2005.07.31(シルバー事件より)
トランスミッター・プラシーボ
いまのところ1日に2話というか、1日に"transmitter"を1話と"placebo"を1話というペースで進んでいる(くわしくは前回参照)。どうやら本編にあたるtransmitterでは中心人物の1人として事件に関わる一方、外伝のplaceboでは無関係な第三者の視点で事件を捉え直すという構造になっているようだ。いやグラスホッパー・マニファクチュア製ゲームだからこの構造がいつまで続くかわからないんですけどね。とりあえずここまではそうだった。
ちなみに現在の進行状況は第3話。具体性をもたせずにいえば、残酷で悲しいおとぎ話にまつわるエピソードだった。そう、あれ。まったく、遊んだあとになんとも言えない気分にされたものだ。
そもそも昨日第2話を終えて、さあ今日はどんな変化球を投げてくんのかと思ったらこれが素な意味で変化球というか、ゲームの「画風」からしていきなり違ってるんですが。ど、どこの作者多忙につきアシスタントが物凄く頑張ったマンガだよあんた!←いまどき無いたとえ
まあ『キラー7』でアニメムービーパートが出るたびに絵柄がいちいち違ってた時点で予想できてしかるべきだったのかもしれないけど、まさかアドベンチャーゲームのグラフィックがエピソードによって絵柄を変えてくるとは想像してなかった。
あと微妙に話はずれるが、クサビさん(太陽にほえろにおけるゴリさん的存在)の顔グラフィックが同じエピソードの中でさえまったく安定しないのはさすがにどうかと思う。原画家の間の意思統一がうまくいっていなかったのだろうか。それか、まあいいか的発想の所産だろうか。
ともかくそんな一味違うクールテイストな絵柄の中、事件は序盤の地味な展開から一転、大事件へと発展(ややライムに乗った文章)。前回の刑事物とはまた差をつける松本清張ばりの社会派ミステリーっぽいノリ(*1)になってきておいおいこれどうなんのよと思ったら、この名前は……? よもや! え、ええー! 本当にそう来るの! とか思ってる間に"transmitter"第3話完。ひでえ、ぶつ切りエンドか! と思ったところで"placebo"を遊ぶとちゃんと第三者視点で事件の構造が補完されるというシステムでございました。なるほど。
このtransmitterとplaceboの関係は、ゲームというよりミステリのシステムとして良くできたシステムだと思う。
transmitterで主観的に(つまりは断片的に)見た事件を、placeboでは客観的視点で解体して意味の通る形につなげ直す。情動で動いていたtransmitterの物語を、placeboは冷たいほどに淡々と整理していく。
で、いったんtransmitterを終えたあとにplaceboでストーリーを組み立て直されると、一度経験したtransmitterの物語性がより深く見えてくるっつう構造なんですよ。簡単にいえば、transmitterの間ずっと「人の気も知らない」状態で遊んでるんだけど(ほら主観視点だから)、placeboで整理されることで「ああ、あの時あの人はああいうことを考えていたんだ」と思い返すことになるってなわけで。たぶんtransmitterがちゃんと謎を解いたりフラグを立てたり「ゲーム」として成立してるのに対して、placeboがほとんどボタン連打的なゲーム性を放棄した内容になってるのも、意図的なものなんだろう。
そういうわけでplaceboを終えた頃にはtransmitterに再び思いをはせ、しみじみとした余韻とともにゲームを終えられるのです。
こんな小難しいことを並べて何を言いたいのかっていうと、transmitterを終えたらplaceboも遊ばないと1エピソードを終えた気にならないっていうことなんですよ。おかげで一度ゲーム始めたらなかなか終わらなくて大変なんだ本当に。