人生: 過去ログ 2004年08月

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過去ログ 2004年08月

※下に行くほど新しい記事です。

2004.08.06(グランド・セフト・オート・バイスシティより)

自由ってなにかね

 けっこう間があいてしまったけど今といえば例によって血なまぐさいというか血みどろなミッションをいくつかやっつけて、何人かに気に入られて仕事(血みどろ)をふってもらえるコネができたんでこれからもがんばって血みどろでいこうっつう、そんな具合ですよ。
 より具体的なゲームへの慣れを描写するなら、道を走る車に近づくと(たいてい)ブレーキがかかることに気づいて、いまや車を奪うにもアメリカ映画でおなじみの車道に飛び出して車を停める方式を実践し、その後ドアを開けて運転手を引きずりだすという恩を仇で返すやり方でいつもがんばってます。車ひとつ奪うにもいろいろやり方があるものだ。

 自由度が高い、とGTAシリーズを評してよく言われる。
 自由度というのは、単純にまとめてしまえば「よけいなことができるかどうか」じゃないだろうか。
 たとえば有名なところでドラクエなんかだと、「次のイベントが待っている場所」と「前に行った場所」以外には移動できないようになっている。それ以外の場所に行こうとすると、地形がジャマをしたり鍵がかかっていたり門番的な存在の人に通せんぼされたりする。これが「自由度が低い」ひとつの例だ。
 おおむねこういうのはゲーム遊んでてありがたいことだったりもする。もしこれでいますぐどこにでも行けるとなれば、シナリオの進行がとどこおったりゲームバランスの悪いことになったり単純に時間のムダになったりするからだ。だからドラクエなんかではあえて行動範囲に制限をかけている。それはちっとも悪いことじゃない。
 じゃあその一方で「自由度が高い」というのが、それはそれでやっぱりいいことになってる理由ってのが僕にはけっこう謎なのだった。だって普通困るじゃん、よけいなところに行けたりよけいなことできたら。おおむねそういうよけいなことっていうのは、ゲーム進行の本道から外れるものや時には台無しにするものであって、なんでそれがもてはやされるのかわからないとすら思っていた。このゲームやるまでは。

 ひとつには、単純にスゲエってことがあると思う。テクノロジー万歳、っつうんですか。
 このゲームでは、やたら広いバイスシティ全域を自由に移動できる。メインストーリーとは無関係に。そして、関係ない場所に行ったからって別にペナルティも発生しないので、完璧に作り込まれたバイスシティを文字通り自由にうろうろできるのだけど、これが単純に楽しい。いや、意味なく楽しい。
 まったくのところこれはゲームの本筋となにひとつかかわりがない。たとえば適当に奪ったスポーツカーでカーラジオから80年代ポップスをがんがん流しながら海ぞいの道に停めて太陽が海に沈むまでを満喫したところで、それは気持ちいいんだけどもちろんゲームは何も進展していない。これはこれでいいのだ。横道にそれた結果、それはそれで気持ちいいなら問題あるまい。このゲームは、そういう気持ちいい横道が豊富にある。
 めったに見つからないバイクを探して、まあ奪うんだけど、気持ちよく道をとばすのも楽しいし、タクシーを探して、まあこれも奪うんだけど、本当にお客を乗せてタクシードライバーと化すこともできる。気が向けば本筋とまったく無関係なサブイベントに手を出してもまったくOKだ。こういう横道にそれたところでペナルティを受けるでもない「選択肢の多さ」が自由の意味でもあるのだろう。
 このゲームではもっと狭い意味でも選択肢は多い。1つのミッションをクリアする方法は無数にある。武器のチョイス、追いかけるかさもなくば待ち伏せるか、どの順路を使うかという戦略、単なる誰かを殺れ式のミッションでも、どういうやり方をするかはプレイヤー次第だ。たとえば単にその辺にこれを使えとばかりに置いてあったバットを手に取って追っかけ回してもいいし、わざと近くに路駐しておいた車にすかさず乗り込んでひき逃げしてもいい。ちなみに方法によって効率のいい悪いはあって、この場合だと、後者の方が確実に効率がいい。
 こういう無数の選択肢の中から効率のいい方法を見つけるというのは、ゲームとしていかにも楽しいことだ。特に選択肢が多ければ多いほど、ベストの戦術を見つけたときの喜びも大きい。無数にある手段の組み合わせの中から、完全な1つを発見し実行する。ゲームを支配下におく征服感。これがもうひとつの自由のすばらしさだろう。

 そんなことを思いつつ、そろそろこのゲームやめようかなんて思ってる僕が実はいるのだけど、そのへんの話はまた次回。  

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2004.08.07(グランド・セフト・オート・バイスシティより)

