人生: バキを深読みする

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2001.09.16(マンガ・アニメの話より)

バキを深読みする

 前回みたいなオチにはしないので安心して読んでください。

 でまあ、バキ。あのあんまりに唐突というか脊髄の命ずるままに後先考えずに描いてるっぷりが若者にウケて、いまや日本一のおもしろ漫画家 (この場合「おもしろ」は「漫画家」にかかる) となってしまった感のある板垣恵介ですが、本当にどうなんでしょうか。あ、違った。本当にそうなんでしょうか。
 例によってあえていったん固定観念を捨てる必要があるのではないか (とくに根拠なく) 。

実験:『バキ』の展開が実はすべて計算づくで描かれていると考えてみる
 バキが特におかしくなってきたと言われるスペック編終了以後を考えてみると、意外なほどに伏線がきちんと引かれていることに気付く。
・刃牙の唐突な敗北 (VS柳)
……以後のフヌケ期間の理由付けとして、これ以上の出来事はない。(フヌケ期間の必要性については後述) この場合、負け方は唐突であればあるほど (刃牙にとっての) 衝撃は大きく、効果的であるといえる。
・ドリアン編 (総括)
……支離滅裂な展開とさえ思えるこのシリーズだが、俯瞰して見るとドリアン初登場からラストに至るまで、完全に空手 (ここでは唐手=中国拳法を含む) にフォーカスしたストーリーであることがわかる。
・オ・トワ・ラヴィ熱唱
……「いつの日か小さくても かほり高く素晴らしい夢を いつの日か見つけた時は この両手にしっかりと抱いて」 この歌詞で暗喩されているのが「敗北」を求めるドリアンの姿ではなく、「勝利」を求めるドリアンの姿であることを我々は知っている。(後に「勝利」が烈海王のセリフではっきりと「夢」と表現されていることにも注目)
・催眠術 (ドリアンVS加藤)
……この一連の闘いにおいて、催眠術はあきらかに蛇足である。ドリアンには催眠術を使わなくても勝てるだけの戦力差があった。にもかかわらずここで催眠術を使ったのは、後の「私は勝ったことがない」発言 (常に卑怯な方法を使ってしか勝てなかった、という意味と解釈する) への伏線だったとしか考えられない。
・メリーゴーランドやコーヒーカップでウキウキドリアン
……ドリアン編のラストで幼児退行することを思い出すなら、このシーンが深い意味を持っていたと言わざるをえない。
・末堂やられっぱなし
……前回のVS加藤戦は、実際のところ正攻法に近い闘いに終始していた (催眠術は「使わなくても勝てた」と思われるので考慮に入れない) 。ラストの「私は勝ったことがない」発言につなげるために、作者はドリアンの卑怯さを一層アピールする必要性を感じたのであろう。
・烈の試合放棄
……思えば烈海王がやられっぱなしで終わるはずもない。この時すでに作者はドリアンVS烈海王戦でストーリーを終えることを想定していたと考えられる。
・色を知る刃牙
……この長いフヌケ期間がVSシコルスキー戦までのいわゆる「タメ」であると同時に、爆発への動機付けでもあった事がいまや明らかだ。

 といった具合でつじつまはけっこう合うし、実際のところ作者板垣恵介的にもそれなりに伏線を張っていたのではないだろうか。もともと『グラップラー刃牙』第一部の頃から色々と伏線を張っておくのが好きな人ではあったし。
 ただ板垣の場合、ありとあらゆるものに対して全力投球するという漫画家として異常な傾向をもっている。ふつうは伏線といったらまったくその存在に気付かないか、または逆にみえみえであるかのどっちかなのだが、板垣作品ではさりげなさとかそういう事を考えず全力投球のノリノリで伏線を描いてしまうために、みえみえを通り越してあからさまに不自然になってしまうのである。そしてあまりに不自然であるがゆえに、読者は伏線であると気付くこともできず、単に板垣壊れちゃったの?としか思えない。ここに板垣恵介という作家の欠点があり、不幸がある。

 ってまあこっちはわりと本気で思いかけてるんですが、実際のところはどうなんでしょうか。とりあえず独歩がどういう復活のしかたをするかを見守ろうと思いました。

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