2001.07.04(マンガ・アニメの話より)
楽してモテモテ思想
このページはもともとは「なんつうか素直に愉快なマンガとかそういうのの話を思う存分にしよう。このさい萌えとかそういうのもありで」とかいうコンセプトの元に設立されたんですけど、ふと気付けばしてる話といえばバキと夢幻紳士とジョジョという男っぷりあふるる取り返しのつかないラインナップになってしまっていた。ふと気付けば一面焼け野原。だいたい隅っこに描いてる速攻イラストのたぐいに至っては女性キャラ1人もいない始末。こんなことではいけない。理由はよくわからないんだけど、いけない気がする。そういうわけで、『ラブひな』(*1)の話をしよう。←物凄い素直なテコ入れ
とかなんとか書いてますけど、実際ラブひなスゲエとか思いますよ。素直に。まあ実際のところろくに読んでないわけですけど。「えっ!? ラブひなのヒロインの名前って『ひな』じゃなかったの?」(*2)とかなんの作為もなしに言い切れるほどに読んでないわけですけど、しかしそれでいてマガジンを読む機会があればそのたび読むほどには読んでいるわけで、いったいどういうことだこれは。
それであれですよ、ラブひなって新しい発明だと思うんですよ。なんつうかこう、新たな地平をひらいたマンガだと真剣に思うんですが。
さえない男がとくに努力しないでモテモテになるマンガというのは前からあったわけですけど、このマンガの凄えところは主人公 (さえない男) が主人公=ストーリーの指導者として成立していなくても話が成り立つ、という恐ろしい発見をしてしまったところにあると思うのです。だってラブひなってそうですよ、おもに女子が主人公のことを慕って悶絶することだけで話が進んでますよ! むしろ主人公マジに登場しない回もありますよ! これはやはりマンガの表現世界におけるひとつの革命といえるだろう。リベロ革命ばりの。
考えてみれば主人公 (さえない男) なんてものは読者 (さえない男) にとって別にどうでもいい存在なわけで、女子の悶絶部分だけ見てればそれで大いに満足だったりするわけですけれども、真剣にそれをマンガで実行に移す人ってはじめて見ました。神だよ!(思い切りのよさが)
そういった点から考えてみると、『エイケン(*3)』なんつうのはまだまだ甘いと言い切れます。一見ラブひなのドすげえ拡大再生産として鬼レベルに達してると巷間いわれるエイケンですが、普通に主人公が出張ってるようではまだラブひなには勝てねえ。ましてこの主人公たるや普通にいい人であって、そこには「デキる男はモテて当然」という藤田和日郎的うしおととら世界観もなければ、「モテとかそういうの関係なしにエロ」という『オヤマ! 菊之助』が見いだした悟り (ダメな) にも達していない。もはやエイケンに未来はないと言っても言いすぎだが、まあそんな具合にエイケンはまだまだ青いと思うんですよ。虹色ラーメンの主人公くらい。スゲエよ俺 (えらそうで) 。