2000.11.09(その他もろもろの話より)
セクシー女将に御用心
前回ラテンにおけるセクシーについて考察しましたが、それはどうでもいいです。ていうかあんなの考察じゃない。あと、今回のタイトルは勢いでつけたものであって、本文中に女将 (おかみ) は登場しません。ましてやセクシーだなんてとてもとても。ツイてなかったな、ボーイ!で、問題はセクシーです。なんなんでしょうかセクシーって。納得いきません。というか僕が気になってしかたがないのは、人体の一部であってもセクシーが成り立つという点なのです。
たとえばこう。「胸元がセクシー」
胸元ってなぁなんだ、じゃあナニかキミはそれで顔がどブサイクだったとしてもセクシーだと思うのか、という感じですが、言った後でよく考えてみればそれでも十分成り立つ気がしてきました。「ぶさいくであっても、とりあえず胸元だけはセクシー」「いやむしろ、胸元だけでセクシー」という状態はアリ、オッケーであって、つまり
ぶさいく < 胸元
という公式がここに成り立ちます。だがしかし待ってくれ、なにもセクシーは人体に限ったことではないという声も聞こえてきます。幻聴で。しかし幻聴の言うことにも一理あります。たとえばこうです。「スカートに入ったスリットがセクシー」
もうこんなものは服です。この文脈においては服がセクシーでさえあれば、中に入ってる人がぶさいくだとか胸元がどうだとかそんなことはどうでもよくなっているのです。なんて話だ。それはすなわち
ぶさいく < 胸元 < 服
という公式を導き出します。この話にはどこか決定的な間違いがある!
その間違いを気にせず話を進めますと、そのセクシー服を作っている工場のおばはんというのはどうなんでしょう。どうって言われても困りますが、実際どうなんでしょう。おばはん本人は決してセクシーではない (場合により誤差あり) ですが、セクシー服を作っていると考えると、どこかその行為自体にセックスアピールを感じはしないだろうか。つまりこうです。
ぶさいく < 胸元 < 服 < 工場のおばはん
セクシーの道は遠くはてしない。
明日見直したらこの回消えてるかもしれません。