人生: 過去ログ 2006年07月

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過去ログ 2006年07月

※下に行くほど新しい記事です。

2006.07.02(MOTHER2より)

狂気の山脈

 僕のMOTHER2記憶(それはひどくあいまい)をひもとくと、このゲームには3つ大きな「気持ち悪いヤマ場」があった気がしたが、そもそもあいまいな記憶なんで断言はとてもできない。
 ひとつはゲーム序盤の青い感じのあそこ。というか遊ぶまで忘れてたけど。で、もうひとつはゲーム終盤のある展開。もっともこれは気持ち悪いというか切ないというか悲しいというかなんともいえない感情がそこにはあり、それを総称して「気持ち悪い」とこれ言うのだけど。そして最後のひとつがブッちぎりで気持ち悪いあの場面である。今日遊んだあそこである。

 ここのことをネタバレにもならずに説明するのは不可能に近いが、ごくおおざっぱに言うと話す相手全員がナチュラルに狂っている。会話が成立するようでしない。もしかすると成立するかな?と思ったら直後にしなくなる。周囲の風景がすでにどうかしている。物理法則を無視したことが平気で起こる。出てくる敵もあるきっかけで何かきわめて重大な破滅をいまにも起こしそうなやつがいる。ある場所には、これもしかしてゲームのROMが壊れてんじゃないのと思うようなものがいる。いままで全ての町でかならずあの場所にいたあの人があの場所にいない。かわりにちょっとだけズレた場所にいる。RPGというゲームの本質上ありえないある「場所」がひとつ存在する。ハロー、そしてグッドバイ。←こう書くとちょっとだけグッドナイト・アンド・グッドラックみたいですね。映画の。

 映画といえば思ったのは、ここで描かれているのはつまりデヴィッド・リンチ的不条理なのではないかということだ。そこは素直にカフカ的不条理と言やいいじゃんと君は言うだろうが、カフカって読んだことないもんですいません無学で。
 つまるところすべてがつじつまが合ってるようで合ってなかったり、またはつじつまが物凄く合ってなかったり、無意味に唐突だったり、信じられないことが堂々と起きたり、そういう場所なのだここは。思えばここにやってくる場面の演出も『ブルーベルベット』を彷彿とさせる。よくある演出と言ってしまえばそれまでだが。それにしたってゲームでそんな演出やるのってなかなかないですよ実際。
 僕の知るかぎりそういう不条理的狂気を真正面からプレイヤーに体験させたゲームは、『サイレントヒル』シリーズとMOTHER2くらいだ。探せばまだあるような気が書きながらもすでにしてきたけど、まあいいじゃん僕はいまそう思ったんだから。

 この場面を心底恐ろしいと言う人もいる。ちょっと変わったイベントとしてとらえる人もいる。僕はといえば、けっこう楽しんでいる。うわあこりゃ発明だよ発明だとか喜んでいる。だって凄いんですよこれ、いったんRPGのお約束をよく理解した上で、それをプログラム単位に分解してものすごく絶妙にズラす方向に再配置してるんですよ。いわば脱構築の手法ですよ(脱構築って言えば何でも格好良くなると思って疑わない)。
 こういうのをさらりとやっちゃうからつくづくこのゲームは凄いよなーと僕なんかは思うわけですよ。さっき例にあげた『サイレントヒル』もゲーム自体はちゃんとしたゲームで、MOTHER2みたく自己言及的に(もちろん自己言及って言えばものすごく格好良くなると俺の勘が告げている)メタ化したテクストを(そろそろさすがにむしろ格好悪いと気がついてきた)、ええとつまりこんなの他でなかなか見れねえぜって話。
 そんな感じでけっこう客観的に楽しみながらこの場面を遊んでいたのですが、ただひとつ、セーブして電源を切る気にはなれませんでした。ここをクリアするまでは遊びました。だってここでセーブしたら何か大変なことが起きそうな気がするんだもの。そんなことはないと分かっていても、ついついそんな事を思ってしまうのがこの場所なのだ。

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2006.07.04(MOTHER2より)

猿のダンジョンにて

 今日やってきたのは、猿に関連するダンジョンである。
 このゲームのいいところのひとつは、こういう風にけっこう具体的に書いてもネタバレにはかけらもなっていないところだ。猿に関係するダンジョンって言われて人がイメージするようなダンジョンでは、ここは決してない。

 と言いつつもうちょっと具体的な話をしちゃうので詳しい話聞きたくない人はこの先注意なんですが、簡単に言えばこのダンジョンで起こることはお使いである。お使いの連鎖である。あるモノを持ってくると道が開け、そしてその道の先に行くとまた別のあるモノが必要になるのだ。そのあるモノは別のあるモノで開く別の道で手に入ったりするのだ。つまりある道を通るためには別の道で入手したあるモノを使って通る道で入手したあるモノを使って……すいません今わざとややこしく書いてみました。けむに巻こうとしていました。意味なく。
 そういうお使いにつぐお使いである。こう書くとひどく単純で面白みがないように思えるかもしれないが、そこはこのゲーム特有のバカバカしくも読まずにはいられない愉快なテキストのおかげで、なんとしても先に進みたくなるようになっているので大丈夫だ。

