2005.08.07(サイレントヒル2 最期の詩より)
恐怖と愉快のあいだ
現在のゲーム進行をおおまかに表現するなら、例のあばずれと共にやってきた施設をようやく脱し、霧は晴れたが夜は更けてという具合の町をさまよっているところですよ。ちなみに単独行動。前もちょっと書きましたが、このゲームの舞台である町「サイレントヒル」はポリゴンでえらくしっかり作り込まれている。ゲーム的な省略をあまり使ってないので、近所のとある店に行くだけでも道中何ブロックも経由して、たとえるなら「車で行けば数分でも、歩くとけっこうある」みたいなリアルな距離感がある。
いや、本当は×ボタンダッシュで走ればけっこうすぐなんですが。このゲームの主人公にマラソンをやらせれば金も狙えると思うというくらいサクサク走れるんですが、それやっちゃうと道ばたに落ちてる回復アイテム等を見過ごしてしまいそうなので、基本的には歩き中心で。
さて、さっきも言ったとおり、今は夜である。なぜか全市にわたって街灯が点いてないしそもそもゴーストタウン化してて窓から明かりももれないので、基本的には真っ暗闇である。例によって主人公の懐中電灯が頼りであり、いつものとおりすげえ怖いのである。あ、あのうすぼんやりとしか見えない道の向こうに、何かがいる! ような気がする!
そもそも「街灯の消えた人通りのまったくない街角を一人っきりで歩く」というのは、普通に実生活の上でも恐怖体験であろう。その体験をこのゲームはポリゴン造形の街並みとライティングによってものすげえリアルに追体験させてくれる。加えてゲームならではの「いま、君はじわじわとピンチに近づきつつある。何がピンチなのかは教えないけど」的な不吉そのもののBGMが思わせぶりに鳴ったり、あと当然不気味なクリーチャーが唐突に現われたりして現実以上に怖い。誰がそこまでしてくれと頼んだ、とチキンハートの僕などは思いがちではあるが、実際怖いのが面白いところなわけだしなあ。
怖いもの見たさ、という言葉もある通り、怖いのはやっぱり楽しい。ムカつくのは全然楽しくないのに、怖いのはけっこう楽しい、っていうのは思えばけっこう不思議な話だけれど、ともかくなんだかんだで怖いことに特化したゲームなんで当然遊んでて楽しいわけです。
とはいうものの怖いっていう感情はやっぱり負の要素も多いわけで、なんつうか、そこまで怖くなくてもよくねえ? みたいな弱腰発言も出るわけですよ実際。具体的には、このゲーム遊ぶ時には部屋の電気を消したくない。
部屋の電気(灯りという意味の)、消したくなけりゃ消さなきゃいいじゃんと君は言うかもしれないが、消さないで遊ぶと蛍光灯の光がテレビ画面に反射して、よく見えなくなるのだ。何度も言うとおり今は暗闇の町を歩いてるところであり、暗い画面を写したテレビスクリーンは周囲の光を反射するものなのだ。フラット大画面や液晶テレビだとこうはならないのだろうか。買い替えるべきかもしれないと、ちょっと本気で思った。まさかこの歳になってゲームを夜に遊ぶのが怖いという理由でテレビの買い替えを検討するとは思わなかった。そうは言っても、真っ暗な部屋でこのゲーム遊ぶとすごい怖いのだ。いい大人の泣き言である。
さらに僕は「何かイベントが始まる前に、行ける脇道は全部行っとこう」式の考えの持ち主なので、必要以上に恐怖の町をさまようことになる。いやだってその方が回復アイテムとかたくさん手に入って便利だし。ストーリー上重要なメッセージとか見逃さないかもしれないし。だがそのせいで普通に目的に直行するよりはるかに多くの恐怖体験をするはめにもなっているのだ。ああ、僕はいったいどうすればいいのだろう。やっぱテレビの買い替えだろうか。