人生: 1979

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2002.07.03(ZORK Iより)

1979

 ゾークで遊んでると、しばしば「これは本当にこれで大丈夫なのか」と不安になることがある。
 それはたとえば前回のような、「これは本当に落として割って大丈夫なのか」とか、そういったものであり、逆に言えば「これは本当に落として割らないで放っておいて大丈夫なのか」ということでもある。
 たしかに前回は割らずに放っておいた。もし落として割るのが正解だとしても、その時はロードしようとかそういった考えあってのことであるが、その時というのはたぶんさんざあちこちを冒険した末のことであり、戻ってやり直すことにいささかのへこみを感じるのは間違いなかろうと思う。
 また、たとえば今日のことだ。
 僕は例によって森の中をゆったりとしたペースで散策し、ある奥まった場所で、気になるものを発見した。
 最初に見たときは、落ち葉がうずたかく積もっているという状態だったのだが、ためしにその落ち葉を get (取る) してみたところ、その下に grating (格子) が現れたのだ。
 地面に格子があるっていうのもなんだかシュールだが、まあ思うに地下とかそういった場所に通じているようだ。ようだ、というのは開かなかったからなのだけど。
 そう、僕にはこの格子扉を開くことがままならなかった。ままならないことこの上なかった。
 とりあえず open grating (格子を開く) しても鍵がかかっていると言われたのだった。押しても引いてもとはまさにこのことだった。というのも、push grating (格子を押す) とか pull grating (格子を引く) とかもとりあえずやってみたからなのだけど。
 こういう時には手持ちのアイテムが役に立つというのが常道だが、かといっていまの持ち物といえば、最初に入手したダイレクトメール、前回手に入れたへんな卵型のもの (中身はハト時計) 、そして格子を見つけるために手に取った落ち葉の山、この3つだけである。どう見ても格子扉を開けるに有用なものには見えない。見えないにもほどがあるというものだ。
 そういったわけで僕は今回ここでできることはこれ以上あるまいと思い、この場を後にした。この判断は間違いではないと思う。どう見ても「鍵がかかっている」という以上の手がかりはないし、ということは逆に鍵に類するもの、または鍵を壊すにたるものをどこかで手に入れるのが妥当な話の流れだからだ。
 だが、本当にそうなのか。

 なにしろこのゲームは1979年に発売されたゲームである。よく知ってるわけじゃないが、思うにこの頃はまだゲームバランスとかそういう言葉がなかった時代じゃないだろうか。もっと言えば、ゲームでちゃんと解答に至る明快な筋道を与えておかなくても、まあ、別にいいじゃんとか思われていたかもしれない時代じゃないだろうか。本当によく知らないけど。
 つまり何の説明もないんだけど実はこの時点この段階で格子扉を開けるなんらかの手段がすでにあって、僕はそれに気付かないままに通りすぎようとしているのではないか。いずれ何とかなると思っているのはまったく甘い考えで、気付かない限り一生そのままなのではないか。そんな不安があるのだ。だってなにしろ20年前のゲームなのだから、そのくらい不親切でもおかしくはないじゃないか。
 まあ、偏見ですが。
でもなあ、ゾークに関しては偏見とはいえ、昔のアドベンチャーゲームってどう見ても不条理なトリックとかはたしかにあったからなあ。

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