人生: 完結

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2004.07.22(ドラゴンクエストVIより)

完結

 終わった。
 いつもこの日記でラスボス戦〜エンディングについてどう書けばいいのか迷う。そんなとこ具体的に書いてはいけないものだとは思うんだけど、具体的に書かなかったら何を書けばいいのかわからないじゃないか。
 でまあ言えることは、昨日あれだけ準備万端だったわりに僕のプレイがひどくグダグダだったということだ。
 まずゲームを始める前からすでにグダグダだった。さていよいよラストバトル気合い入れて始めようかと電源を入れた瞬間、そういや門番が強いんでほっぽってあった宝とかあったなあとか思い出した。その門番は強いとはいってもたぶん今のパーティーなら比較的問題なく倒せるとは思うし手に入るアイテムもけっこう便利アイテムだろうと思うんだけど、今からそこまで戻るのも面倒くさい。テンションが落ちる。で、少々後ろ髪をひかれながら(工藤静香ばりに)、そのままラストダンジョンに向かったのだった。
 それで最短ルートを通るかと思いきやうっかり道まちがえて横道にそれたり、昨日発見した「ラスボスに続くであろう扉」から先が思ったより長かったり。それは例のピカーッとなってモヤーッとなるあれが主なんだけど。もちろん具体的な表現は避ける。
 そんでこれピカチュウ的にはどうなのよ?とか思いながらもあっちこっちウロウロしまくって、それでも今日は速攻ラスボスを倒すと心に決めてたもんであえて「じゅもんつかうな」でMP温存する方針で。やってみると意外に呪文なしでもいけた。むしろMP使わない特技でHP回復できるんで、ほぼ常にHPもMPも満タン。まあレベル上げの成果でもあるんだろうけど。
 そしていよいよもってラスボス戦。
 か……勝てねえ!と思った。だって強いじゃん。これでもかっつう具合の攻撃をしてきなさるじゃん。これは……いったんやり直すべきか、と思ったら、そんな頃合いで勝ってた。
 かなりあっさり勝ってた。そりゃHPはおおいに削られたけど同じくらい回復もしてたので、俯瞰してみると特に苦労もなく勝ってた。思えば苦労して憶えた最強呪文とか最強技とかぜんぜん使う間もなく勝ってた。むしろ思えばあの最強呪文、憶えたときにそのへんのザコ敵相手にためしにかけてみた1回しか使ってないことにすら気づいた。まさかラスボス相手にこんなに早く決着がつくとは思ってなかった。レベル上げに夢中になりすぎていたのかもしれない。

 そこから始まるエンディングのあれこれはもちろん未見の人のために何も申しませんが、スタッフロールに表示される?表記が1995年になってたのは衝撃を受けた。
 そりゃまあスーファミの後期に発売されたゲームなんだからそれくらいといえばそうかもしれないけど、最初のプレーで話のすじがきを追いきれなくて挫折したのがだいたい8年前。そして今日、ようやく決着をつけれたかと思うとさすがに感慨深いものもある。
 終わってから思い返せば、けっこう問題のあるゲームだった。今いったようにストーリーが難解っていうか即物的に理解しづらいところもあったし、ゲームとしてもドラクエ史上1、2を争う難しさだった。よりはっきり言っちゃうとドラクエ2に次ぐ史上第2位の難しさだったと思う。この2作に共通しているのは、「次に何をすればいいのかわからない」という、放り出しの思想だ。
 もちろん放り出しは放り出しで、自由な気分を満喫できるという魅力もあるからこれが欠点とは言わないけれど、そのかわりゲームのスムーズな進行をさまたげているというのも事実。というか、次回作にあたるドラクエ7はその両方のおいしいとこどりで成立させてるっていうのがスゲエと思ったんですけど本当のとこは。
 ドラクエ7は本当に凄い。『6』での問題点──ストーリーが難解だとかキャラクターの掘り下げが足りないとかゲーム進行がとどこおりがちだとか、そういうことをちゃんと解決している。一般的にこういう問題点は解決するとそのかわりに別の問題点が出たりする(たとえばイベント進行をスムーズにすると、今度は自由度が足りなく感じるとか)ものだけど、ドラクエ7ではそういうほころびを出さないエレガントな解答をきちんと出しているのが凄い。これは僕が『7』の後に『6』をやったから特別そう思うのかもしれないけど。
 振り返ってみるとドラクエって地味に偶数番の作品でムチャというか冒険して、奇数番でその反省をもとにキレイにまとめるっていうパターンがあるかもしれない。パーティープレイや広い世界を取り入れたらバランスがアレになっちゃって世界をめぐるのも大変だった『2』と、職業システムを導入して広いようで進行方向がはっきりしてるマップ構造をつくった『3』。各々のキャラクター性を強めた結果、全体の進行が小分けになってしまった『4』と、一代記という形にまとめて解決した『5』。そして今回の『6』と『7』(*1)
 そう考えると、今度出る『8』なんか見た目の時点でそうとうの実験作という雰囲気でいよいよこの説も信憑性をおびてくるし、じゃあ『8』はゲームとしてちょっと未完成な部分もあるかもしれないなんて予想すらできるけど、まあたぶん単なる偶然の一致なんで気にすることはないと思いますよ(だいなし)。
 どっちかっつうと、『7』のあとに『6』やるとかいうふうに順序を変えて遊ぶとアラがやけに目立っちゃうんで、『8』とか発売されたら『9』出る前に遊んどいた方がいいと思います。それが今回のドラクエ遊んで得た教訓だ。

*1 偶数番と奇数番のパターン

ファイナルファンタジーを思い出す。かつてファイナルファンタジーは「奇数はシステム重視、偶数はシナリオ重視」というサイクルで発表されていると言われていた。その説は後に「最初の2作で実験して、3作目で完成形を見る」というサイクルに修正されたけど、最近は分業制が完成してそのサイクルも通用しなくなったようだ。

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