人生: 言葉の壁

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2001.03.17(ドラゴンクエストVIIより)

言葉の壁

 気がつけばもう世界の大半をまたにかけ終わってしまっている。
 いやもしかするとこの後いきなり今までの世界とはまた別の世界が現れるという可能性もなくはないんだけど、たぶんないだろう。雰囲気で物言ってます。
 とにかく世界をまたにかけ、五大陸に響き渡ってしまった (すいません何がなんだか僕にもよくわかりません)。今までのなんというかホラ例の石版を埋めるとか色々と旅の目標もあったんだけど、そのへんもひとくぎりついてしまって、この先いったいどうなるんだろうか。本当に予想がつかなくて不安だ。まさかこのままエンディングになだれこんだりはしないだろうが。だいいちまだ86時間である。いやだからこうやって逆算しながらプレーするのやめなさいってば俺。まあそれはいい。

 ところでこうやって世界をまわってふと思うのは、全世界的に同じ言語 (日本語?) 使ってるんだなあ、っていうことです。いや別にそれがいけないとか言うつもりもないしアラ探しをするわけでもないんだけど。問題提起とかじゃなく、単にそうなんだなあっていう意味あいで。
 世の中のたいていのRPGというのは、こういう風にできている。たしかファイナルファンタジーIでは古代語を話す町もあったけど、それも学者のウネに一言レクチャーされただけで以後ペラペラになるっていうインスタントぐあいでした。あとはせいぜいカタコトでしゃべる町がある程度じゃないだろうか。ドラクエIIIのスーの村(*1)とか。ひんたぼ語(*2)とか。
 まーネットワークRPGとかだと言葉の壁がやっぱりあるわけで、別の言語圏の人とコミュニケートするのは一苦労なんですけど。やったことないから想像ですが。「FUCKIN'JAP !」とか言われちゃったりするんでしょうか。そして「ファッキンジャップぐらい分かるんだよ」とか言いつつ北野武が銃を速射 (その場面しか知らない)。よく考えるとこれ、言葉の壁とは微妙に違う問題だし。
 そんなこんなで考えると通常RPGで世界中同じ言語でしゃべってるのも不自然といえば不自然ですが、しかしだからといって他の国に行くたびに違う言語しゃべられていちいち辞書引くのも不便きわまりないし、ゲームとしての楽しさを優先すればおおいにアリなんでしょう(*3)。ちょっとまとめに入ってみましたが。あと真面目な話、例の堀井雄二節が楽しめないっていうのも困るし。
 実際「〜じゃよ」っていう言い回しって、たとえば英語でどう表現するんでしょうか。たぶん語尾で直で「じゃよ」みたいな言い回しは英語にないから、「おまえ」を「thou (汝)」と訳したりして、全体的に古語っぽい雰囲気の英文にすることになるんでしょう。けっこうまともなことを書いてみた。でもそれだけだと硬すぎて、さいごの「よ」の部分が活かされてない気がする。語尾に「OK?」とつけてみるっていうのはどうだ。「〜じゃよ?」 なんだか『神聖モテモテ王国』みたいになってきたぞ。
 こうして考えると、堀井雄二のセリフの細かいニュアンスの妙を直で楽しめる我々ジャパニーズ語圏の人間はけっこうな幸せ者とはいえまいか。言えない? 言えるでしょ絶対。もしあの「わしは このしろの おうさま じゃったのだよ。かっ、かっ」が「わたしは このしろの おう です。はっはっはっ」だったとしたらどんなにつまらなかったことだろう。いいぞ日本語!

*1 スーの村

ネイティブアメリカンをイメージした村で、今にして思うとあと一歩で怒られそうな場所でした。

*2 ひんたぼ語

『たけしの挑戦状』に出てくる原住民の村の言葉。絶対怒られそう。

*3 ゲームとしての楽しさを優先すればおおいにアリ

ちなみにずっと昔のMacintoshかなにかのゲームで、本格的に人類の言葉じゃない会話 (宇宙語かなんか) で成り立っているアドベンチャーゲームがあったけど、あれ面白かったんでしょうか。

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