言い訳の山

 憶えゲーという言葉がある。広義では、アクションゲームなんかで「こう動けば絶対に勝てる」パターンを組むことでしか攻略ができない、タイミングがシビアなゲームというとこだろうか。
 縦シューなんかでよく言われることだけど、まあ実際なんの前ぶれもなく物凄いスピードで敵が出現したと同時に弾をばらまいたりするんで、こういう場合「出現した瞬間に撃つ」ことが重要になる。
 出現した瞬間に撃つ。さらっと言えるけど、それはつまり敵の出現位置を事前に知っていないとできないことだ。どうやって知るかといえば、当然ながら1度出現するのを見て憶えるしかない。つまりは、最低1度は出現位置を知るために捨てプレーをしなければいけないということでもある。
 長々となんの話かというと、バイスシティってけっこう憶えゲーだなーってことですよ。

 ぶっちゃけた話、僕は憶えゲーが苦手なんですよ本当にもう。
 憶えゲーというのは、試行錯誤とゲームオーバーをくり返すゲームだ。その過程の中でちょっとずつ効率のいい方法、正しいやりかたを憶えて最終的にクリアに届く、そういうゲームだ。で、まあ……僕とか、そういうゲームオーバーくり返すのってけっこうつらいっていうか。
 ここで一応誤解のないように断っておくと、それほどまでに難しいわけじゃないですよバイスシティ。なまじ洋ゲーだけにソードオブソダン地獄とか思い出されてしまうとそれはさすがにバイスシティに申し訳ない。言っとくけど僕はゲームの腕というのがまったくのところさっぱりで、ファミコンスーファミ時代はともかく、プレステ以降こっちクリアしたアクションゲームなんざ数えるほどもありゃしねえっつうぐらいのへたれ人(びと)である。
 反射神経のあるなしも理由のひとつではあるけれど、どっちかと言えば理由はそっちじゃなくて、単にゲームオーバーに何度もなるのがつらいのである。うわ素人の言い分だ。それはまるでゲームをろくに遊んでない人の言い草だ。「すぐ負けちゃうからつまらない」これではゲーム日記なんてつける資格はないのじゃないだろうか。
 いやあの待って聞いてくれ。だんだん書いてておっかなくなってきたんで言い訳をさせてほしい。憶えゲーおおいにけっこう。そういう楽しみ方があるというのは、僕にもよくわかっているのだ。僕だって昔はいくつものパワーアップシューティングをクリアしたものさ。最近「パワーアップシューティング」って言い方なくなったなあ。ともかく、そういうことじゃなくって、単に最近打たれ弱くなっちゃって。心が。
 憶えゲーというのは逆に言えば、必勝パターンさえつかんでしまえばかなり楽にイケるゲームということでもある。心に描いたパターンを正確にゲーム中でトレースすればそれはもうたやすくクリアできるはずだ。まあ、理論的には。実際にはそうもいかず、指が!この指が俺のおもう通りにうごかないから!とか、肝心の場所でビビってすくみやがって!このマンモーニが!ということになったりするのだ。そこを反復と経験で少しずつならしていくのがゲーム道というものなのだけど、そんな失敗と挫折を何度もくり返すには……わしも歳をとりすぎてしまったようだ……(余韻)。
 そういうわけで、失敗すればするほどあーもう僕はダメかもしれないなーこのゲームには向いてないのかもなーとへこむようになってしまったのだ。これが大人の階段をのぼるってことなのか。僕はまだシンデレラなのか(おそらく違う)。
 「いかによくできたゲームでも、苦痛を感じてまで遊ぶ必要なし。それほどに人生は長くない(ちょっといいこと言った)」てな思想の僕としましては、ここらでバイスシティも潮時ってことでここまで。実際おもしろいゲームだったんだけどなー。まあGTAのキモである自由の風はおおいに楽しんだし、実際面白い経験だった。たぶん次回作『サンアンドレアス』も出たら買うと思う。つまるところ、オレはこういうゲームの楽しみかたしかできない人間なのさ。←最後のほうをギャングっぽくしてみました。

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2004.08.08(夢トイレより)

