人生: 過去ログ 2006年06月

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過去ログ 2006年06月

※下に行くほど新しい記事です。

2006.06.03(MOTHER2より)

 『MOTHER2』を遊ぼう! 『MOTHER2』を遊ぼう!(2回言う)

 書き間違いではなく、『2』である。『3』が発売になりそれからちょうどひと月がたった今あえて『2』である。いちおう『3』も発売日に買ってはいるんだけどそれより先に『2』である。『2』ったらアレよ、12年前に発売されたゲームよ実際。
 それでも今あえて『2』である。まあ正確にはゲームボーイアドバンス版に移植された『MOTHER1+2』の『2』である。もちろん初代スーファミ版も持ってるんだけど、まあせっかくGBA版買ってあったので。
 そうなのだ。GBA版『MOTHER1+2』も発売日に買ってはいるのだった。ちなみにこれは3年前の発売である。3ヵ月くらい前にお値段ひかえめの「バリューパック」版が発売されたそうだけど、そんなの当時の僕は知ったこっちゃなく余裕で定価で買ったのだった。寝かしていたのだ。積んでいたのだ。それを言ったら『3』も今まさに現在進行形で積んでいるのだ。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 思えば12年前、あれは僕が学生だった頃の話。『MOTHER2』は素晴らしい体験だった。ひと夏の体験だった。雰囲気で言えば。あれ発売されたのって夏だっけ冬だっけ。とにかくワンダラスな体験だったのだ、雰囲気で言えば。
 その後時は流れ、時代はスーファミからプレステに流れそしてMOTHER3はニンテンドー64で発売されるような気がしたがすべては風の中に消えていったりしつつ、いつの間にかプレステはPS3が激高い値段で発売されようとしておりゲームキューブは比較的なかったことにされつつもWiiにかけられる期待は大きくニンテンドーDSは世界中にタッチペンの音を響かせ(詩的表現)、そういやそのひとつ前のハードにあたるGBA用として『MOTHER3』が発売されていたのだった(すごい着地点)。時の流れスゲエそして時間軸をまったく無視して発売されるMOTHER3凄え。
 僕はといえば『MOTHER3』が出るとならば買わずばなるまいそして遊ばずばなるまいってんで速攻購入したわけですが、いやちょっと待て。ここで僕はふと思ったのだった。
 『2』……そういや1回しか遊んでなかったなあ……。

 そうなのだ。発売された年に遊んでクリアした1度きりしか『2』を遊んでないのだ。こんなことではいかんのだ。何がってことはないが、なんつうかもう1回くらい遊ばないと何かをソンしたような気がするのだ。思えば僕は好きなRPGは必ず2度3度遊んでたのだ。ファミコンスーファミのドラクエしかりファイナルファンタジーしかりである。
 2度目は初回プレイと違ってサプライズのない状態でじっくり味わいながら遊ぶのだと言えばなんとなく雰囲気は伝わるでしょうか。ええ貧乏性ですよもちろん貧乏性ですとも。
 そういや『2』は1度しか遊んでなかったのである。で、そんなことを思ってGBA版の『MOTHER1+2』を発売日に買ったのだった。そうだったそうだった。それでいてなんとなくずるずると遊ばないまま時が流れて結局『3』の発売日を迎えちゃってたのだ。何やってるんだいったい。もちろんこの間には廉価版のバリューパックも発売されている。
 ……『MOTHER2』を遊ぼう! 『MOTHER2』を遊ぼう!(やはり2回言う)
 今度こそ遊ぶのだ。いま遊ばないときっと『3』を先に遊んでしまうのだ。そうするときっとますます古い作品である『2』を遊ぶ気にはならないのだ。そんなことではいけない。『2』を、あの素晴らしい体験を1度だけしかしないなんてもったいないじゃないか!
 貧乏性ですよええ貧乏性ですとも。

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2006.06.04(MOTHER2より)

ムダダァー!

 12年ぶりのMOTHER2だ。
 電源を、ええと電源っていうのは僕の場合家庭用テレビでGBAのソフトが遊べる『ゲームボーイプレーヤー』(ゲームキューブ用)で遊ぶのでつまりゲームキューブの電源ってことですけど、ややこしいですかすいません。GBAは持っているけどMOTHER2はテレビ画面で遊んでこそ華なのだ。意味はわからないのだ。懐古趣味かなんかじゃないですか、自分でもよくわからないけど。
 とにかく電源を入れて印象的なオープニングデモ(*1)を眺めていると、あるひとつのことを思いだす。
 そうだ、MOTHER2は丁寧に作られたゲームだった。

