人生: 過去ログ 2002年09月

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過去ログ 2002年09月

※下に行くほど新しい記事です。

2002.09.01(スーパーマリオサンシャインより)

やめどきを見つける

 というわけでこれがマリオ日記の最終回。
 なんとも唐突な話のようだが、実はここ数日の休載のあいだ他のゲームを中古屋で買ってみたり遊んでみたり床にたたきつけてみたりしていたのである。要するにここ数日マリオの次に遊ぶゲームを探し求めてたりしてたのである。
 その結果どうなったかはまた後日として、さてどういったわけでマリオをここまでとしたのかという話である。
 前回「あっ! 惜しい!」の連続でやめどきがわからなくなった話をしたばっかりだが、今度は逆に「も、もうだめだ!」という状態になったのだった。正直自分のスキルではいかんともしがたい感じなのだった。どうやって越せばいいのかよくわからなくなったのだった。具体的には、高いところから落ちがちで忍者風なイメージのあるジャンプ技術を駆使する場面。
 あと、その他2、3のステージでもちょっと技術的に自分には無理がありそうと感じさせるものがあったりして、まあお得意のインターネットで攻略サイトを探して負け犬気分にひたりながら解法を発見すればいいのはもちろんそうなんですが、ことマリオに関していえばそれをする気になれないのだった。
 このあたり情熱が足らんと怒られそうな気もして早くも顔を青くしているところなんですが、決してそういうわけではなくもともとマリオに関してはのんびりダラダラ夏プレーを推奨している (自分の中で) わけであって、どうしようもなくなったらじたばたせずにそこで終わりとしよう、と前から決めていたのです。これは本当に。そうか、最初に書いときゃよかった。

 それにしても今年の夏(*1)のあいだ、素敵な思い出をくれたゲームだったと思う。見てるだけで冷たいものとか飲んだら猛烈においしいだろうとかそんな気分になる空。手で触れればその熱ささえ感じられそうな白い砂浜。そして汚れも暑さもすべてを洗い流す透明な水。これを素敵な思い出と言わずしてなんと言おう。
 そりゃまあスキル不足で途中で終わったりとか僕もしたんですが、それでもなおかつ誰にでもオススメしたくなる良ゲームでした。途中で終わってもそれもまた良し! とりあえず遊んどけ! とか言い切れるナイスゲーでした。

 それにしてもこれだけスゴいゲームの後となると、次に何遊べばいいのか悩むなあ。というその話はまた次回。

*1 今年の夏

すでに夏はきっぱり終わっています。北海道的には。

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2002.09.07(ぶるまー2000より)

どうかと思う

 そんなわけで今度のゲーム日記で扱うタイトルが決定した。『ぶるまー2000』である。それはどうかと思う。

 ここにたどりつくまでに長い時間を要した。別に僕もだらだらと長いあいだただ日記を書かずにいたわけでもなく、あれをしたりこれをしたりしていたのだった。←共感をよばない文章
 もう少し具体的に書くと、いくつかのゲームを候補にあげてはいやこれは違うとまたうち消したりしていたのだった。ときには中古屋で買ったりもしたのだった。そのあげくオープニングだけ見て心底いやになってそのまま売ったりもしたのだった。
 えーとまあハリウッド映画ばりにしたかった気持ちはわかりますよ。オープニングムービーを。シネスコサイズおおいに結構。英語でのナレーションも下のほうに戸田奈津子ばりの書体ででる字幕も良かろうですよ。だが、ハリウッド映画はあんなだらだらしたナレーションを何分も続けたりしないということを、どうして誰も教えてあげなかったんですか。製作陣に。というか見るかぎり、ナレーションの半分以上は削っても良かったんじゃないのか。
 まあゲームのオープニングだけ見てそれですべてを分かった気になるのは早計というものかもしれない(*1)。そこで僕はオープニングをいいかげんスタートボタンでスキップして、ゲームを始めた。いきなりハリウッドばりの陽気なアメリカ人 (たぶん) が陽気なアメリカンジョーク的比喩まじりのどうでもいい会話を僕にむかって投げかけてきたので、これはいよいよだめだと思って僕は電源を切ったのだった。もうこのゲームを続ける自信が完全に失われたのだった。
 いや、別に陽気なアメリカンジョークはかまやしないんだけどさ、ハリウッド映画に本当にそんなベッタベタなトークが出てくるものなのかどうか、製作陣にどうして誰も教えてあげなかったのか。
 さんざん中古屋の店先で悩んだ末にこれはおそらく良質のゲームだろうと選んだそのゲームがこのありさまである。世間の評判も悪くないみたいだし、セールス的にも好調ときく。メーカー名ひとつみても、まあ、たくさん出してるんでなんとも言い切れないが、それなりに信頼に足るブランドである。制作費もどう見てもかなりかかっていそうである。シリーズも4作目で、まあそれまでのシリーズを遊んだことがないのでだからどうだってことはないが、雰囲気的にいえば洗練に洗練を重ねているんじゃないだろうか。それがこのありさまでは、もう僕は何を信じればいいのか分からないのだ。

