2001.05.11(本の話より)
イマジン
前回ああいうことを書いてみましたが、正直な話、僕は本とかバリバリ読むほうじゃないです。いまだに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」話のタイトルと作者の名前が思い出せないほどです(*1)。聞いたところでは誰もが読んでいるらしいシドニィ・シェルダン(*2)とかも読まずに育ったし、かといってちょっとスノッブ気取りでジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』(*3)を読んだりもしてないし、あとえーと、自分が読んだことのない本を挙げるっていうのは考えてみると矛盾した作業なんで早々に思いつかなくなってきましたが、たしか『まいっちんぐマチコ先生』(*4)とかも読んだことないですよ。そんな中思ったんですが、「タイトルだけではいまひとつ中身の想像できない本」っていうのは意外に少ないと思うんですよ。ひとつ例を出しますが、最近はやっているらしい『ハンニバル』(*5)。たしかにいきなり「ハンニバル」とこられても困りますが、だいいち「ああ、レクター博士が」と速攻で思いつく人っていうのもちょっとどうかと思うんですが、それなりに「ああ、古代ローマの」とか間違うにしろ、「よくわからないけど、とりあえず固有名詞だろうし」とかあいまいな想像にしろ、手がかりのようなものはあるじゃないですか。
困るのはそういう手がかりもないような、雲をつかむようなタイトルの本の場合です。『ジョニーは戦場へ行った』 これはまだわかります。ジョニーが戦場に行くんでしょうとも。このさい戦場で何が起きるとかそもそも戦場はどこかとかジョニーが何者なのかとかはどうでもいいです。
『車輪の下』 ピュアな心をもってすれば中身の想像もつくというものです。車輪の下のあたりに関する話なのです。地面とか。絶対にそうです。
『ライ麦畑でつかまえて』 つかまえましょうとも。ええ、ライ麦畑で。
このようにたいていの本のタイトルは、それなりに意味が通るのです。筋が通っているのです。納得がいくのです。
しかし、我々はこれをどう解釈すればいいのでしょうか。
『怒りの葡萄 (ぶどう)』
……読んだことないんで想像ですけど、『サラダの国のトマト姫』みたいな話?