 デモ画面の小さな枠の中でちまちまと動くドット絵のキャラクターを見て僕はやっと思い出した。このゲームは本当に丁寧に作られたゲームだったのだ。
 ドット絵のひとつの頂点というレベルまで描き込まれたデジタルなグラフィック。その中でええっ、こんなモノが動いちゃうんですかっていう新鮮なおどろき。ああもうずっと忘れてたけど、かなり先の方のあの場面でアレが動くんだったっけ。
 スタートボタンを押して名前入力画面。「おまかせ」ボタンを押すたびにいい意味でも悪い意味でも適当な名前が表示される。いやていうかあれ、適当すぎないか本当に。笑っちゃったけどさ、12年ぶりに。
 名前を入れ終わって「おわり」を押すと男の声で「オッケーですか?」と声がする。うわあああそういやそんな演出あったなあこれ。そりゃ当時格ゲーとかで「昇竜拳!」とか「ラウンド1、ファイト!」とか声がしてたからさほど珍しい技術でもなかったんだけど、名前入力の確認のためだけに、それも「オッケーですか?」なんていう力の抜け切った声を入れるなんて常識では考えられなかった。ていうかいま現在でも普通にありえない発想だと思う。そうだ、この意味のないデティールだ! これがMOTHER2というゲームだった!

 MOTHER2の枝葉末節のこだわりは過剰なほど丁寧で、それが実際ゲーム進行にはおよそ不必要な丁寧さだったからこそ、それは貴重だった。こんな無駄なことにこんなに精力を傾けているゲームなんて、他にはなかったのだ。誰も見たことがないゲーム体験がそこにはあったのだ。たとえそれが「オッケーですか?」であっても。
 名前入力のすぐ後に、今にも何かが起こりそうな奇妙な夜の経験が始まる。1人として事務的なセリフ(「ここは オネットの まち です」的なやつ)をしゃべらないキャラクターたちの、しかしおおむねゲーム進行にかかわりのないセリフを楽しむ。ああ本当にポーキーはだめなやつだ。飼い犬の仕草のかわいさにやられる。ドアが馬鹿馬鹿しくノックされる。未来よりの使者は重々しい事実をまったく重々しくない表現で伝える。ポーキーは本当にどうしようもなくだめなやつだ。未来よりの使者を見直すような出来事が起こる。そしてすぐ後に、見直したのはやっぱり間違いだったかもと思わされる。BGMが矢継ぎばやに変わっていく。そして、現われる写真屋。
 そうだ、写真屋だ! 僕は写真屋のことをすっかり忘れていた!
 このあまりにもナンセンスで、たぶん小説でも映画でもマンガでも許されないであろう痛快な存在のことをここであえて詳しくは語りませんが、彼こそがMOTHER2だと僕は思う。あまりにも意味がなく、それでいて重要で、プレイヤーのためだけを思って作られていて、見た瞬間に面白いと思わずにはいられないこの写真屋! これがMOTHER2というゲームだった!

 ゲームは丁寧なまま進み、いま不良集団との抗争に終止符が打たれたところです。もちろん素晴らしく無駄なデティールの積み重ねの末に。

*1 オープニングデモ

オープニングムービーという言葉はこのときまだ無かったし、これはまた確かに広義のムービーとも違うと思う。

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2006.06.05(MOTHER2より)

最初の迷宮

 ええと懐古趣味的な思い出いっぱい日記だったはずのこの日記ですが、今日は昔のことはいっさい書かずにゲーム中に思ったことをだらだらたれ流します。なぜなら憶えてないことばっかりだったからだ!(頭わるそう)
 ちなみに場所としてはいわゆる最初のダンジョンですよ。ダンジョンといえば英語では地下牢のことを意味する狭い語だそうですが、知ったことじゃないのだ。あれはダンジョンといったらダンジョンなのだ。

 で、入ったとたんに現われる敵! このくらいならいいだろうから言っちゃうと具体的には「ぐれたネズミ」!
 仮にも僕(が操作する主人公キャラ)は前回町のワル、いわば町のダニ・愚連隊どもを壊滅に追い込んだひとり週刊少年マガジンである。少年マガジンに対していささかの偏見があるかもしれないが気にせず進める。町を牛耳る悪党、いわばハート様(*1)をも一撃でのした世紀末救世主ことこの僕相手に「ぐれたネズミ」程度の弱キャラが相手になるとでも思ったかってうわあこのネズミ超つええ!

 思うんですけど、ぐれたネズミにSMAAAASH!(*2)されるとものすごく腹立たしい(←とてもストレートな意見)。まあ、逆にこっちがぐれたネズミ相手にSMAAAASH!決めれた時はとても気分がいいんですが。今までやられてる分。
 あとこの文書いててふと気付いたんだけど、「ぐれたネズミ」って名前、『ウィザードリィ』とかに出てくる「GREATER DEMON」みたいな「グレーター」の洒落だったりしないだろうか。しないか。しないな。ごめん思ったことをそのまま書くのも程度問題だって気が付いた。

 とにかくこのダンジョン……一筋縄では行かないという事か……等、顔に斜線が入りつつ歩を進めたわけですが、そこで思ったことはこうだ。
 うわ小っちゃ!
 小っちぇえ!
 ……やっぱり本当に小っちぇえ!

