人生: 純粋さと紙一重のそれら

鉄の靴  > 人生  > 純粋さと紙一重のそれら

2000.02.06(その他もろもろの話より)

純粋さと紙一重のそれら

 あのー、あれですよね。よく「少年の純粋な心を忘れない人がすき」とか言ったりするじゃないですか。実際にそう言う人を見たことはないんですけど。たぶんいるんでしょう。
 その純粋な心っていうのは、どのへんまでがそれなのか、が僕にはどうしても疑問なんですが。たとえばえー、今ごろで言えば「JUDY AND MARY(*1)にもう夢中」 これは純粋な心を失ってない大人と言えるんでしょうか。定義というか言葉の上で考えるなら、あきらかに純粋な心を失ってないと思うんですが、なんかいいかげん失ったほうがいいような気がしてきませんか。三十路にもなって。あ、別にそういう人が身近にも身遠にもいるわけじゃないですけど。
 別にいい悪いの問題じゃなくて、やっぱりああいう系統を好きになれるにはある程度以上の「かなりピュアな心」が必要になると思うんですが。ちなみに僕はとっくに汚れちまったこの俺なので、Hysteric Blue(*2)は好きになれませんでした。

*1 JUDY AND MARY

もっと前だと、リンドバーグとか。

*2 Hysteric Blue

もっとメジャーどころだと、エブリリトルシングとか。

 « 前の記事
 « 「人生」トップページに戻る

「人生」から検索

「人生」RSS配信中

RSS 1.0 RSS 2.0 ATOM FEED RSD 1.0

(RSSの意味がわからないときは、気にしないのが一番です)

「人生」携帯版

アドレスを携帯に送る...

powered by MT4i