 さてそこで『ぶるまー2000』を手に取る僕がここにいるわけで、いったいどうしたことだこれは。
 いやここで誤解してもらいたくはないのだけれど、過去に2日ほど遊んだ経験上からいえば、『ぶるまー2000』はたいへん素晴らしいゲームなのだった。「素晴らしい」と「ぶるまー」という言葉の関係性がいまひとつうまくいっていない気がする。
 なにしろエロゲーという範疇に存在するゲームだ。エロ。そこにはちょっと日記に記したあげく世界に向けて発信するのはどうかという雰囲気が如実に現れている。いや、昨今はエロゲーという表現はしないんだっけか。美少女ゲーム。それはそれで、もっとどうかという雰囲気じゃないのか。

 とはいえここではっきりと書いておかなければなるまい。このゲームにエロ要素は絶無であると。えーとまあ、たしかにいわゆる濡れ場的な場面はあったしそれは結構に大変なことになっていたと思うんだけど、そんなことがまったく心の底からどうでもよくなるゲームなのだった、これは。骨の髄までひっでえゲームなのだった。
 えーとここで「ひっでえ」と特に考えもなしに書いたけど、それは深夜ラジオ『コサキンDEワァオ!』(*2)の中で多用される「ひっでえ」みたいなもので、あと「ばかでぇ」とか「意味ねー」とか「くだんねー」とか、そういうほめ言葉。もちろんほめ言葉だ。それは強烈なナンセンスさと徹底したクドさとちょいとした下ネタと、そういう種類の笑いに対する一番のほめ言葉だ。そう、『ぶるまー2000』はそんなゲームだ。
 たとえば今ここで、オープニングムービーを見てみるとしよう。
 そこにハリウッド映画っぽさは一片たりともない。それはあたりまえかもしれないが。そこで唐突 (本当に唐突) にかかる、いささかレベル調整を失敗した小さめの音量のわりと適当なサウンドの伴奏。そして中途半端に音階のはずれかけた女性ボーカルと、絶対にサウンドスタッフかさもなくばゲームの制作スタッフがやってるとしか思えない声質の、しかしハイテンションなシャウトがたたみかける。
ちょっとよってね 私のお店
あなたを待ってる ブルマっ娘 (たまんね〜)
紺に エンジに 緑に 水色
サイドラインのあるのもないのも
よりどりみどりのブルマっ娘 (Ah〜Check It Out!)
ブルマの世界の秋葉原 ぶるまーず☆ (Yeah!!!)
 これほど深刻にくだらないオープニングは見たことがない。ほめてるんだけど。ちなみにこの歌詞はゲーム内容とまったく関係がない (ひでえ) 。
 じゃあどんなゲーム内容なのかといえばこれがまた気が遠くなるほどナンセンスでくだらなくて、あんまり素晴らしくひどいのでこれはまた次の機会に。

*1 ゲームのオープニングだけ見て〜

なぜなら、オープニングだけ別のスタッフが作っている場合もありえるからだ。

*2 コサキンDEワァオ!

小堺一機+関根勤の黄金コンビによる素晴らしくくだらない番組。

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2002.09.08(ぶるまー2000より)

いい意味でくだらない

 前に遊んでからというものずいぶん久しぶりのプレーになる。
 話の細かい点は正直忘れていたが、やり直していや本当につくづくこれはだめだと思わされた。もちろんいい意味で。
 心底くだらないとしか言いようがないのだけれど、こう「くだらない」と言ってしまうと「つまらない、笑えない」という意味にとられかねないので表現に困る。なんというか発想は間違いなくくだらないのだけど、それはもう絶望的に (←シナリオライターの親ごさんなどの気持ち) くだらないのだけど、だが僕らは人生を生きていく上で、どの程度くだらないものを見聞きしているというのだろう。
 くだらないものというのは、くだらないという至極もっともな理由のゆえに、たいていは僕らの目にふれることはない。あるものはあんまりくだらなさすぎて思いつきもしなかったり、またあるものは思いついてもくだらないので人には秘密にしていたり、さもなくばあるものは形になったところでくだらないから誰もが無視したり、そんなこんなでくだらないものは闇から闇に葬られる。だがちょっと待て、くだらないものはおもしろいじゃないか。
 そうだ、「くだらない」というのは単にばかみたいだというだけで、「つまらない」とは全然違う。どっちかといえば対極に位置するというか、平々凡々な「つまらない」の真逆、ものすごく奇抜な独特な発想、でもやってることはブルマかよ、そんなくだらなさ。そんなくだらなさを僕は素晴らしいと思う。