 何のことかといえば、敵のことである。このゲームではフィールドを歩いていると敵が寄ってくるのである。『ロマンシング・サ・ガ』風味であるが、たとえた結果かえってわかりにくくなっているのである。
 ちゃんとたとえれば、歩いていればネズミが寄ってきて、そいつに触れれば画面がピカピカして「ぐれたネズミ」との戦闘シーンに移ったりとかまあそんな具合なのだけど、こいつ小っちぇえ! この敵マジ小っちぇえ!
 いやそりゃこいつ敵といっても基本は虫(ドラクエでたとえると「おおなめくじ」を小さくしたようなもの。……それはなめくじじゃろか)ですから小さいのも道理ですが、だからって画面上でまで2ドット程度の存在にしなくっても。
 あいかわらず無駄に気の利いたアイデアにあふれているゲームなのだった。

 それでまあダンジョンを進んでいくうちに思ったんだけど……なんか……敵、強くない?
 い、いかん! すでに手持ちのハンバーガー等(*3)がジリ貧だ! そしてPP(*4)もまたジリ貧だ! これをわかりやすく言葉にすると「死にかけ」となろう。ち、ちくしょうネズミめ! あとアリ! 虫や小動物レベルでハート様(違うと思う)より強いってそんなのズルイと思います!
 とかなんとかで逃げ帰ったり、ダンジョンと実家を行ったり来たりで探索兼レベル上げ。いま普通に「ダンジョンと実家を行ったり来たり」って書いたけど、それもけっこうすごい状況だと思う。

 さて、このゲームけっこう簡単にレベルが上がりそして一気にパラメータが上昇するので、ある程度鍛えれば目に見えて強くなる。もうぐれたネズミにも後れをとったりはしなくなった。奴などグレーターの名にはほど遠いわ!(勝手に言ってただけ) ぐれた刑事純情派とでも名乗るが良いわ!(「ぐれ」だけでここまで適当言えるのも凄いと自分で思う) などと調子に乗っていたものの、ボス的存在を目の前にして、うん、なんつうか死にかけた。
 ぼ、ボスものすげえ勢いでHP削ってくるんですけど! 一撃でこっちのHPの1/3くらい奪うんですが! こっちも覚えたての攻撃魔法で大ダメージを与えてるんだけど、こっちが与えるのと同じように相手も奪っていく。まるで……男と女ね……(うまいことを言ったつもり)。
 ドラムリール式にHPがグワーっと下がっていく。あ、これこのサイトおなじみのわかりにくい比喩表現じゃなくて、このゲーム本当にドラム式(ガソリンスタンド式ともいう)でHPの数字がカラカラと減っていくのです。このボスから一撃受けたらもう本当すごい勢いでカラカラ回るのです。この数字がゼロになったら「きぜつ」すなわちゲームオーバーなのです。「きぜつ」になるとやっぱりドラクエ方式で画面に表示される文字も赤い字になるんだけど、これはHPという名の家計が赤字とかいう洒落だったりしないだろうか。←反省の色なし
 そんなこんなで回復魔法も回復アイテムも底を尽き、ていうかなんていうのムダ話をしてる間に僕はあと一撃で確実に死ぬる雰囲気ですが! 相手がたまたま攻撃を外すとか神が味方しねえと死するよ平気で! で、普通に一撃食らった。
 例によって物凄い勢いで回るHPのドラム。計算上確実にゼロである。赤字めがけてカウントダウン中である。
 あれ、待てよ……?
 こ、このドラム回ってる間にもコマンド入力できてね?
 そうだ。いま思いだした。MOTHER2ってそういうシステムだった。
 せめてあと一太刀!(太刀ではない) ゼロに向かって激しく回転するドラム。コマンド「たたく」でAボタン。ボス敵を選んでAボタン。回るドラム。急げー! 戦闘メッセージが表示される間にもドラムは回り続ける。Aボタン連打でメッセージを送る。主人公の攻撃が当たって28のダメージ! ドラムはひとケタになってなおもゼロに向かって回転中。
 止まった……?
 やった! 本当に時間ギリギリで倒せた!

 いやあ最初のボス戦でこんなドラマチックな展開になるとは思っていなかった。ついでにボスを倒した経験値でさらにレベルアップ。もうダンジョンのザコ敵どもなんか完全に逃げ腰である(自キャラとの差が顕著になると、本当にザコ敵は逃げていく)。くくく、まるで蟻のようだ……! いや事実アリなんですけどね、敵。

 ちなみにその後、さらなるイベント戦闘で普通に倒されました。いやセーブしてあったからいいんだけど、意外にドラマもなすすべもなく倒されたなあ。

*1 いわばハート様

違うと思う。

*2 SMAAAASH!