 ちょっと脱線してみると、RPGのダンジョンには大きく分けて2種類あると思う。独特のギミックや謎かけを使って、ダンジョンを突破すること自体をひとつのゲームとして成立させるドラクエ型がひとつ。これはエンターテイメント性豊かな一方、ゲームの本筋から脱線する危険性もある。
 もう一つはダンジョンの先にあるであろうイベントやお宝アイテムをモチベーションに、苦難のダンジョンをあえて突破させるというFF型だ。こちらはドラクエ型と逆にエンターテイメント性に欠ける一方、ゲームの流れにブレがないという特徴がある。まあ一長一短ていうことですか。ドラクエの中でもFF型のダンジョンがあったり、FFの中にもドラクエ型のダンジョンがあったりしますから、そこはあくまであいまいな大分類です。
 で、MOTHER2の場合はおおざっぱに言えばFF型だと思う。ツカミが「え、サル?」てな具合に変わってるので一見そうは見えないけど実のところダンジョンの構造そのものはわりかしオーソドックスで、プレイヤー的にはその先にあるいかした愉快ゼリフが楽しみで遊んでるというところがある。むしろMOTHER2で特徴的なのはこのツカミの奇妙さであって、こういうところを取り入れたRPGってMOTHER2以外に見たことないなーそういや。

 余談ここまで。司馬遼太郎ばりの横道のそれかただ。
 そんなこんなでアレを持ち込み、コレを取り、ソレを使いと、いろんなモノが次から次へと出たり消えたりするダンジョン。たいていのモノはダンジョンの中で入手できるとは言え、そればっかりでは変化がないのでたまにわざわざ町まで戻らないと買えないようなモノも必要になる。いいですよもちろん買いましょうともその先のセリフを見るために。だいいち、今までの戦闘で手持ちのアイテム欄が一杯になりかけててこのモノがだぶつくダンジョンでは少々手狭になってきたのだ。ショップで余計なアイテムを売って処分したいのだ。
 ズバーッと高速移動する移動手段を使い、4つ目の町まで戻る。肝心のアレを買って、ついでにいらないアイテムを処分する。売る→お下がりになった武器、売る→あまり回復しない回復アイテム、売る→あまり使い道のない戦闘用アイテム、とかなんとか調子に乗って売ってたら、ダンジョンで入手したアイテムも売っちゃってた。
 うわーっ!
 しまった、あんまり役に立たないアイテムだからつい流れで売っちゃってた! いや本当に役立たずなんですよそのアイテム。それでいてときどき話の合間に手に入るの。意味なく。だからついあのアイテム=売る物という図式が叩き込まれちゃってて、やばい売っちゃった今。ゲームやった人は憶えてるかもしれませんが、やや具体的に言うとなにかを計るアイテムです。あれやっぱりダンジョンの中で必要になんのかなあ……と思いつつダンジョンに戻ると、あんのじょうアレが必要になる場面が訪れた。意外に早く。
 うわーっ!
 こりゃしょうがないアレ買うしかないってんでズバーッと高速移動する移動手段を使いとんぼ返りでまた町に。どこに売ってたのかが全然思いだせない。何しろこのゲーム、武器屋とか道具屋とかそういう概念が希薄なんで思いがけないショップで売ってたりすんの。あの役立たずなアイテムを売るってことはこの辺かなあ……とあちこち行ってみたもののどうも売ってる様子がない。要するにこの町にはない。確実に。
 うわーっ!
 てな感じでまたもやズバーッと高速移動する移動手段を使い、今度は別の町に。こうしてあらためて見るとこのゲームって距離感けっこう広いよなあなんて思いつつ、ある町を素通りして別の町に。あの町にはたしか売っていたはずだ。あの役立たずのアイテムはたしかあの町でいかにも役立たず然として売っていたはずなのだ。
 で、ズバーッと高速移動する移動手段から降りてしばらく歩いた先で、ようやく買えました。
 またこれが役立たずなアイテムだけあってものすごく安いの。こ、こんなはした金(ひとケタ)で買えるモノのためにオレは、オレは……。まあ自分が悪いんですけどね。

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2006.07.06(MOTHER2より)

怪我の功名

 何をしていたかと言えば、ボス戦である。前回の猿の洞窟(「猿の惑星」のようなもの)でまわりくどく手に入れたあるアイテムによって、ボスへの道がやっぱりまわりくどく開かれたのだ。
 ついでにその洞窟ではわりかしレアな回復アイテムや現状かなりレアな攻撃アイテムもひとつずつ手に入ったんだけど、思案の末エスカルゴ運送(*1)に預けました。

*1 エスカルゴ運送

いわゆる普通のRPGにおける「預かり所」の役割をはたす存在。預かり所という一般的に言って事務的なポジションにもかかわらず、このゲームでは使うのが非常に楽しい。

 みなさんはどうしていますか。レアな回復アイテムや攻撃アイテム。いや、MOTHER2にかぎった話じゃなく。
 僕はまず第一に悩みます。これを将来的に使うのかそれとも使わないのか。使うなら話は早い。アイテムとして持っとけばいいのだ。必要になったら使えばいいのだ。そう、ボス戦とか、ダンジョンの途中で不意ににっちもさっちもいかなくなった時とかにさ。
 しかし、使わないとしたらどうだ。たとえばボス戦で思ったよりボスが弱いかもしれないじゃないか。ダンジョンの途中でこれといってにっちもさっちもいかなくならないかもしれないじゃないか(ややこしい文章ですね)。
 もし使わないですむならそれはそれで幸せなことだ。ことだが、使わないアイテムをずっと後生大事に持ってるのは問題だろう。なぜならアイテム欄には限りがあるからだ。貴重な1マスを使いもしないアイテムのために確保するのはけっこうムダなことだからだ。
 つまり問題は使うか使わないのか、そこに尽きる。しかしまた未来を見通す力でもないかぎり、そんなことはわからないのだ。ここに決断が生まれる。どうする!? どうすればベストなのか!?
 僕の結論はとてもシンプルだった。うん、なんつうか、……使わないよね、僕の場合。
 そうなのだ。持っててもきっと使わないんですよチキショー。だってレアじゃん。貧乏性の僕がこのアイテムを使うはずがないんですよ。これから向かわんとするボス戦のために保持したそれを、ボス戦になってもまだ使うのに躊躇しちゃうんですよどうせ100%。そして時が経ち、いつのまにかさほどレアでもなくなってきた頃にやっと使ってみて、その頃にはさほど威力も感じられないくらい周囲のレベルも上がってるんですよ確実に。それならいっそエスカルゴ運送に預けて「いつの日か使うこともあろう」と満足感だけ得てればいいんですよ僕みたいなゴミクズは。書いてて悲しくなってきたのでこのくらいでやめておきますが。