 このゲームの導入部は政府機関「MIB (メン・イン・ブルマー)」と悪の組織「BB団 (ビッグブルマー団)」の抗争から始まる。月面で発見された「神のブルマー」を賭けた激しい銃撃戦に巻き込まれたヒロイン兼主人公、常葉 愛。(巻き込まれた理由:泥酔していたから)
 なんだかんだで神のブルマーを手にした愛だが、なにぶん泥酔していたので記憶もなく、普通に学校の体育祭に出場する (ひでえ) 。
 だが、学校にもすでにBB団の手は伸びていた。「2人3脚1ブルマ (ブルマーで足をつなぐ2人3脚)」「ブルマー綱引き (ブルマーで綱をひく)」などの、なんだか書いているのが心底いやになる競技が無数に頻出する体育祭。この異常事態に立ち上がった人物がいた!
 それは美人保険医、韮沢靖子先生。しかしそれは仮の姿でしかない。彼女の真の姿、それはドクターブルマ! スタイル的にはブルマに上半身裸で、白衣をはおる。BB団と戦う「ブルマの使徒」として彼女は……えーと、もうこのぐらいで勘弁してもらえないでしょうか?

 どうだろうこのくだらなさは。これほどにだめな話もあるまい。
 万一かんちがいしている人がいるかもしれないから付け加えておくと、もちろんこれは全て計算でくだらないのであって、なんというか普通にシナリオを書いたらだめになってしまったとか、そういうのでは決してないことは分かってほしい。製作陣と無関係な僕が言うのもなんだが。
 そんなくだらなさ満載の『ぶるまー2000』。僕は「くだらねー」「バカじゃねえの」とか笑いながら今日も遊ぶのだった。

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2002.09.08(ぶるまー2000より)

暗く深い思い出

 あれは、約1年前にさかのぼる。
 そう、あれはまさしく悲劇だった。僕は口コミで知った『ぶるまー2000』を買い、そしてそのあまりのくだらなさ (例によっていい意味) にまったく感動し、ヒーヒー笑いながら楽しく遊んでいた。
 あの日、そう、それはゲームを買ったまさにその日のことだった。シナリオ的にラスト直前とおぼしき急展開を迎え、戦闘シーン(*1)に入ったとき、それは悲劇の序章だったのかもしれない。
 なんというかこのゲームはバランス調整とかデバッグとかはシナリオとかと比べてわりとどうでもいいことになっているらしく、まあひとことで言えば猛烈にバランスの悪いことになってしまい先に進めなくなったのだった。具体的には使いものにならない必殺技がだけ手元に残ってしまった。
 それはある意味、必殺技の取捨選択を間違えた僕にも非があると言えるかもしれない。その時の僕もそう考え、いったん最初からやり直すことにしたのだった。
 最初から、と言ってもマルチエンディング系のゲームなので、わりと簡単に問題の場面には戻れる。とはいえこの際だから、別の分岐も見ておこうと僕は違った選択肢を選んでまったく違う場面を見たりして例によってゲヒャゲヒャ笑っていたりしたのだった。
 真の悲劇はその先にあった。今度こそエンディングも近いなと思ったその矢先、まったく偶然にハードディスクが唐突な死を迎えたのだった。
 僕の魂が打ちのめされたとして、何の不思議があるだろう。僕の心から夢のかけらがこぼれ落ちたとして、何の不思議があるだろう。その後ハードディスクを買い換えたものの換装が手間でしばらく放っておいた (これは僕が基本的にはMacintoshユーザーであってWindowsはサブマシンであることとも関連している) こともあって、なんだかんだで僕の中で『ぶるまー2000』は「おもしろいのは間違いないけど、しばらくはまともに相対する気になれない」ゲームにカテゴライズされたのだった。

