人生: サイレントヒルの話をしない

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2003.01.07(サイレントヒルより)

サイレントヒルの話をしない

 サイレントヒルを始めた。もちろん初代である。無印である。このプレステ2全盛の時代にプレステ1である。そういや前回の『龍騎』もプレステ1用で、どうやら僕は確実に時代を自分の素手で殴っている御様子。
 というか実際いまこの時期に、ましてふだんから宮本茂作品に対して不自然なまでのくいつきを見せているこの僕がゲームキューブ版ゼルダを遊ばないのはどうしてだという声もあるかと思う。各所で賛美の嵐的なことになっている、あのゼルダを遊ばない君はなにか、そうやって他人とは違う自分をアピールしてモテたいのか、そんなにもモテたいのか! という意見もあろうし、まあ実際モテたいですしお金とか名誉とかもほしいですがそういうことじゃなくって。
 つうか本当はゼルダ発売日に買ったけど方向音痴だから全然楽しめなかったんだよちくしょう!
 そうなのだ。僕はもう相当な方向音痴であって、構造的な地形の把握ができないというか近所のローソンに行く道は経験的に知っていても、同じ店に別のルートからは絶対たどりつけないという種類の人間なのだ。初代ゼルダみたくブロック単位だったらじゅうぶんなんとかなる。ドラクエみたく基本的に道が縦横4方向しかないならどうにかいける。だが道が斜めだったり立体的になってたりするともうお手上げだ。比喩表現とかじゃなしに自分がどこにいるのかわからなくなるのだ。マップがあろうがどうやってここに来たのかが感覚的に理解できてないから、マップになんの意味もないのだ。ちなみにマリオサンシャインの場合、周囲がひらけていて「見渡す」という行為ができたのでなんとかなった。
 だからって、と人は言うかもしれない。たしかに今回のゼルダでもいわゆる右手法とかで場当たり的に進んでもけっこうイケるものだと聞く。でも、そんなの全然面白くねえんですよ。僕は次に行くべき場所の目星をつけてそして事実そこに行ったらそれであってたっていうゲーム的楽しさを味わいたいのであって、なんつうか意味もわからずにただ歩いたら知らないうちになんとかなった、とかそんなコマンド総当たりみたいにゼルダを遊んでも楽しくないむしろ悲しいんですよというか事実、心底落ち込んだ。
 そんな年末年始を通り過ぎて1月7日である。ちなみにいま書いててまたヘコみかけた。それくらいものすごく楽しそうなあのゲームを遊ぶに遊べなかった事実は僕の心に重くのしかかっているのである。そしてサイレントヒル。このゲームなんつったら遊んでみるまで知らなかったんだけどフルポリゴンである。フルポリゴンの街をゆくのである。だ、駄目だ! また自分がどこにいるのかわからなくなる! と恐怖にふるえました (たぶんこのゲームの意図とは違う種類の恐怖) が、碁盤の目状の町並みだったので大丈夫でした。セーフ。
サイレントヒル日記でこれほどサイレントヒルの話をしていないと、かえってちょっとしたものじゃないかとすら思う。物凄い意志の力だ。何を言ってるんだ僕は。

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