 さて話は戻ってボス戦周辺。やっぱりあのアイテム持ってくるんだったなあと思いながらパーティーのひとりが「きぜつ」し(今までの思案が光の速さでだいなしになる)、しょうがないんでいったんダンジョンを出て病院で回復しついでにセーブし、また舞い戻ってあれこれあってどうやら最後の扉的なところに。
 ちなみにこの途中に出てくるうかつそうな敵が凄まじくバカバカしくふざけていて、なんつうかもう大好き。あれっ、て思い、まさか!と思い、やられた!とかも思い、ひでえ!と思い、うわーっ!て思い、えええええっ!?と思った。本当にこのゲームは人を食っている。
 で、ボス戦等ひととおりが終わり、えーと具体的なところを可能なかぎりぼかしながら書くと、ボス戦を終えた後のイベントが始まろうとしているところ。ここにいる人物Aもしくは人物B、どっちかに話しかけるとイベントが開始になるであろうというところ。
 困ったことになった。どっちから先に話しかけたものだろう。
 仮に人物Aに話しかけたとする。話しかけたらイベントが進んだ……となったら、人物Bに先に話しかけときゃよかった!と僕などは思うのだ。
 イベントが進んだあとに人物Bに話しかけても、もうイベントに関連したことしか言わないだろう。それなら先に人物Bに話しかけてイベントに関係ないセリフを聞いた上で、今度は人物Aに話しかけイベントを進め、そしてもう1回人物Bに話しかけてイベント関連のセリフを聞く。これこそが理想である。すべてのセリフを取りこぼしなく聞いておきたいのである。なにしろこのゲームはつまらないセリフがとても愉快なのだから。本来聞き流すようなどうでもいいセリフにこそ味があるのだから。
 人物Aはここ数日間での最終目標的な人物である。しかし人物Bはいまやこの場の中心である。いやしかし前後の状況から言って、むしろ場の中心から降りたともとれる。となるとやっぱり人物Aがイベント進行役かしらん。いやいやでも人物Bじゃないと話が進まないような……。
 と堂々めぐりの末、最終的に僕は考えるのをあきらめて人物Bに話しかけたのだった。
 案の定イベントが進行しちゃった。

 みなさんはどうしていますか。もちろんMOTHER2にかぎった話じゃなく、こういうイベント直前メッセージに関して。
 僕はリセットボタンを押した。そこは断固として押した。核の発射スイッチを押す大統領ばりの強い意志とかそういう感じで押した。ちなみに押したらゲームキューブのフタがパカッと開いた。いつもゲームキューブのリセットボタンとイジェクトボタンを間違えるんだけど、この異常にそっくりな2つのボタンはどうにかならないのか。

 たまたま「きぜつ」をはさんでたおかげで、セーブしたところからの復帰は比較的楽だった。文字通りの怪我の功名である。うまいことを言ったつもりになっている。
 そして今度こそ人物Aに話しかける。……ん? ききおぼえのあるセリフを喋っているぞ。
 そうか。
 さっきは 人物Bに話しかける→イベント進行→イベントの最中に人物Aもセリフを言う→イベント終了 という流れだった。おおざっぱに言えば。
 しかし人物Aに先に話しかけると、こういうことになるのだ。人物Aのセリフ→人物Bに話しかける→イベント進行→(今度は人物Aのセリフがない)→イベント終了
 どっちに先に話しかけても、セリフの取りこぼしがないつくりになっていたのだ。あれっ、て思い、やられた!とかも思った。
 いったい何のためにリセットボタンを僕は押したのか。とも思ったが、その途中でたまたま寄ったある場所では、前に来たときと違うセリフが聞けたのだった。たぶんリセットしなかったらずっと気が付かなかったと思う。
 ……怪我の功名、ということで片付けておきたい。

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2006.07.12(MOTHER2より)

メモレー!

 いまどき「メモレー!」と言ったところでそれが名曲『うなずきマーチ』の歌詞における「メモれ」という言葉のことだと誰が知ろう(*1)。コピレ、テプレ。
 メモらなければいけないのだ。いろいろ忘れかねないのだ。
 ええと順番に話すと、4つ目の町をあとにして少したったところ。夏の陽射しに波しぶき輝く、なんつうか物理的に長い町。あんまり夏の陽射しと輝く波しぶきがいい感じなんで思わずもう季節はすっかり夏ですなあなんて思ったけど、冷静に考えて外はせいぜい初夏だしこれはゲーム脳だ、たぶん。
 そんな夏の町で、いろいろあったのだ。いわばひと夏の思い出だ。ひと夏の思い出と言うにはあまりにアレな目にあったりもしたが、とにかくなんやかんやあって僕らのパーティーはついに4人そろったのだった。そのあまりの急展開に次ぐ急展開に、他のことを忘れてしまいそうなのだ。メモレー!