ドラクエでいうところの「かいしんのいちげき」「つうこんのいちげき」的なもの。ぐれたネズミはこれが出る確率が非常に高い。

*3 ハンバーガー等

「どうぐ」として「つかう」とヒットポイント回復。

*4 PP

PSI POINTの略で、えーと、ぶっちゃけマジックポイント。

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2006.06.06(MOTHER2より)

きのこの山

 昨日えらく苦戦したやつら(あえて具体的な表現を避けながら近いところを探すと、タックルベリーとかハイタワーとかマホニーとかそういう感じの)は落ち着いて回復とか重視して闘ったら無事に勝てました。激戦の末、テンションが最高潮に高まったところでいきなりオトしにくるこのゲームはさすがだと思いながら。

 さて当面の難関は突破し、いよいよ新たなる旅立ちである。少年の日々の新しい第一歩である。止まらない歩みの最初の一歩である。徹底的に中身のないことばかり書き連ねているよもちろん今。
 なんでこんなむだなことを書いて話を先延ばしにしているかっていうと、それはつまり新たに旅立てなかったからだ。
 本当なら旅立っていたはずなのだ。やや具体的に言えば2つめの町に向かい歩を進めていたのだ。少年の日々の新しい第一歩だとかそれはもういいですかすいません。
 問題は、あいつだ。きのこだ。

 きのこと言われてもゲームやってない人にはなんのことだかわからないでしょうが、それは確かにきのこなのである。茸。菌類である。なにぶん昔のゲームなので僕のゲーム日記には珍しくこういう細かいところはわりと具体的に書いちゃいますが、具体的に書いたところできのこである。
 とにかくきのこは敵なのだ。こう説明するとずいぶんファンシーなゲームっぽい雰囲気になってしまったが、これ本当このゲームやってないとなんできのこが敵なのかさっぱりだろうなあ。まあドラクエでいうところのおばけキノコとかマージマタンゴみたいなものだと思ってください。
 キノコ系のモンスターといえば毒を持っているのが通例である。それか少なくとも胞子的なものを放出して、ええとなんか眠らされたりとかしびれたりとか、そういうステータス異常とかやるもんじゃない? きのこってそういう所あるじゃない? で、こいつもご他聞に漏れずステータス異常を引き起こすのだ。
 具体的には、頭にキノコが生える。

 いやいやいやいや! それおかしいって普通に! ステータス異常とかそういうレベルじゃねえって単純に! それでもこいつの特殊攻撃を受けると主人公キャラの頭にキノコが生えるのだった。そういうグラフィックで。く、くだらねえ!
 前にMOTHER2の異常な「丁寧さ」ということを書いたけど、もう1度言ってみるとまさにこれこそがMOTHER2の異常な丁寧さである。こういうくだらないことのためにわざわざ余計なグラフィックパターンを用意してキノコを頭に生やしてみるのである。ちゃんと手の込んだグラフィックで。こういう明らかに無駄なデティールの積み重ねがボディブローのジャブのようにじわじわと効いてくるのだ。全編この調子でやってくるから、遊んでる方はどこか目くるめく思いをするのだ。たとえそれがキノコであってもである。
 キノコが生えたら病院に行って治す(正確には医者にかかるわけではない)。この治し方がまた人を食ってるというか、それはない。と言っちゃうようなハズし方をしてきて楽しいのだけど、とりあえず病院のある町まで引き返さないといけないのだ。そんなわけで今日は2つ目の町までたどりつけなかったのだ。歩き出してはキノコを頭に生やされていたのだ。

 あ、もちろん頭に生えるだけで済むわけではさすがにないです。ちょっとジャマになります。具体的には、十字ボタンを押した方向とキャラの動く方向が一致しなくなる。上を押したと思えば下に、右下を押したと思えば左上に。まーだいたい想像つくと思いますが、頭でわかっててもつい下に向かうつもりで上に行ったりして、すんげえやりづらいです。
 特にこのゲーム、画面上「敵に背を向けた状態」で敵と戦闘に入ると、必ず敵の先制攻撃になるからとても不便なのだ。キノコが頭に生えると。そのせいでますます2つ目の町に行くに行けなくなっているのだ。
 そんな感じで今日は2つ目の町に向けて突進中にきのこに出会い、そして頭に生え、なんか客観的に見てすげえフラフラしたあげくこのままじゃどうにもできねえとあきらめて1つ目の町に戻っていく(フラフラと)ということを繰り返していたのでした。

 しかしこれ、どうしたものだろう。この調子じゃいつまでも先に進まないんじゃないか。レベル的には比較的頭打ちだし。と、例によってフラフラと歩きながら僕は考えていた。
 右が左に、左が右に。あああややこしくってしかたがねえ!って、あれ、ちょっと待て。
 これ……もしかして、コントローラを逆さに持ったらすべてが解決してない? 上が下に右が左になるからってうわ本当だ、してる! うわあ、俺エジソンくらい頭いい雰囲気がある!(ない)
 これGBAで遊ぶ人にはあんまり効果ないんでしょうが、ゲームボーイプレーヤー使ってテレビ画面で遊んでる僕にとっては見事な王様のアイデアだった。正確にはキノコ毒は他にも「上が右に、右が下に」式に方向が90度ずれることもあるんだけど、それはそれでコントローラを縦に持ち替えればいい。か、完璧だ! これで俺は世界を統べることもできる!(できない)
 という感じでやっと攻略法に気付き、明日こそは2つ目の町にたどりつけると確信してセーブして電源切りました。
 しかしこれ、思いきりくだらないことで感動してるなあ。われながら。