トリビアの泉殺人事件

 夢の中で私は、ある古びた中学校で起きた殺人事件を調査している探偵である。
 学生の証言と、なにより被害者が死の直前に送った『トリビアの泉』の投稿がヒントとなって、犯人の正体とトリックはすでに明らかだった。ただ動機だけが不明だったので、私は関係者を集めて謎解きを試みることにするが、その前に1度学校のトイレに入る。
 トイレの中は気の急いた関係者でごった返していた。私は気にせず用を足そうとするが、ふと気がつくと小用便器だと思っていたそれはトイレに備え付けの洗面台だった。
 私は慌てて右にずれて、あらためて用を足そうとする。トイレの中はさらに人が増えて混雑してきているようだ。その時、ふと気がつくと小用便器だと思っていたそれはトイレ清掃に使う大型の流し台だった。
 私は慌てて右にずれて、あらためて用を足そうとする。トイレのどこかでは被害者が送ったトリビアのVTR(「宍戸開は『トムとジェリー』の吹き替えをしたことがある」)を放送している。その時、ふと気がつくと小用便器だと思っていたそれは水飲み場だった。このままでは昼休みが終わってしまう。

いや度:★★★

 もちろんトリビアは嘘。
 その後本当に昼休み(舞台となる学校の)が終わってしまったので謎解きは放課後に持ち越されてしまう。どうでもいいが。

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2004.08.11(ドラゴンクエストVより)

本当に3Dというやつは

 実はドラクエとかまたしても始めてました。
 軽い気持ちでちょっとさわる程度のつもりでやってみたら10時間とか遊んでて驚いた。これはもはや事件だ。その、催眠的な。(早くも事件性が希薄になる)
 10時間。ドラクエのそれも『5』の序盤で10時間といえばそうとうな量である。やったことある人ならなんとなく想像つくだろうけど、例の急展開をこなしてなおあまりある時間である。具体的には、えーと、具体的かつ未プレーの人のためにぼかして言うと、被搾取階級から脱してしばらくたって、鏡に関係のある塔をも越えたあたり。よし、まあ、なんとか言えた。

 なんだってドラクエ5を始めたのか、そこから説明せねばなるまい。
 なるまいってことはないけど、やはりなるまい。このいつもながら回りくどい日記としてはなるまい。
 僕はそもそも3Dのゲームがおおむねだめな人間だ。世の中にそういう人はあんがい多く、その理由も見づらいとか2Dじゃないとだめだとか3D酔いするとかさまざまだが、僕の場合は単純に道に迷うからだ。
 以前にさんざんその話はしたんで(このとき)くり返さないが、とにかくもう今後ゼルダの最新版が決して楽しめない人間なのだとゼルダそのものに突き付けられたあの経験は、僕のゲーム体験の中でもワーストから数えて何位っていうくらい悲しい経験だったのだ。結局その話くり返してるけど。
 そこでドラクエだ。今度出るっていう噂の『8』はなんだか知らないが3Dだというじゃないか。ドラクエ、お前もか! ゲーム雑誌とかチラチラと横目で見るに(僕はドラクエに関しては発売前情報をできるだけ見ずにやってきたいので、このへんのさじ加減が難しい)、どうやら広いフィールドを360度走り回るらしいじゃないか。どういう意味で走るのかは、あくまで横目チラなんでわかんないけど。
 もしもゼルダに続いてドラクエまでも遊べないとしたら、こいつは、その、なんか想像しただけで悲しくなってきた。この文章まだ書き続けないとダメですか。そんぐらいつらい想像なのでてっとり早く進めると、とにかく心の準備はしておかねばなるまいっていうことですよ。3D空間に対して。あと、3Dでけっこうリアルに鳥山キャラ描かれるみたいなんでそれも自分に合うのかどうかという点に関しても。僕個人に関していえば、ドラクエのキャラはあくまでテレビ画面上のドット絵であって鳥山キャラをイメージして遊んでたわけではないのだ。経験上。
 そこで『5』だ。さっきから「5」と言っちゃいるが、これはいわゆるプレステ2版ドラクエ5のこと。つまりスーファミ版のリメイクであり、画面の絵ヅラ的には『8』に直接つらなる流れの『5』である。ややこしいけど。スーファミ版『5』はかつて遊びおおいに楽しみそしてクリアしたことがある。いまここで買って遊んでも、そしてやっぱり3Dダメだわってことになっても、まあシナリオ上は1度クリアしたことのあるゲームだからそれほどダメージもでかくないんじゃないだろうか。それに中古屋でパッケージ見たところによると『8』のデモムービーがおまけについてくるらしいし、『8』の様子見にはベストとすらいえるだろう。

 で、遊んでみました! 結果、まあ……多分……大丈夫なんじゃないの? イケるんじゃないの? コレ。極端に高低差を活かしたダンジョンとか作られないかぎり、なんとか遊べるんじゃないの? いや、まあ、これあくまで『5』のリメイクだから3Dに特化してないしそういう意味ではなんともいえないんだけど、しかし……今の段階でなら言える。たぶん大丈夫と!
 よっしゃ、遊ぶぜ! 思い切って遊ぶぜ! あ、とりあえず『5』をですよ?