*1 誰が知ろう

そう思うなら最初から書かなきゃいいのですが、ここであの曲は天下の大滝詠一が作詞作曲しているというさらにどうでもいいことを書いて読者をけむに巻いておこう。

 当面の問題は、この導かれし者(ドラクエ4的な意味で)的存在の4人目の戦士がポンコツということにある。いや本当にゴメン、君を悪く言うつもりはないのだけど正直使い物にならないのだ。なぜなら武器防具を装備してないから。
 えーと、これこういうものだっけ? ショップ的なところに行っても彼が装備できる武器防具の類が1個も見つからないのだけど。
 とりあえずこの町で装備が見当たらない以上、他の場所を探せというナゾかと思って行ったのが、ええとおおざっぱに言うとちょっと前に通った町。今いる町で聞いた情報によると、むしろ今あの町が一番熱いらしいのだ。きわめておおざっぱに言えば。
 で、その激アツポイントに行ってみると、ザコ敵が現われて大苦戦した。むしろ1人「きぜつ」した。こ、これは弱い! せめて4人目の仲間が武器防具を得て平均レベルまで強くなっていれば勝負の行方はわからなかったが、今のところそういうノリではないのだ。場の空気的に言っておとといきやがれという雰囲気なのだ。
 というわけでメモ1:あの町のじめじめした場所にいつか行く。こんなコナンのダイイングメッセージ級に言いたいことが伝わりづらいメモで本当に大丈夫か心配になってきた。

 話は少し前後するが、比較的最近あるESP(*2)を憶えていたのだ。その魔法は、あ、魔法じゃなくてESPは(←だいなし)、ある愉快な手段を使い結果として今まで行ったことのある町にワープするという、まあぶっちゃけルーラである(←だいなし2)。ルーラのおもしろバージョンである。どのように面白いかはゲームやってない人のために今は言わずにおきますが、本当にこれ何度やっても爽快で面白いんだよなー。
 とにかくルーラを憶えたので、「過去に行ったことはあるがまだ何かありそうな町」に行ってみるのも手かと思い、ギューンなんつってワープして、またしてもザコ敵に瀕死の重傷を負わされた。
 メモ2:あの比較的寒そうな町にいつか行く。金田一少年だって困ると思うんですよこんなあいまいなこと言われても。

*2 ESP

いちおう説明しておくと、他のRPGでいうところの「魔法」。

 どうも横道にそれるのはむしろ失敗なんじゃないかという気がする。そこで今度はストーリーの流れに非常に忠実に、ごく最近閉店状態から明けたある移動機関を利用して次なる町に行ってみることにした。そこはやや具体的に言えばあいかわらず夏の陽射しは輝くんだけどむしろより暑そうなところで、あと歴史的なノリのある場所である。もはやノストラダムスの四行詩ばりに適当書いているけど、嘘は書いていない。
 そこではある歴史的建造物にいずれ行かなくてはいけないが、それはそれとしてショップ的な場所には4人目のための武器防具は置いてない様子であり、もしかしたら前行ったある町になにかがあるのかもしれず、それはそうとこの町では効果のよくわからない道具が売られておりとりあえず買っておくべき気がして、それと関係あるのかどうかわからないがザコ敵が強そうなのである。そろそろMMRの出番かもしれないと思えてきた。

 当面の指針としては、買い物が最優先だろうか。あの町に戻るのもまあパッと行けるから今のうちにやっておいた方がいいだろう。しかしこれこの順番で本当に正しいのかなあ。

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2006.07.15(MOTHER2より)

連戦

 今日と言えば連戦だった。戦いにつぐ戦いだった。ダンジョンにつぐダンジョンだった。たとえるなら権藤、権藤、雨、権藤という感じですらあったが、たとえた結果たとえなきゃよかったと後悔しているのだった。
 もとはと言えば、前回書いた敵が強いある場所に行ったことからはじまる。そこはいわばダンジョンだった。国境の長いトンネルを抜けるとそこはダンジョンだった。まあ実際たしかにトンネルっぽいダンジョンではあった。
 で、いささか苦労を重ねてなんとかダンジョンを突破。最終的に必要になるであろうフラグを立てて、あと近いうちに必要になるであろう情報も得て、そして今すぐ必要になるであろうアイテムも得た。
 そう、このアイテムを使えばあの場所に行けるのだ。なんのことだかよくわからなかったあの場所に行けるのだ。そしてそれは前回のプレーで得た情報とも符合する。

 で、さっそくその場所に行ってみたところ、そこはダンジョンだった。
 これまたダンジョンだった。昔のTRPGっぽく言うならダンジョンズ&ダンジョンズという流れだった。やや具体的に言うと、えーと東洋の神秘的なダンジョンだったが、東洋の神秘と言うにはちょっと落ちたり登ったり続きにすぎるドタバタなダンジョンでもあった。

 あと話の本筋と関係ないですけど、みなさんにとってこのゲームで厄介な敵ってどんなのですか。僕は「びゅんびゅん動く敵」だと断言しよう。
 やった人はわかるだろうが、あの種類の敵はびゅんびゅん動くのだ。びゅんびゅん動くがゆえに、その気はないのに背中をとられて先制攻撃をされたりするのだ。すり抜けるつもりがぶつかってしまったりするのだ。おまけに先制攻撃をされたりするのだ。せっかく避けてくれた敵に、その気はないのにぶつかってしまい余計な戦闘に入ってしまったりするのだ。ついでに先制攻撃をされてもしまうのだ。ああ厄介だ。
 そんな厄介な敵がけっこう多いダンジョンもいささか苦労を重ねてなんとか突破。さっきのダンジョンでも苦労を重ねてたので、いわば重ねた苦労に苦労を重ねるような状態である。サンドイッチ伯爵がトランプのかたわら食べるために作ったとされる食品の苦労バージョンである。まわりくどい表現にもほどがあるのである。