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2006.06.07(MOTHER2より)

2つ目の町

 昨日発見したとんちアイデアを駆使してたどり着きましたのが2つ目の町。
 どんな町なのか、と君は問うかもしれない。そう……広い! おれはこの町を見て自分の小ささを知った。などと『華の慶次』より大胆に剽窃しながら説明してみたが、ことほどさようにこの町は広い。気がする(だいなし)。
 「ちず」で見るかぎり意外と1つ目の町とさほど広さは変わらないような気もするんだけど、なんとなく雰囲気的には広い。心の中では広島球場2個分は広い(広島球場の広さを毛ほどもイメージできないままたとえた。たぶん間違っている)。思うに、ここで起こっているいろいろなことの多さがこの町を実質以上に広く見せているんだろう。

 この町ではいま、何かが起きている(いつものことなのかもしれないが)。これから先、何かが起ころうとしている(町自体は単なる話の起点であって実際には町以外の場所で起こるのかもしれないが)。
 いちいち予防線を張っていたらなんだかよくわからなくなってしまった。とにかくこの町にはいわゆるイベントが多い。妙に多い。
 旅から旅のバンドマン達と、連日満員のライブシアター。それにいわくありげなオーナー。巨大で奇妙なバザール。それを治める元締めの存在。役に立つかどうかわからないまま売られている様々な物、物。ずっと前から出会うような気がしていた少女。都会ならではの巨大なデパートビル。長距離バスと不思議なトンネル。対照的なふたりの発明家。どこかにコミュニティを作っているらしい新興宗教集団。本当か嘘かもわからない誘拐事件。遠くにあるという「グレートフル・デッド」。

 何が起きるのか、何も起きないのか。さすがにこれだけあって何も起きないってことはないだろうけど、いったい何がどうなるのかはさっぱりわからない。
 ホテルに泊まって様子を見て、とりあえず当面なすべきことだけはなんとなくわかった。とにかくあそこに行こう。このこんがらがった町の糸も多少はほぐれるかもしれない(詩的表現)。それか、少なくともこの持てる限界一杯まで買い込んでもまだ余るアイテムの山をもうちょっと何とかできるようになるんじゃないだろうか。いや、そろそろパーティーに仲間が1人くらい増えてもいいような気がして。そしたらアイテム欄もけっこう増えると思うんだ。

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2006.06.08(MOTHER2より)

激戦区

 最後に『MOTHER2』を遊んだのがかれこれ12年前だから記憶もあいまいだけど、憶えているかぎりではこのゲームで苦労した記憶がない。
 詰まったりハマったりはもちろん、強いボス敵に苦労したとか長いダンジョンで道に迷ったとかそういう記憶がないのだ。たとえばドラクエとかだと必ずどこかで地道にレベルを上げたりして、それは結構はっきりと記憶に残るものなのだけど、MOTHER2に関していえばそういう覚えがない。わりと難易度ぬるめのゲームだったってことかしらねーなんてのんきに井戸端会議に花を咲かせていた僕なのだけど(※咲かせていない)。

 今日行った場所は、ものすごく苦労した。
 こ、このゲームこういうところあったっけ? いや、風景とかは見覚えあるんですよ普通に。そうそうここの橋がアレだったとか、そういえばここはこんなどうしようもないもの(*1)で道がふさがってたんだったとか、そうだこの辺りにこの敵が出てきたんだとか、そういう記憶は次から次へとフラッシュバックしてくんだけど、いやここ本当にこんな難所だったっけ?
 そこはぼかして言うなら自然林をもつ峡谷で、なんていうか敵がいっぱい出る(頭悪そう)。その場所の広さもあいまってそこはまさにデス・バレー(死の谷)と化していた。英語憶えたての中学生っぽい語彙で表現してみた。
 なにこの敵、平気で一撃でHPの15%は持ってくんですが! あるいはこっちの敵、平気でPP(*2)の15%は持ってく特殊攻撃を使うんですが! あとこっちの攻撃、しばしば当たらねえ!

