聴きたくないとか、そういうやつ。
 このゲームを遊ぶたびに気が重たかったのは、ゲームに登場する誰も彼もがギスギスしていたからだ。
 とにかく登場人物たちの会話がみんなエゴイスティックというか、自分自身に分かるようにしかしゃべらないっていうか、どの連中も相手の共感を得る努力最初から放棄してるようなしゃべり方ばっかりで、会話と気持ちがすれ違うことTV版Zガンダムのごとし。君らはどこの富野ゼリフ(*2)かと。人はわかりあえるってララァとかが言ってた気がするよと、そうアムロは言ってたというのに。何の話だ。
 そんなお互いを拒絶しあうような会話の連続で、またこのゲーム『キラー7』や『花と太陽と雨と』なんかと比べてセリフの量が膨大なんですよ。こんなトークを延々読ませられるのはぶっちゃけ辛い。しかし暗くよどんだ世界観は魅力だし、話がこの先どう進むのかは物凄く興味あるしで、毎日うーんと思いつつ電源を入れ、ウヒョーと喜びながら遊んでたわけです。
 そういや今日ゲーム終わったんだけど(さらっと言うテクニック)、まったく最後まで彼らはすれ違う言葉ばかりをぶつけ合うのだった。人間がそんな便利になれるわけないってセイラさんも言ってたしなあ。
 だが、ここまで読んで「それは、なんかやだなあ」と思った人はちょっと待ってほしい。たまに、たまにではあるが気持ちが通じ合う瞬間があるのだ。時として彼らは「自分にしか分からない話」をやめて、「自分たちにだけ分かる話」をするのだ。あれ、たいして変わらないか。いやいやむしろ2人の間でだけ通じる会話であり、どっちかっつうと心が通じ合ってるからこそできる会話なのだ。いつも会話のキャッチボールというよりはドッジボールになってる中で、不意にちゃんと互いにボールを受け止めあってる会話が成立するからこそそれは尊い。
 正直言って、あの場面の彼の一連のセリフには、ぐっときたね。やっと心が開かれた!っつうのでしょうか。

 さてそろそろ実際のゲームの話をする頃合いなんだけど、なにしろもうゲーム終わっちゃったんで、その、クライマックス周辺なんであまりにも書けないことが多すぎる。
 簡単にかつ具体的なところをぼかしながら言えば、主人公スギウラにも後輩ができ、よし今日からお前の名前はゴリラ風だ。そしてお前の名前はナイスピチめのタートルネックだ。等、露骨な侮辱とセクハラまがいのニックネーム命名をしたかったもののそんなシステムがあるわけでもなく、あれよあれよという間に捜査は大詰めを迎える。そしてついにこの街に平和が戻った! いやそんな単純な話ではなかった! でもその一方でこの街の謎が解けた! と思ったら違った! しかしあの人の正体が判明した! だがそれどころではなかった! そう、もっと凄い秘密があばかれた! だけどそれ以上の秘密もあばかれた! いやいやそんなものではなかった!
 ……とか、そんな感じのたたみかけにたたみかける展開で、最初のころ後輩に「ゴリラ風」とか屈辱的なニックネームを付けようとか思ってたのが今思うと嘘のようです。
 そういう衝撃の展開をいちいちメモしながら頭の中で整理していくと、なんだかんだで話はきれいにまとまった。考えてみると『キラー7』とか『花と太陽と雨と』がゲーム冒頭から不条理展開わんさと取り揃えて何のつっこみもなしに流してたのに比べると、イントロからラストまでキレイにまとまる話だったんだなあシルバー事件。と、しみじみ思ってると……
 ええええええ!? おい、それ、こんな場面で言い出すか!? なんだこれは、オチか! 今までの全部ここに持ってくるための前フリか! ってな感じでドーンと一発やられちゃったんですけど、ええこの頭悪い文章表現はゲーム遊んでない人のために一応具体的な内容を隠しているのです。不条理展開になるとかそういう意味とは違くてなんつうかその、まあいいや。そして始まるエンディング。