 とにかくダンジョンは突破した! もはや残すはあの場所のみ! ええとやや具体的に言うと、歴史的遺跡のような場所です。
 先刻入手した情報をもとに、遺跡の前であれこれやって、ついに重い扉が開いた! 兵士諸君、歴史が我々を見下ろしているのだ。だいたいそんな感じだ。
 そんなわけで中に入ってみると、これがまたびっくりすることにダンジョンなのだった。兵士諸君、やっぱり帰ろう。いや本当に2つのダンジョンを越えたあとにこれまたダンジョンでは兵の疲労も無視できまい。兵って誰のことかよく分からないけど。わが軍の士気にかかわるのだ、その、比喩的な意味で。
 で、今回はちょっと様子見ですぐ帰ってホテルに泊まってセーブして電源切ろうと思ったのもつかの間。

 みなさんはダンジョンに入って「もはや後戻りはできない」と思う瞬間がないですか。僕はある。それは簡単に言うと、様子見のつもりで奥に奥にと入っていくうちにどうやらこれ結構簡単に目的地にたどり着けんじゃないのとうっかり思ってしまい、そのまま流れで歩いてってみたらいやいや意外に先は長そうだぞと気付き、しかしその時点ですでに結構歩いてるもんだからこれはもう今から逆方向に戻るよりは目的地に着く方がさすがに早いだろうと思い直し、しかししばらく進んだところでそれはやっぱり間違いだったと気付く、そんな瞬間のことだ。
 瞬間というにはずいぶん長い説明だが、つまるところそういう後戻りのできない状況になってしまったのである。もう取り返しがつかない。後戻りするにはPPも足りてないのだ。ボス相手に全力消費した方が確実に効率が良さそうなのだ。

 で、苦労に苦労を重ねてちょっとしたジャンボバーガー的な重ねっぷりになったあたりでダンジョンを突破。
 や、やったぜ! そしてダンジョンを越えたところで起こる小イベント。とりあえず今いるここは、前に拠点にしていた町から遠く離れた場所らしいですよ。
 あの町に戻るわけにもいかないので、とりあえず的に周囲を散策する。この間の細かいことをはぶくと、どうにか建造物っぽい所にたどりついた。やれ宿屋だセーブだと思って入ったそこは、ダンジョンでした。

 てめえ、ご、権藤ー!(すじちがい)
 権藤権藤雨権藤の上を行くヘビーローテである。しかしもはや後戻りはできないのだ。ここから後戻りしようとすればそりゃ例のルーラ的瞬間移動を使えばできないことはないけど、すると次回プレーではまたあの町からやり直しになるのだ。そんな二度手間はちょっと避けたいのだ。
 てなわけでダンジョンに再び挑む。もうさすがに疲れてきてますが権藤選手の前でそんな弱音は吐けない。このダンジョンはとても奇妙でいてある意味では奇怪であり、端的に言えば看板がやたら多いダンジョンなのだけど、とても愉快なダンジョンだ。とても几帳面にクドくバカバカしい。それはいいのだけど、そろそろ疲れているのだ。権藤選手もよく考えたら別にここにいないので、弱音は好きほうだい吐くのだ。

 と、思ったそのときおそろしくあっさりと宿屋的なものとセーブポイント的なものにたどりついた。シナリオ上もここで休息をとれということになっていたらしい。ありがとう権藤選手!(誤解)  

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2006.07.17(MOTHER2より)

グッバイ・何色かのブリック・ロード

 この話をするにはもうどんだけがんばっても少なからずネタバレっぽいことを書かずにはいられないので、じゃあもうみんな読むな! 失せろ! この若造が! 二度と敷居をまたぐんじゃねえ! もう親でも息子でもねえ! だけど、父さんあのあと泣いていたのよ……(いい話)。
 いい話も終わったところで本題に入ると、それはダンジョンおとこだった。
 ちょっと前にこのゲームには3つ大きな「気持ち悪いヤマ場」があると書いたけど、ここはここでもう1つの大きな気持ち悪いヤマ場ともいえる。ダンジョンおとこのことを考えるとどうにも僕は気持ち悪くぞっとした気分になる。
 たしかいい話が終わった後なのでネタバレを気にせずずばり言えば、ダンジョンおとこは「ブリック・ロード」という男の別名である。彼はダンジョンを愛し、最高のダンジョン職人であろうとしたがために、自ら巨大なダンジョンになった男だ。ここには情熱があるが、それ以上に強烈な狂気といったものがある。だいいち巨大なダンジョンに自分の体を作り替えるという「取り返しのつかない感じ」が想像するだに怖い。すごく怖い。
 怖くて気持ち悪いが、その一方で僕があえて「MOTHER2三大気持ち悪いヤマ場」にここを入れなかった理由でもあるのだけど、ここはとても愉快な場所だ。
 なにかとエンターテイメント性に富んでいてダンジョンのわりに敵が激強いというわけでもなく、しかもおおむね数歩あるくと面白いことに突きあたる。僕はダンジョンおとこのことがけっこう好きだし、それは気持ち悪さとかよりも強い感情だ。そんなアンビバレンツな感じでこのダンジョンを僕は越え、出入口から出るときにちょっと寂しい思いもしたのだ。まさにグッバイ・何色かのブリック・ロードである。
 エルトン・ジョンの切ない名曲であるところの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」がやっぱり彼の名前の元ネタなのだろうか。それともオズの魔法使いのあの道(イエロー・ブリック・ロード)だろうか。単純にレンガ道すなわちブリック・ロードと言いたかったのだろうか。ロードはLordのかけことばで「煉瓦の王」という意味も兼ねているのだろうか。いろいろ思うところはあるが、ひとまずこのとても愉快でどこか哀れな男との別れである。

