人生: バスは目的地に向かい走り続ける

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2002.02.10(その他もろもろの話より)

バスは目的地に向かい走り続ける

 僕はただぼんやりとバスの窓の向こうの景色を眺めていた。
 まるで今すぐにでもちょっといい話が始まりかねない書き出しだが、むろんそんな事はないのだった。
 その路線は少し田舎じみた住宅地の真ん中を走っていて、僕はかわりばえのしない家並みだの歯医者の公告が貼ってある電柱だの、いかにもどこかの小学校に続いていそうな雰囲気の脇道だのを特に理由もなく見ていた。
 そこに、あひるがいたのだった。

 あひるである。
 今の一文はひらがなだといささか読みにくい。アヒルである。
 ど肝を抜かれた。そのあひるがいたのは仮にも歩道である。バスが通る車道と家々に挟まれたその歩道にあひるがいたのである。
 まさかこんな所にあひるがいるとは思わなかった。メメクラゲ(*1)がいるとも思わなかったけれども、あひるだって普通はいないだろう。だって、ここは繰り返し言ってるとおり普通のセキスイハイム的な家々の建ち並ぶ住宅地で、バスが何本も通る程度に広く比較的ていねいな舗装のされた通りであって、もちろん水辺の町というわけでもなくむしろかぼちゃかなにかを栽培していると思しき畑がすぐそばにはあるというくらいの、言わばあひるに似つかわしくない風景だったのである。
 赤信号でバスは止まった。あひるはまだそこにいた。赤信号の停車時間を利用して観察するに、どうやらそのあひるは付近の家で飼われているらしかった。なにしろ空のオリがあったから。オリといっても、ひと昔前ぐらいによくあった、大型犬とかを入れるような例の野球部のフェンスみたいな壁で囲んである、あれである。なるほどあひるを入れておくのに適している気がする。違うかもしれないけど。
 よく見ればそばでは飼い主かもしれないおばちゃんが、畑の大根を水洗いしている。してみるとあひるは今放し飼いというか散歩中なんだろうか。あひるって散歩させるものなんだろうか。さあ?
 信号が変わりバスが動き出して、あひるの姿も見えなくなった。全てが終わった後になって思うと、自分はいま何らかの夢を見ている (何の夢だかよくわからないが) と思えるほどに現実感のない光景だった。
 その後何度かその道を通って、そこには例のオリもあってもちろんあひるも中に入っていたので、全て夢でも幻でもなかったことはよくわかったのだが。

 そしてもうあひるのいる光景にも慣れたその頃、今度は車が燃えたのである。

 文字通り車が燃えていたのだった。「文字通り」と書いたものの、いまひとつ「文字通りと言われても……」という雰囲気のする一文ではある。
 しかし本当に濛々たる黒煙と激しい炎のど真ん中に、車らしきシルエットがあったのだった。おそらくジムニーだった。これは車が燃えているとしか考えようがない。考えてみると我々は普段生活する中で、完膚なきまで壊れた車とか、あと映画などで爆発する車とかを見ることはあっても、めらめらと燃える車というのはそうそう見ない。
 そんな具合にちょっとというかかなりの衝撃映像が目に飛び込んできたのだった。もちろんバスの窓を通じて。
 そして、あひるもまたそこにいたのだった。
 すぐ目の前の家の玄関に、炎上する車を憮然とした顔で眺めているおばちゃんがいて、で、その腕の中にはあひるがいるのだった。よく見たらこの場所は例の家の真ん前だった。
 なんなんだこれは。どこのシュールコントだ。
 車大炎上!そしてあひる!とは、相当なシチュエーションである。この家は体を張って僕にちょっとした不思議体験をさせようとしているのか。狐につまませたいのか。まるで何もかもが夢のように過ぎ去っていかせたいのか。
 とかなんとか思っている間にバスはその事件現場を通りすぎ、僕の視界はいつもの平凡な日常の中に戻っていったのである。

 その日の帰り道、注意してその脇道を見ていると、なるほど車こそもう撤去されていたが地面にははっきりと焦げ跡がついていて、少なくとも夢ではなかったことが分かった。もちろんあひるもそこにいた。もうあひる程度では驚かなくなっている自分もそこにいた。

*1 メメクラゲ

有名な「こんなところにいるとは思わなかった」もの。気にしないでほしい。

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