 いやはや最後までやってくれるゲームだった。
 冒頭から物凄い情報量で圧倒し、独特の乾いた世界観に酔わせ、最後はムチャにつぐムチャで頭を引っかき回す。まったく、この1作でコアなファンがついたという世間の評判も納得だ。まあ、逆にライトなファンがまったくつかなかったという世間の評判にも納得いく面はございますが。
 確かになあ、テキストはたいがい不親切でサイバーパンク小説調に「読者がわからなくても気にせず進む」方式だし、ゲームシステム自体は旧態依然の単純な移動とフラグ立てと若干のパズルだし(もっともこれは当時のアドベンチャーゲームだってたいていこんなものだったと僕は思うのですが)、こういうゲームがぶっちぎり売り上げ1位を取る世の中があるとすればそれはそれで間違ってる気がする。思えば『シルバー事件』発売から6年、『キラー7』みたくキャッチーなゲーム(その割にストーリーラインと演出ははっちゃけてたとしても)を出せるようになったなんてグラスホッパー・マニファクチュアもがんばったわねえという感じ。もしかすると主にがんばったのはカプコンの方なのかもしれませんが。
 もしこのゲーム日記を読んで、グラスホッパー・マニファクチュアのゲームを遊んでみたいと思った人がいるとしたら、僕はまず『キラー7』から遊んでみなよと言っておきたい。とっつきの良さでは間違いなく群を抜いているのだから。そして次に遊ぶんなら『シルバー事件』を勧めておきたい。いきなり最新ハードからプレステまでさかのぼるギャップはあるかもしれないが、そうは言っても『花と太陽と雨と』より先に『シルバー事件』は遊んでおくべきなのだ。『花と太陽と雨と』には『シルバー事件』のネタバレがあるのだ。そして『シルバー事件』で思いきり胃にもたれるようなディープな内容に酔ったら、次こそ胃薬みたく軽いタッチの『花と太陽と雨と』を思いきり遊べばいいさ。
 どのゲームでも言えることは、どれも作家性が物凄く出ててノリが合いさえすればマジ面白えですよってことだ。不条理劇とか見るのもいやだって人にはさすがにおすすめできませんが。「お話はちゃんとしてないと嫌だ」っていう人にはとても勧められない。ちゃんとしてない話にもちゃんとしてないという面白さがあるのだ(ないこともあるが)という事を受け入れてないと、これらのゲームは楽しめないと思う。
 あとゲーム性を真剣に求める人にも、ちょっと勧めづらい。どれもゲームという媒体でないと成立しない内容ではあるんだけど、それでいて作家性をとっぱらって単純にゲーム性だけで見たらなんか凄い普通、っていうゲームだからなあ。
 もはやホメてるんだかなんなんだかわからない話の流れになってきましたが、僕としてはグラスホッパー・マニファクチュア、OK!つう感じで。次の新作はいったいいつ出るんだろうか。そしてどのメーカーから発売されることになるんだろうか。なんだか変なところでドキドキさせてくれるぜ、グラスホッパー・マニファクチュア。

*1 これから『シルバー事件』を遊んでみようと思っている人

いるのか。いや、でも『Killer7』を遊んでこっちにも興味を持つというパターンはありえる話だ。というかそれ僕か。

*2 富野ゼリフ

ガンダム関係をたびたび総監督することでおなじみ富野監督の特徴的セリフ文体と会話表現。
「父の『グレート・デギン(※軍艦)』、どこに配備されているのです?」
「沈んだよ。先行しすぎてな」
「父から譲り受けたので?」
「父が『グレート・デギン』を手放すと思うか?」
「思いません」
「では、そういうことだ」
 この会話が「父殺しの告白」として成立しているというからびっくりだ。

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