 って、これだけ僕がいろいろ思ってんのにあんたひどくしまらねえ男だなあ。
 と思うはめになったのだった。最終的に。このゲームの軽やかさはこれだからたまらない。

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2006.07.18(MOTHER2より)

ものすごく大ざっぱな省略

 何が困るといって、このゲームがもつ「ものすごく大ざっぱな省略」についてうまく説明できないことにつきる。
 この「ものすごく大ざっぱな省略」について具体的に書くといささかネタバレにさわるし、だいいち詳細にネタバレして書いたところで、どうもこれは実際に遊んで体験してみないといまひとつピンとこないような話なのだ。せいぜいがとこ「へー」と言われて終わるような話なのだ。すごく面白いことについて書いているつもりでも読んでる人には「ふーん」止まりなのだ。

 ためしにからめ手から話をはじめてみよう。
 RPGというのはたいていどこかに「大ざっぱな省略」が隠れているものだ。たとえば多くのRPGでは宿屋に泊まるとHPとMPが全快するが、いやちょっと待て仮に僕が瀕死のような気絶一歩前、足はガクガク目はうつろでもう何歩か歩くと毒が体全体にまわって死ぬという状態で、まあたとえばその辺の旅館に泊まったとして、少なくとも一夜にして全快したりはすまい。旅館のテレビのダウンタウン横目に布団でダラダラしつついつしか眠りに入ったとして、百歩譲っても翌朝は疲労と筋肉痛で動けまい。しかし多くのRPGはそのへん無視して翌朝には気力100%の寝覚めサッパリで宿屋をあとにすることになっている。
 これが「大ざっぱな省略」のひとつの例だ。
 なぜ省略するのかといえば、HPドン減りの大ケガだからといってそれに合わせて何度も宿屋に泊まったり出たりを繰り返すのは正直言ってかったるいからだ。もういいじゃんHP回復したいって気持ちはよくわかるし一瞬の宿泊で全快ってことで。それが「大ざっぱな省略」だ。ゲームの都合なのだ。こうした方がゲームは楽しく遊べるのだから、リアリティ等にはちょっと目をつぶってもらってこのさい大ざっぱに省略するのだ。
 経験値とレベルなんかもそうですよね。どこの世界にある一定の数値分だけ戦うと急激に強くなる人間がいるというのだ。でもこの方がメリハリがついてプレイヤーの目標もしっかりできて面白いのだ。ゲームの都合なのだ。

 さてここまで読んだ人でもせいぜい「ふーん」であろう。一向に話が面白くなる気配を感じないまま話をMOTHER2に戻してみると、このゲームは「大ざっぱな省略」どころではすまされない超ド級の「ものすごく大ざっぱな省略」をしばしばするのだ。
 それは普通に言ってふざけるのもいい加減にしなさいと真面目な顔で怒られるような省略で、プレイヤーを馬鹿にしているのかと怒られても文句は言えないような省略だ。
 しかるに!
 (↑ちょっと気持ち良かった)
 しかるに、このゲームはしばしば「ものすごく大ざっぱな省略」を平気でする。
 そしてそのものすごい大ざっぱさが、ブッ飛びすぎであるゆえに心をうつのだ。これだけバカを平気な顔でやられたら笑って納得しちゃうほかなくなるのだ。
 たとえば今日、主人公パーティーは言ってみればメチャ文明からかけ離れたっぽい場所にたどりついた。あ、この話はごくごくピンポイントな一点だけネタバレになります。ゲームの進行やシナリオの本筋にはまったく関係ない部分ですが、そうは言ってもネタバレには違いないので気をつけてください。
 この日記で前に書いていたろうか、このゲームではセーブは「電話」を使って行なわれる。電話機の前に立って「チェック」コマンドを押すとパパが電話口に出てセーブしてくれるのだ。「パパが電話口に出てセーブしてくれる」という段階ですでにかなりの大ざっぱな省略が起きている気もするが、そこはとりあえずおいておく。
 さて今いるここはメチャ文明からかけ離れたっぽい場所だ。電気とか確実に通ってない感じの場所だ。明らかにライフラインが自給自足で成り立っている雰囲気だ。ここに電話があるはずがない。あったとしたらさすがに不自然だ。いやまあそこは例の「おおざっぱな省略」というやつで、なんでか普通に電話だけは置いてある、ということだってあっておかしくはないんだけど、このゲームではそんな甘い話ではすまないのだった。
 さあここからがネタバレだ。読んでる人の覚悟はいいだろうか。このゲームのこの場所では、ある動物に話しかけるとセーブができるのだった。
 その動物はこともあろうに「電話の鳴き真似が得意」で、話しかけると電話の呼び出し音のように鳴き、相手が受話器を取った音のように鳴き、そして「パパがセーブしてくれる声」のように鳴くのだ。まるで電話そのもののように鳴くのだ。そしてセーブされるのだ。
 こ、こんな大ざっぱな省略見たことねえ!
 僕はこのゲームのことがあらためて大好きになった。

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2006.07.20(MOTHER2より)

最初の山場

 なんだか不穏な空気なのだった。
 ひょっとするとこれはもはやエンディング直前なんじゃないだろうかと思ったが、それはさすがにないと思い直した。
 まあそれにしたって空気は不穏なのである。アトモスフィアーはアンイージーなのである。ハイスクールはダンステリアなのである(ない)。ロック・バルーンは99なのである(ない)。