 消耗戦である。HPはすごい勢いで削られ、回復のためにPPはどんどん減っていく。しかもPPはPPで敵に吸われる。敵を何体か倒したあたりで、これはもしかして死にかけているのではないだろうかと早くも思う。
 緩慢な死である。死の顎門(あぎと)に捕らわれかけているのである。だってほら、HPが100回復する超能力は1回に5PP使うのに、いまやHPが50/163でPPが7/50なんですが。
 これ、普通に考えて死の1歩手前じゃねえ? てなことを思っている間にも敵は現われる。よけいなステータス異常とかも食らう。いやそりゃたしかに回復する超能力もあるけど、それはそれで5PP使うんだって!
 こりゃー確実にあと1回の戦闘で死ぬるなー。となかばあきらめモードに入ったそのとき、運良くHPとPPをけっこう回復してくれるヒラヒラしたもの(具体的な記述を避けてみた)があらわれた。
 ちょっと一息ついた。完全回復したわけじゃないけど、あと5、6回は余裕で戦える。
 ……そんな程度ですみそうにない。
 ちょっと暗澹たる気持ちになった。うわあここまでの道のりと画面のすみに見えた「あっち側」の様子から類推してあきらかにPP足りてねえ! かといっていまさら戻ることもできねえ! 今まで歩いてきた道のりだからわかる。戻ったら確実に途中でPP切れだ。
 まだ戻るよりは可能性があるから先に進むのだけど、まあ思った通り先は先で長い。敵にがんがんHPを削られ、回復につぐ回復で早くもPPは尽きかけている。道に落ちてたプレゼント(他のRPGでいう宝箱のようなもの)を開けても、HP25しか回復しないようなものだったりする。まあ無いよりましだから取るんですけどね。アイテム欄満杯だから泣く泣く売れば金になるモノも捨てたりしつつ。
 そんな限界に近いやりくりをしててもっていうかしてるからっていうか、やっぱり限界はある。
 もうダメだ確実にあと1〜2回の戦闘でどうしようもなくなる。と思った矢先、運良くHPとPPをけっこう回復してくれるヒラヒラしたものがあらわれた。

 そうなのだ。
 後から思うに、あのヒラヒラしたものがまさに絶妙な位置に配置されていたのだ。どんだけ絶妙なんだと思うが、決してPPが減ったら自動的に現われるとかそういうアルゴリズムで出現するんじゃなく、あらかじめ決められた位置に現われているだけのようだ。その後も何度か遭遇した状況から考えて。
 この絶妙さたるやどうだ。もう限界だと思ったそこに救世主のようにあのヒラヒラが現われるのだ。それはもう何度も何度も。
 凄い配置だと思う。敵の出現や動きのアルゴリズムを見るにおそらく(ドラクエ的な)ランダムエンカウント方式よりはずっとこういう配置がしやすい設計になってるとはいえ、それにしたって見事だと言わざるをえない。
 なんだかんだで、1回の遠征で無事にこの死の峡谷を抜けることができた。道中あれだけ苦労したはずなのに、結果的には何のレベル上げもせずに1回で到着である。こういう凄まじいバランス調整のおかげで、苦労したっていう記憶がないんだろうか。なんだか変に納得してしまった。

 死の谷を抜けて、いまは蒼く気味の悪い町にいます。たぶんあそこに行けばボス戦が待ってると思うんだけど、さすがに疲れたのであそこに行く前にセーブして終わりました。

*1 どうしようもないもの

本当にどうしようもない。どういう種類の直感がはたらいてもこんな物体を仮にもRPGに出そうという気になるとは決して思えない。かといって綿密な計算のもとにこれなのだとしたら、それはそれでもっと問題だと思う。

*2 PP

説明しておくと、マジックポイント的なもの。

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2006.06.10(MOTHER2より)

青くぬりつぶせ

 いまの進行状況を先に記しておくと、青色に染まったある町でいわゆるボスを倒し、その先にある洞窟を攻略せんとしているところです。

 気持ちの悪い町だった。
 青色に染まったあの町は、ゲームのイベントだからとか、アレがアレに捕まっているからとか、そういうの抜きで「ここは僕がなんとかしなければならない」と思うような場所だった。
 簡単にいえばどっかおかしいのだ。連中は。
 いや今までも町で凶暴化して突然襲ってくる連中とかはいて、それはそれでどっかおかしいと思うんだけど、そういう意味じゃなく。微妙になく。
 彼らは基本的に善良なのだ。「あれが?」とこのゲームやった人は思うかもしれないけど、僕は善良だと思いますよ彼ら。
 しゃべり方とか態度とかから判断して基本的な部分はすごく善良だと言わざるをえないんだけど、判断基準だけが確実にズレてんのだ。客観的に言って誤ってそうな判断基準にしたがって善悪が決まっているのだ。どう見てもズレた善行をみんなが積んでいて、みんなの中ではそれはOKになっている。はたから見ている立場のプレイヤーである僕なんかはこれが気持ち悪くってしょうがないのだ。
 そして悪の基準もやっぱりズレてて、僕からすればひどくささいなことやぜんぜん悪くないことで大いに断罪されたりするのだ。こんなひどいことをするやつは何をされても文句は言えない的な空気が流れるのだ。べ、別にこれはいいじゃん普通。いいよね……? と周囲を見回してもまったく同調される雰囲気はない。明らかに僕のほうがどっかおかしい奴になっている。むしろ排除されてしかるべき悪になっている。うわあ気持ちわるい!

