人生: エイケンを深読みする

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2001.09.16(マンガ・アニメの話より)

エイケンを深読みする

 もうどこ行っても『あずまんが大王』3巻売りきれてて大変だったんですけど、この間ちょっと遠出してまで購入したんですよ。もうマジに鬼のような形相&勢いで。略してマジ鬼で買ったわけですが、ついでにエイケンも購入しました。

 『エイケン (第1巻) 』。
 もうここのところマンガを読むならまずエイケンを読むべしといわんばかりの世間の風潮で、だからといって僕なんて超ヘナチョコなわけで無理に買うことはなかったんですが、ちょっと気になってて確認したいことがあったので。

 どうも世間ではエイケン=「ラブひな等のスタイルを突き詰めつつも、突き詰めるベクトルを誤ったうえにつぎこむパワーがただごとではなかったために、なんつうか尋常ではないことになってしまった女の子わんさかコメディー界の鬼子。兄は鬼子です!」という扱いになっている。
 それはそれで合っているように思うが、だが待て。我々はあえていったん固定観念を捨てる必要があるのではないか (とくに根拠なく) 。
 もしやエイケンは、「女の子わんさかコメディーに対する確信犯的なパロディ漫画」なのでは?
 あの異常な肉体描写、不自然なサービス精神、破綻したというか存在すら疑わしいストーリー、そういったものもラブひなの類をカリカチュアライズしたものと考えれば、確かにつじつまが合う。例の「たっぷんたっぷん」とかの凶暴な擬音も、いわゆるボケ (ここでは巨乳) に対するツッコミ的な性質をもつものと考えるべきだろう。
 かつて私はエイケンを『グラップラー刃牙』の登場人物にたとえて、不自然な手法を用いて強さを極めた男ジャック・ハンマーと表現した。しかしこれは誤った比喩で、むしろエイケンはドリアンだったのだ。それまで『刃牙』で描かれていたお約束のすべてを否定し、ついには作品そのものを破綻させかけたあの男ドリアンこそがエイケンの比喩にはふさわしい。

 とか想像をたくましくしてみましたが、そんなわけないじゃないか。
こうして1巻分まとめて読んでみると、意外にふつうな萌えマンガになっているなあというのが正直な感想。これは連続で読むことで感性が慣れてしまったのか。

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