人生: Rezに関する個人的な話

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2001.11.26(ゲームの話より)

Rezに関する個人的な話

 いったいどうやって話したらいいんだろう。
 『Rez』というゲームを今日初めて遊んで、それでまあそれはある種特別な体験だったわけなんだけど、その時感じたものはたぶんとても個人的な感情だったろうと思う。他の人が僕と同じようなことを思ってるわけじゃないだろうし、第一いま僕はものすごく興奮しているのだ。まともなことを書けるような気がしないのだ。
 ぶっちゃけた話をすると、僕はものすごく感動した。正直やられた。まさかこんなことになるとは思ってなかった。別に感動したって言ってもストーリーに泣けたとかそういう話じゃなくて。
 あのステージ5以降の猛烈な体験を、なんて表現すればいいのだろう。正直その間、Rezのお題目みたいに言われている音楽と操作が連動するなんつうかレイヴ感とかそういうのはどうでもよくなっていた。いや、そのレイヴ感がないとあの体験には結びつかないんだとは思うんだけど。それだけではたどり着けそうもない境地。 あのなんていうかさ、映像と音楽とゲームの操作感となけなしの物語性(*1)が、まあとにかく全部の要素がひとかたまりになっていたのだそこでは。どれかひとつ欠けてもうまいこといかないだろうし、ありふれた言葉で言うならあれは「ひとつの完成された世界」だったんだと思う。僕はその世界の中をなにがなんだか分からないままただ右に左にがんがん振り回されていたのだ。ゲームでここまで目茶苦茶な目にあわされたのは初めてだ。たぶん。
 思い出すのは『ナイツ』で体験した美しさだ。ただプレーしているだけで、その世界の美しさにしびれたあれだ。思い出すのは『バーチャファイター』の衝撃だ。「重さ」というゲームでまったく未体験の感覚を味わったときのあれだ。思い出すのは『クレイジータクシー』の世界観だ。ゲーム中の要素すべてがクレイジータクシーそのものをよってたかって表現していたあれだ。なんだかセガばっかりなんで我ながら驚いたんだけど。
 こうやって書いてるとどうも言いすぎじゃないのかとか、明日になって冷静になったらまた違った感想も出てくるんじゃないかとか色々思うんだけど、とにかくこれが今日のRez体験の全てで。こんなの全部個人的な話じゃないかとは思う一方で、きっと同じことを感じてる人は多いはずだという根拠のない自信もあって。

 このままだと話がまとまりそうにないので、最後に全然関係のない話を。
 Rezはカンディンスキー(*2)に捧げられているけど、僕としてはモンドリアンに捧げるほうが正解じゃないかって思う。以上、どうでもいい話でした。

*1 なけなしの物語性

悪いことじゃない。

*2 カンディンスキー

画家。

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