 この町で起きるイベントを大真面目な視点から言えば「集団的狂気やカルトの表現」ということになるんでしょうしそういうのは小説とか映画とかでさほど珍しくもないとは思うんですが、ゲームで実体験する(変な表現)となると話は別だ。なまじゲームって感情移入度高いじゃないですか。基本、プレイヤー本人に向けて語りかけてくるじゃないですか。そういう立場で遊ぶと、うわあ何か本格的に気持ち悪いわあ。

 と、なかなか珍しい体験をさせてもらったこの町も無事ボスを倒していい感じになりました(具体的表現をさけるとすごく適当な文章になった)。
 いま現在、ここの先にある洞窟で世界に8つだか7つだかある重要なもの(ドラゴンボール的なもの)を探しに行ってる最中ですが、ここ中盤の敵つええ! これもしかしていったん前の町に戻ってから洞窟に行くのが正解なのかなー。でもそうするとそれはそれでえらい遠回りなんだよなあ、等と悩みつつ。

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2006.06.11(MOTHER2より)

少年の瞳

 何度も書いている通りMOTHER2を遊ぶのは2回目なんだけど、前回すなわち12年前のプレーと今回のプレーでは、ゲームを見る目が違っている。僕の見る目が。
 個人的な思い出話(おおむねうざい)をさせていただくと、12年前の僕は正直素直にゲームを遊んでなかったと思う。
 たとえばこの主人公だ。説明書とかに載ってるオフィシャルな紹介文とかでは、いわゆる普通のどこにでもいる男の子的なことになっている。まあファイナルファンタジー風にガチガチに設定が決まっているわけではなく、むしろドラクエ級に主人公のセリフが省略されてるゲームだからあくまでアバウトな設定なんだけど、とにかく「普通の男の子」だ。見た感じも原色の野球帽に短パンTシャツのメチャ元気っ子である。どっから見ても絵に描いたような快活で素直でやや単純で子供っぽい、そんな子供という設定でグラフィックも描かれている。町の人たちのメッセージもやっぱり快活で素直でやや単純で子供っぽい子供に向けたような言葉をしゃべっているように書かれている。←ややこしい文章ですね。
 しかし12年前の僕はこの設定に反逆していた(カズマさんばりに)。かつて素直な子供じゃない子供だった僕的には、そんな絵に描いたような素直な子供に感情移入できないような気がしたのだ。その発想自体がすでに素直じゃないのだ。ツンデレなのだ。それはどうか。
 で、そんな当時の僕がどうしたのかというと、「この主人公はちょっとした不良少年である」と思うことにしたのだった。キャップをはすに被りボーダーのシャツを着崩したブカブカハーフパンツのちょっとした不良少年である。
 別に僕自身は素直な少年ではなかったにしろ不良少年ではいっそうなかったのでそれはそれで感情移入できないような話だが、なんつうの不良少年にあこがれて的なところってあるじゃない。素直な少年なんざ軟弱でいけねえが不良少年ならまあアリだなっていうところで、そういう着地点で遊んでたのだった。
 もちろん制作者が推奨する遊び方ではないからところどころ矛盾も出て、ふとホームシックにかかったりする(本当になる。ステータス異常で)のは、えーそれはちょっとという感じだったりするんだけど、まあこのゲーム基本主人公がしゃべらなくてプレイヤーのイマジネーションにまかせる的なとこが大なのでそれなりに遊べたのだった。

 最近仲間になった少女(そういえばこの日記ではぜんぜん書いてないけど、なりました。仲間に)なんかも当時はいろいろ考えていた。余計なことを。
 まず第一にこの少女が優等生的ないい子であることが認めがたかった。これゲーム遊んだ人ならわかるでしょうが、かなり根本的なところからの否定である。どっちかといえば全否定である。しかし、こんな素直で真面目でいい子には血が通った感じがしねえんだよ! と、あきらかにおおげさなことを考えていたのである。当時の僕は。謝れと言われれば素直に謝る。むしろ言われなくとも謝ろう。ごめんなさい。
 何が彼女をそうさせたのか。優等生的な自分を演じなければいけなかったということか。そういえば彼女の生家は教育施設であり、ある程度の厳格さはあったのではないか。そこにもってきて超能力である。ゲーム中の設定でもちょっとした有名人である。周囲から注目される立場であり、ことさら自分を強く律しなければならなかったのではないだろうか。
 また彼女専用の戦闘コマンド「いのる」のことも考えた。クリスチャンの家庭であったのかもしれない(*1)。超能力はある面では神の奇跡ととらえることもできるが、一歩間違えば悪魔憑き扱いである。彼女には自分が悪魔憑きなのかもしれないという恐怖が根源的にあり、だからこそ誰からも認められるような優等生を演じ続けていたのだ。そう考えればつじつまがあう。……何のつじつまだっけ。書いててわかんなくなってきたけど。
 しかし本当にこんなことを当時の僕は考えていたのだ。今となっては何を考えていたのかよくわからないが、リアリティを求めていたのだと言えば言えるだろうか。当時は初期のスティーブン・キングとか読み漁ってたのでその影響もあったのかもしれない。ちなみにこの勝手なオレ設定が怪我の功名でラスト付近でものすごくうまく機能して個人的に感動を呼んだのだけど、それは余談だ。