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2004.08.17(ドラゴンクエストVより)

ベラのこと

 ベラについて話そうか。
 この日記にはめずらしくいきなりの固有名詞だ。もちろんベラが何者でストーリー上どんな役割をはたすかについては書かないけど、この先もうちょっと詳しい話も出てこようから未プレーの人は注意されたい。とにかくベラの話だ。
 もうベラの登場する場面はとっくに過ぎてしまってるんですけど、まあそもそも1回遊んだゲームの再プレーなんでこういう可逆式なアレで。

 ベラってはじめ憶えてなかったんですよ今回僕とか。
 今回PS2版を遊ぶまでの僕に「ベラ」とはなんぞやとか聞いてみたら、それは妖怪人間のムチが痛い人(*1)かあるいはベラ・ルゴシ(*2)か、あとはもう思いつかないわってくらいの答が返ってくるであろう。それくらい忘れてたわけですよベラのこと。ある意味、少年期のおとぎの国での思い出を完全に忘れ去り……そして大人になったいま突然の再会、なんつうロマンチックな展開ですらありますが、最初にドラクエ5やったの少年期ってほど子供じゃなかった気がする。選挙権ぐらい持ってなかったっけ。よく憶えてないからあいまいだけど。
 それぐらい僕はベラのことを忘れていた。
 ベラにまつわるイベント全体を忘れていた。正直言って、ここまで忘れるこたないんじゃないのかってくらいだった。再プレーして思い出した今にして思うと。
 けっこう印象的な場面なんですよベラにまつわるイベント。後々につながる伏線とかもあるし。これがすっぽり抜け落ちてる自分の記憶力っていうものに、ある意味乾杯を捧げたい気分ですよ今日は。
 で、ベラのこと。
 遊んでるうちにどんどんそういやあったわこんなイベントとか思い出してはきたんだけど、ベラというこの比較的重要なキャラクターのことだけがどうしても思い出せない。というか、しっくりこない。こんな人いたっけ?
 間違いなくいたのだ。この人がいないとそもそもこのイベントに入ることができないし、イベントに入る直前にベラが村の中で起こしたリトル騒動のこととかは僕は確実に憶えている。たしかに少年期(違うと思うけど)に遊んだときに、あのリトル騒動も起きていた。つまりPS2版で追加されたイベントだから憶えてないとかそういうことではないはずだ。
 たぶん今回のベラがよくしゃべるせいじゃないだろうか。あ、今回のドラクエは『7』以来の伝統で、「はなす」コマンドでパーティーのメンバーがなにかコメントを残してくれるんですよ(これが伝統化してくれたことをとても喜ばしく思う)。それらコメントでキャラクター性があきらかになっていくにつれ、スーファミ当時に僕が抱いていたベラのイメージとは違うキャラとして立っていって、結果「こんな人いたっけ?」ということになっているのではないか。仮説。
 「はなす」コマンド(というか△ボタンだけど)をことあるごとに使ってると、そのキャラクターの人となりが見えてくる。たぶんかつての僕はベラのことを、立場はともかくこれといって特徴のない人ていどにしか見てなかったんじゃないだろうか。実際それくらい短くビジネスライクなつきあいでしかなかったのだ。当時は。だが今作では「はなす」コマンドがある。思ってたよりずっと若く、真面目な一面もみせつつおおむねけっこういいかげんで、ちょっとばかりドジっ娘ですらあることを今の僕は知っている。歳の頃なら14、5才だろうか。それもお姉さんぶってるだけで、本当はさらにもうちょっと若いかもしれない。
 RPGでキャラクターの情報量が多い(ステータスという意味じゃなくて)のは、プレーヤーの好みにあう限りはたぶんいいことだ。読み応えがある、って言い方でいいんですかね。少なくとも今回の僕にとっては、あまり印象に残らない小イベントが、もっと長く遊んでいたい小イベントになった。

 ところでベラを「お姉さん」的存在としてここまで話してた僕だが、ふと前のセーブデータでベラのステータスを開いてみて、その間違いに気づかされた。
「せいべつ:?????」
 こういう情報量は願い下げといきたい。

*1 妖怪人間のムチが痛い人

『妖怪人間ベム』のナンバーツー的存在。ベラのムチは痛いよってよく言う人。

*2 ベラ・ルゴシ

よく考えるとこの人が出てる映画って見たことないや。詳しくはこことか探してみてください。

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