 ついさっきまでどこにいたかを抽象的に言えば、床がピカピカ光る洞窟。さすがにそれでは説明になってない気がするのでもうちょっと具体的に言えば、あるドでかい石的なものがけっこうある場所から入る、機械的な敵が比較的多く登場する洞窟。あそこにいたのだった。
 まず第一に、広い。俺はこのダンジョンの前で自分の小ささを知った。前にも書いた通りこれは『花の慶次』からの剽窃であるが、それはそうとやっぱり広い。ゲームをやってると空気的に「そろそろボスが出る頃合いだなー」と思うことがしばしばあるものだが、このダンジョンはそう思ってからが長い。確実にいままでのダンジョンよりも長い。
 いや確かにここよりひとつ前のダンジョンも長くはあったんだ。やや具体的に言うと水をジャブジャブいわせながら歩くダンジョン。あそこも確かに長かったけど、ここはちょっと雰囲気がおかしい。
 そこが第二の問題で、あんまり意味なく広いのだ。前回のダンジョンはすべてにおいて目新しく、ちょっとオマケ的にあるアイテムを使ったあるアイテム探しという側面もあり、物理的に言って長く感じるのもしかたないよね的な事情もあったのだけど、今回はどうも違う。単純に広い。特にびっくりするような仕掛けがないにもかかわらず、やっぱ広い。歩いても歩いてもひたすら敵に会う。
 そう、第三に敵がやたら出る。決して難敵ではない。ぶっちゃけ主人公と2人目はいつものアレで、3人目が最近得た必殺のアレを使って、4人目はまあサポート的にアレ使えば楽勝じゃん? 多少のダメージは食らうものの、別に深刻な目にもあわずにどこまでも行けるっつう雰囲気でしょ? 話に関係ないけど4人目ってこんなにサポート的役割の人だったっけ? 前遊んだときの印象だけでいえばもっと腕っぷしが強かった気がしたんだけどなあ。まあ12年前だからなあ。『ガンダムW』の五飛とごっちゃになってる面もあるしなあ(*1)
 話を戻せば、敵ががんがん出て経験値がざくざく取れレベルがずんずん上がっていくのである。さほど強敵でもないわりにやたら大量の経験値がもらえたりもして、これはもしやレベルをここで上げろというナゾかとすら思える。
 それでも特に気にせず先に進もうとすると、これがまた見事なくらい「この道の先にはたぶん宝箱があると思って進んだらどうもこっちは奥の階へ続く道らしく、だってほらこんなに長く伸びてるわけだしさ、そんなわけでいったん引き返して別のルートをたどってみたらこっちはこっちでまた長く、それでもまださっきの直感を信じて進んだら奥の階へ続く階段にたどり着いちゃってうわあやっぱあっちが宝箱か、なんて感じでまた道を逆戻り」をくり返し、かと思えば「もういいかげん惑わされないぜと思って最初に決めた道をずーっと進んだらやっぱり奥の階へ続く階段にたどり着いて、結局また道を逆戻り」を続け、まあ簡単に言えばウロウロした。
 ふつうダンジョンの脇道というのは短くすぐに宝箱などを見つけまた本道に戻すようにできているのだけど、このダンジョンでは脇道も長い。やっぱりあんま意味なく長い。
 ちょっと醒めた目で見れば、つまるところこれらは一種の演出なのだろう。こういううるおいのないダンジョンを遊ぶと、人は誰しもつらく感じるものだ。このダンジョンの目的のひとつはつらい戦いを実感させることにあるのだろう。でまあ僕はといえば計算通りにつらい戦いを実感しましたよ実際。これはあるいは途中で力尽きるんじゃないのと、HPもPPも別にさほど減ってないのに思いましたよ何となく。また途中にいい感じに人の気をくじく感じで一発帰還のための場所が用意されてるのねここ。ここを使えば確かにダンジョンからは一瞬で脱出できるが、しかしそしたらまた最初からやり直しに! いやでもここにこの一発帰還が用意されてるってことは、この先もまだまだ長いってことに……! いやしかし……!

*1 『ガンダムW』の五飛

張五飛(チャン・ウーフェイ)。個人的に4人目の仲間とわりとイメージがかぶる。『ガンダムW』とMOTHER2が時期的にほぼ同時期だったせいなんでしょうか。

 そんな明らかに不穏な空気のダンジョンをどうにかこうにか突破しました(←CMの間に得点が入っていた的なテクニック)。

 いや実際じつに不穏なダンジョンだった。いつも書いてる通り、この先の展開を僕はほとんど憶えてないんだけど、たぶんここが最後の戦いへと続く道のりの最初の山場なんじゃないだろうか。いや本当雰囲気だけで物を言ってるのだけど。

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2006.07.23(MOTHER2より)

ラストバトルを待ちながら

 とうとうあの場所に来た。
 例によって詳しいことをはぶいて書くと、自然っぽく、そしてえらくだだっぴろいところです。
 あまりのだだっぴろさを表現するためにこのゲームがとった方法というのが最高にばかばかしくもいかしていて、もう色々なことを忘れてばっかりの僕の記憶の中にも完全にこの演出だけはきっちり残っていたのだ。そう、ここはこういう具合にだだっぴろかったのだ。僕が知るRPGの表現の中でも一、二をあらそう冴えたやり方だったのだ。

 この場所に来たら、もうゲームの終わりが近いと僕はなんとなく記憶していた。ここが最後の見せ場なのだ。ヤマ場はもうちょっとだけあるけど、記憶に深く刻まれる見せ場はここが最後っていうか、あと残るは本当に最後の最後のクライマックスだけっていう意味でここが最後なのだ。
 そんなことを思っている間にもゲームは進み、ああそうそう余談ですがこの場所でゆかいな預かり所ことエスカルゴ運送を頼んでみると、けっこうレアで面白いメッセージが聞けます。いまゲーム遊んでるという人(いるのか)はぜひおためしあれ。本当に余談ですが。

