2004.08.07(グランド・セフト・オート・バイスシティより)
言い訳の山
憶えゲーという言葉がある。広義では、アクションゲームなんかで「こう動けば絶対に勝てる」パターンを組むことでしか攻略ができない、タイミングがシビアなゲームというとこだろうか。縦シューなんかでよく言われることだけど、まあ実際なんの前ぶれもなく物凄いスピードで敵が出現したと同時に弾をばらまいたりするんで、こういう場合「出現した瞬間に撃つ」ことが重要になる。
出現した瞬間に撃つ。さらっと言えるけど、それはつまり敵の出現位置を事前に知っていないとできないことだ。どうやって知るかといえば、当然ながら1度出現するのを見て憶えるしかない。つまりは、最低1度は出現位置を知るために捨てプレーをしなければいけないということでもある。
長々となんの話かというと、バイスシティってけっこう憶えゲーだなーってことですよ。
ぶっちゃけた話、僕は憶えゲーが苦手なんですよ本当にもう。
憶えゲーというのは、試行錯誤とゲームオーバーをくり返すゲームだ。その過程の中でちょっとずつ効率のいい方法、正しいやりかたを憶えて最終的にクリアに届く、そういうゲームだ。で、まあ……僕とか、そういうゲームオーバーくり返すのってけっこうつらいっていうか。
ここで一応誤解のないように断っておくと、それほどまでに難しいわけじゃないですよバイスシティ。なまじ洋ゲーだけにソードオブソダン地獄とか思い出されてしまうとそれはさすがにバイスシティに申し訳ない。言っとくけど僕はゲームの腕というのがまったくのところさっぱりで、ファミコンスーファミ時代はともかく、プレステ以降こっちクリアしたアクションゲームなんざ数えるほどもありゃしねえっつうぐらいのへたれ人(びと)である。
反射神経のあるなしも理由のひとつではあるけれど、どっちかと言えば理由はそっちじゃなくて、単にゲームオーバーに何度もなるのがつらいのである。うわ素人の言い分だ。それはまるでゲームをろくに遊んでない人の言い草だ。「すぐ負けちゃうからつまらない」これではゲーム日記なんてつける資格はないのじゃないだろうか。
いやあの待って聞いてくれ。だんだん書いてておっかなくなってきたんで言い訳をさせてほしい。憶えゲーおおいにけっこう。そういう楽しみ方があるというのは、僕にもよくわかっているのだ。僕だって昔はいくつものパワーアップシューティングをクリアしたものさ。最近「パワーアップシューティング」って言い方なくなったなあ。ともかく、そういうことじゃなくって、単に最近打たれ弱くなっちゃって。心が。
憶えゲーというのは逆に言えば、必勝パターンさえつかんでしまえばかなり楽にイケるゲームということでもある。心に描いたパターンを正確にゲーム中でトレースすればそれはもうたやすくクリアできるはずだ。まあ、理論的には。実際にはそうもいかず、指が!この指が俺のおもう通りにうごかないから!とか、肝心の場所でビビってすくみやがって!このマンモーニが!ということになったりするのだ。そこを反復と経験で少しずつならしていくのがゲーム道というものなのだけど、そんな失敗と挫折を何度もくり返すには……わしも歳をとりすぎてしまったようだ……(余韻)。
そういうわけで、失敗すればするほどあーもう僕はダメかもしれないなーこのゲームには向いてないのかもなーとへこむようになってしまったのだ。これが大人の階段をのぼるってことなのか。僕はまだシンデレラなのか(おそらく違う)。
「いかによくできたゲームでも、苦痛を感じてまで遊ぶ必要なし。それほどに人生は長くない(ちょっといいこと言った)」てな思想の僕としましては、ここらでバイスシティも潮時ってことでここまで。実際おもしろいゲームだったんだけどなー。まあGTAのキモである自由の風はおおいに楽しんだし、実際面白い経験だった。たぶん次回作『サンアンドレアス』も出たら買うと思う。つまるところ、オレはこういうゲームの楽しみかたしかできない人間なのさ。←最後のほうをギャングっぽくしてみました。