 そしてあれからおよそ1年が過ぎた今日。僕はついにあの日に見ることのかなわなかったエンディングを見るに至ったのだった。
 まあエンディングとはいってもトゥルーエンドにはほど遠いあれではあるし、そもそもこのゲームの場合道中のえらく多大な分岐を見るほうがむしろ大変なのではあるが、とにかくあの日めざしていた場所にようやく足を踏み入れたのだ、僕は。
 それで思ったのは、ああこのゲームはやっぱりライアーソフトの作品だけあって、泣かせるところではやっぱり泣かせるなあ、ということだ。
 この心底ナンセンスでどうしようもなくくだらない (例によっていい意味で) ゲームで泣く場面があるというのもなんだか妙で、まあ実際涙を流しは僕自身していないが、しかしちょいとホロリとこさせる場面は事実やっぱりあるのだった。
 こういう点ライアーソフトは上手い。これまでのバカノリとかをきちんとふまえつつ、絶妙な表現技法とか細かい道具立てとかちゃんと張ってある伏線とかでうまいことホロリ話を機能させているのが偉い。こうでなくっちゃいけない。
 トゥルーエンドではこれがどうなっていくんだろうか。さらに徹底的なことになってマジ泣きが入ったりするのだろうか。それとも逆にバカノリが徹底的になってもうどうしたものかわからなくなったりするのだろうか。どっちにしても楽しみなことにかわりはありませんが。

*1 戦闘シーン

基本的にノベル風なアドベンチャーゲームの体裁をとったこのゲームだが、なぜか戦闘シーンがときどきある。

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2002.09.09(ぶるまー2000より)

褐色の稲妻

 今日はといえば、キッス・キリアンガヤ (人名) にまつわるシナリオを (エンディングまで行ったという意味ではなく) クリアーした。と書いたところでゲームを遊んでない人には何の説明にもなっていないが、えーとすごくはしょって言うなら、アフリカ(*1)からやってきた刺客が、まあ色々する話。はたしてこういうのをカルチャーギャップ・コメディと表現していいのだろうか。ものすごい呪術とか出てくるし。

 ところでキッスといえばこのゲームのメインキャラの一人なんだけど、昨日エンディングまでたどりついたときは全然会わずにすませてしまった。
 このゲームの場合、たとえば1話ぶんのエピソードを終わらせたら、今度はその次のストーリー1話ぶんを任意に選んでいいという、なんだかずいぶん大ざっぱなシステムになっているのだった。そのためメインキャラであるキッスの登場話を選ばずに話を進め続ければ、いつのまにかキッスが登場しないままエンディングに到達していたりもするのだった。
 つまるところこのシステムは「ものすごく大きなスパンのときメモ式シナリオ入れ替えシステム」であってちょっと面白いこころみなんだけど、まあその話を進めるとややこしくなりそうなのでやめる。
 とにかく昨日キッスは登場しなかった。そのままエンディングを迎えてしまった。そのエンディングの中のひとつ (トゥルーでないかぎりエンディングは最後の最後で任意に選べてしまうというあたりが、なんというか実に適当で凄い) は実はキッスにまつわるエンディングなのだが。どういうつもりだ、いったい。
 まだ登場すらしていないキャラのエンディングである。当然矛盾が出てくる。こんなわかりやすい矛盾、「矛盾」って言っていいのかどうかすら疑問だけど。そういうのをこのゲームがどう解決しているかといえば、詳しくは書かないけれどこれがまたどうしようもなく人を食った形で解決していて、いやあ、まったく、このゲームはだめだ。いい意味で。

 それで今回はとりあえずきちんとしたキッス編のエンディングを見るために、まずキッス登場回を遊んだ次第。たぶんこの回だけ見とけばあとはなんとでもなりそうな気がするので、あとは適当にまだ見てないストーリーを拾ってくことにしよう。

*1 アフリカ

ひとくちにアフリカといってもその表現はリアルであったり荒唐無稽であったりするが、この場合はアストロ球団が最終的に旅立っていったタイプのアフリカ。

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2002.09.15(ぶるまー2000より)

2000年問題

 このゲームの発売日は2000年の10月20日だったそうだ。
 実際にゲームを買ったのはそれよりけっこう後のことで、さらにちゃんとやり直している今といえばもう2002年の9月。約2年が経っていることになる。
 2年という月日は、長いようで短い。そんなとってつけたような人生格言っぽいことを言い出しかねないほどに、2年という月日は長いようで短い。というのも、遊んでてこれがまるで今年出たゲームのような錯覚をおぼえるからだ。
 このゲームはときどき思い出したようにとても直接的なたとえとかパロディ描写が飛び出す。それは新旧森羅万象いろんなところから出てくるんだけど (個人的にいままでで一番笑ったのはバリツ(*1)に関するネタだ) 、新しいところでは発売日直前というか本当にCDプレス工場に搬入する何日前までシナリオを書いていたのか不安になるような新鮮なネタとかも入っている。だからって2年がたった今遊んで、まるでそれが今年のネタみたいに思っちゃうっていうのは、その、なんだ、やっぱり僕の感性が2年前で止まってるということだろうか。