 そんなこんなで、ゲーム開始以来ずっと探し続けていたアレの最後のひとつを手に入れる。これまた最後だ。ああ、やっぱり最後なのだ。とうとうこんな場所まで来てしまったのだ。

 ……えーと、ごめんなさいまだ見せ場が残ってました。

 ぜんぜん忘れてました。そうです、まだこの場所があったのです。
 このゲームについて知ってる人は今日の日記を読んでて腑に落ちなかったことでしょう。ええそうです僕はまだここが残ってるということを完璧に忘れていました。そういう視点でここまで書いてました。
 もちろん詳しくは書かないけれども、そこは言わば幻想的な世界。そこにたどり着いたのだった。もう本当詳しくは書けませんが、なんでこんな印象的で時に感動的ですらある場所のことを忘れてたんだろう。ていうかバカだろオレ! どう考えてもこれを忘れるシステムが想像つかねえよ!
 と自分で納得がいかないくらい、この場所は素晴らしく、にもかかわらず「そういやこんなところあったなあ」レベルですら憶えていなく、しかしまあ忘れていたおかげですごく新鮮に楽しめたりもしました。何度かちょっと泣きそうになりました。

 いまさらだけど、攻略本を買おうと思う。
 いや本当に。こんなにも簡単に忘れてしまうのは、なんつうかもったいないと思うんですよ。たぶんこれゲーム終わったらまたこの場所のことも忘れてしまいかねないじゃないですか。それはあまりにももったいない。記憶を固定するために、一種のアルバムとして買っとこうと思う。

 そしていま、まあなんていうかあれこれあって、「最後の最後」にあたるはずの場所にいるところです。
 僕のものすごくあいまいな記憶によれば、ここが最後の最後だったはずだ。まあ、あてにならない記憶だけど。ここに至るまでのどこかグロテスクな、だからこそあまりに切ない展開を僕ははっきりと憶えていた。この先で起こる「最後の戦い」で何が起きるかも、たぶん攻略本無しでも一生忘れないってくらい憶えている。いよいよ最後だ。
 とはいえ、今日はもうけっこう長く遊んでたので、一応この場所でセーブして電源を切ろうとした。
 ……ああ、忘れてたなあ。セーブしようとするとこんなメッセージが聞けるのか。いまゲーム遊んでるという人(いるのか)はぜひおためしあれ。

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2006.07.26(MOTHER2より)

家に帰るまでがMOTHER2です

 ゲーム終わりました。
 正直いささかぬけがらのようになっております。あーなんだかなーもう今おもえば遊んでる時がいちばん楽しかったよなー(※普通)。
 いや本当に遊び終わってしまいもうあの愉快だったMOTHER2に先が残ってないのって結構ショックだ。そりゃMOTHER3はもちろんありますが、そういうことじゃなく。

 まあ最後の方なんで詳しいことは書きませんが、ラスボス的存在のアレが現われて、ええこんなデザインだったっけと思ったり、えーとアイツがいるということはまだあわてるような時間じゃない(スラムダンクの仙道)ということかと思ったり、いやほら前に遊んだ時のことを憶えてるからその辺は、でもそろそろあわてないとひょっとして全滅の危機に瀕してねえ?とか、ていうかこのボス超こええ! そして超つええ!とか、なんやかんやあったあげく、全滅一歩前でどうにか勝てました。前に遊んだときはもうちょっと余裕をもって勝てた記憶があるんだけど、装備が違ってたのかなー。

 で、ラスボス戦後。どのRPGであろうとおなじみの宴じゃ、今宵は宴じゃ!的な空気(注:別に宴ははじまりません)。このときも各キャラの反応というか身のふり方をけっこう忘れてたり勘違いして憶えてたり。12年遊ばないでいるとこんなに記憶ってあいまいになるもんなのか。あのキャラと一緒にあそこまで行ったっていうふうに憶えてたんだけどなあ。他のゲームとごっちゃになってんのかなあ。

 家に帰る。およそ世の中のすべてのRPGの最後は家に帰るか、新たな冒険が始まるかのどっちかなのだ。このゲームでは世界の大半は地続きになってるので、せっかくだから道なりに帰ってみることにする。瞬間移動的な手段はこの場合なんだか無粋な気がする。
 バスに乗ったり歩いたりして家に帰る道すがら、この高揚感と全部が終わろうとしている残念な気持ちがないまぜになった気持ちが何かに似ているような気がしたけど、いまひとつ思い出せない。
 途中に立ち寄った店の公衆電話で家にいる母親に電話をかける。当然ながら今までとは違うメッセージが聞ける。ああ早く家に帰らないとという気にもなるが、もうちょっとだけ寄り道をする。

 初代『MOTHER』は間違いなく母親の物語だったけど、今回のMOTHER2は基本母親関係ない話だよなあ、なんてことをゲーム遊んでる最中は思ってました。MOTHERの続編だからMOTHER2、まあ魔竜との戦いの物語だった『ドラゴンクエスト』の続編がべつに竜あんま関係なくても『ドラゴンクエストII』なのと同様、MOTHERの続編だからMOTHER2でもおかしくはないか。とかいうふうに思ってました。
 でもやっぱりそうじゃなく、家に帰って母親にただいまを言うまでがMOTHER2なのだ。いまの電話でやっと気がついた。さあ、家に帰ろう。

 あ、最後になってこの帰路の気持ちが何に似ているのかやっと思い出した。
 子供のころの修学旅行とか合宿とか、遠出してちょっとした冒険を終えたあとに家に帰っていくときのあの感覚だ。
 さあ、家に帰ろう。ずいぶん久しぶりに家に帰ってくつろごう。

 そうして、このゲームはゆっくりと終わっていったのだった。

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