 執事の名前を「クラハドール(*2)」と言い間違えるのはああそういえばそんな時代かという気もするんだけど、「スノウ印札幌工場のミルクタンク(*3)」とか「のけぞって銃弾がかわせる(*4)」とか「ディアナ様(*5)」とか言われると、これ本当に2年前の話?とか言う気がする。
 確かによく考えれば2年前で計算は合っている。雪印関係では何ヶ月かおきにたびたび問題が発覚して、今でも続いているような気がするからそう思うのだ。マトリックスはいまだにマトリックス的な時間静止グールグールカメラワークが花盛りだからそう思うのだ。あと『2』と『3』がまだ公開されない。というか本当に撮ってるんですか? ∀ガンダムは比較的最近映画版が公開されてまあそれもいいかげん前の話なんだけどいまだにレンタルビデオで貸し出し中ばっかりで借りることができずにいて、まあその話はいいや。とにかくそれでそう思うのだ。
 風化しないネタなんだ、僕がただ人生を自堕落に送っているせいじゃないんだ、そう思いたい。あと、中高とかみたく1年区切りの生活をしていないというせいもあるはずだ。きっとそうだと僕は信じ、みんなにもそう信じてもらいたいと思っている。

 というかあれだ、「今日は泳ぎで勝負だ(*6)」を読んでもついこのあいだのネタのような気がするのはなぜだ。

*1 バリツ

シャーロック・ホームズが使った謎の東洋拳法。もちろん詳しくは書けないがゲーム中ではとてもくだらないところに凝ったデティールで登場する。

*2 クラハドール

『ONE-PIECE』の初期のエピソードに登場した執事。ああクロネコ海賊団は遠くなりにけり。

*3 スノウ印札幌工場のミルクタンク

さすがに社名を書くのは気がひけたらしい。

*4 のけぞって銃弾がかわせる

『マトリックス』の1場面。思えばキアヌ・リーブスを見たのはこの時が最後でした。

*5 ディアナ様

『∀ガンダム』に登場する月の女王様。説明になってない気もする。

*6 今日は泳ぎで勝負だ

正しくは「猿くん! 今日は泳ぎで勝負だ」。ちなみに「猿くん」の発音は「サールクン」。アニメ版『プロゴルファー猿』とタイアップしたロートのこども目薬のCMより。

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2002.09.17(ぶるまー2000より)

回収という思想

 これはもう言っちゃってもいいような話だろうから書いてしまうと、このゲームの終局にはいわゆるノーマルエンディングがあって、さらにその先にはもうひとつトゥルーエンディングと言うべきものが用意されている。
 いま時点での僕の進行状況といえば、ノーマルエンディングは全部見終わって、さあこれからトゥルーエンディングを見ようかという段階だ。そこで僕が用意するのはプリントアウトしたインターネットの攻略ページであって、全ての選択肢をこの通りにえらびもちろんメッセージは全部スキップですっとばす。俗に言うエンディングの回収であって、まったく無味乾燥な作業的行為である。
 ついにそこまでと人は僕を非難するだろう。もう少しじっくり楽しもうとかそういう気概は無くなってしまったのかと思われるかもしれない。さんざん持ち上げていても結局はその程度のゲームなのかと矛先を変えるだろうか。それはちょっと待ってほしい。
 えーとつまりこのゲームの場合、こうでもしないとなかなかトゥルーエンディングを迎えづらい点がいささかあるのだった。これは決して僕がチキンハートになったわけでも最初の頃のトキメキを忘れたわけでも思えばこの日記は攻略法を見ることに慣れていく経過を記したような日記になってるとかそういうわけでもない。どうでもいいがここ数日、やけにいいわけがましいことばかり書いている。
 それはともかくこのゲームでなによりやっかいなのが、戦闘シーンなのだ。「ブルマーバトル」ということになっているが。ここまでひどい語感の言葉というのもちょっとないと思う。語感はともかく、このターン制の1対1戦闘シーンがなかなか大変というか、あの、正直1回クリアした戦闘ならもうスキップできてもいいと思うんですが。
 そういう訳だ。戦闘に入ったらけっこう長いのだ。それでいて普通にエンディング見ようと思えばだいたい3、4回の戦闘を通過しなければならないのだ。しかもある敵なんかは半ば運任せじゃないと勝てなかったりするのだ。ああもう。
 それで戦闘をまともに続ける根性がなくなってしまい、今に至る。まあこういろいろ書いたところで結局は根性がないという結論になってしまったのだけれど。

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