 とかなんとか、ずいぶん前置きが長くなってしまった。まさかこんなことになるとは僕も思ってなかった。とにかくこれが12年前の僕であったのだ。
 さて、今の僕である。
 これがびっくりするくらい普通にゲーム中の設定を受け入れてしまっている。主人公は素直な少年だし仲間の少女は後ろ暗いところのない優等生な女の子である。
 この12年の間に心境の変化があったとかそういうのはよくわかんねえですし読んでる人も興味ないだろうから分析する気はさらさらないですが、とにかく設定を受け入れてみるとこれはこれで見えてくるものがある。
 ……あの当時はリアリティが感じられねえと切って捨てた設定だけど、うん、これはこれでリアルだった。そうだったのか。

 スレて世慣れた不良少年では味わえない感覚を、僕は今回のプレーで味わってます。
 1人だけで知らない町を歩く孤独さと爽快さ。慣れないバックパックの重さ。電話の向こうから聞こえる両親の声のありがたさ。帽子越しに感じる太陽の熱気。
 大人からむき出しの敵意を向けられたときの恐怖。人なつっこく接することの気持ちの良さ。ちゃんとしたホテルに子供1人で泊まるときの緊張感。それに慣れてくることの誇らしさ。
 そういうものを、このゲームからはリアルに感じている。そういうアンテナを立てていればそういうことを感じるように、このゲームのメッセージは、音楽は、グラフィックはできているのだ。

 こうやって話を進めていくと、どうしても結論として僕も丸くなったもんだね的な話になりそうでそれはさすがに文の流れとして気持ち悪そうなので話をぶった切りますと、今の進行状況は3つ目の町に着いたところです。

*1 クリスチャンの家庭

これ「いのる」コマンド以外にも『MOTHER1』からの連想もありますね。

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2006.06.13(MOTHER2より)

がんばれメガネ君

 前回の日記はヘンに長かったけど、要約するとこういうことだった。
  1. 昔遊んだときは主人公たちの設定をヒネていじくってたけど、今回素直に遊んでみるとそれはそれで心にくるものがある
  2. ところで3つ目の町についた
 これだけのことを言うがために何十行もダラダラ書けるんだから推敲というのは大事だと思います。

 さて、今日の日記は前回の直接の続き。むろん推敲とかはしない。
 「3つ目の町についた」と言ったものの、これゲーム遊んだ人ならわかるでしょうが町についてすぐに衝撃の急展開がおとずれるのだった。そして「ゲーム遊んだ人ならわかるでしょうが」とか書いたものの、かつて遊んでクリアした僕はとうぜんわかっていてしかるべきところだが、すっかりこの衝撃の急展開のことを忘れていたのだった。

 そう、このゲーム日記をアタマから読んでる人はうすうす感づいていると思いますが、僕はこのゲームの展開をおよそほとんど忘れています。いや、まさかこんなに忘れているとは思ってなかったんだ。ゲーム遊ぶ前は。よしんば忘れていたとしても、実際にゲームが進めば「あーそういえばそうだった」的に思いだすと思っていたんだ。
 しかし実際に遊んでみたらどうだ。ぐれたネズミにはじまり、小さい敵とかキノコとか2つ目の町とか死の谷とか青く薄気味悪い町とか、ぜんぜん思いだす気配もねえ! 確実に初プレーと同じレベルでビックリとかしてるよ! そう、むろん今回の急展開もだ!

 こんだけ急展開なら憶えていそうなもんだけどなあ。と言ったところで思いだせないままゲームは進む。まあこれはこれで新鮮に楽しめるんだからいいことなんだろうだけど。
 さて、今の状況を克明に書くのはなまじ急展開だけにはばかられるので端的な面だけを切り取ると、主人公その3が登場したところです。僕はいま主人公その3を操作しています。

 前回の日記で書いたとおり、この主人公その3についても僕はえらくうがった目で見ていた。ぶっちゃけルックスのさほどイケてないガリ勉くんなんか萌えねえじゃん? 勉三さんですよ勉三さん(※『キテレツ大百科』より)。とか当時の僕は思い、もうちょっとイケメン補正をかけて彼のことを見ていたのだった。みなさんも当時の僕に言いたいことはあると思いますが、僕も同じくらい当時の僕に言いたいことがあるので許してください。
 今の僕はそんな野暮はしない。いやまあそれがそもそも野暮かどうかもよくわからないけど、とりあえずしない。素直にいまいちイケてないガリ勉タイプの彼を操作しています。
 そういう目線で遊んでたんですけど……これ……せつねえわあ。
 今までの主人公その1は言ってみりゃ天真爛漫ボーイでしたよ設定上。その彼をひとりで動かすのと、今回の主人公その3をひとりで動かすのはもう全然意味合いが違ってくんのね。
 だって彼確実にイケてないんですよ。いや見た目はともかく性格的に。ぜんぜん書斎派なんですよ主人公その1とかと違って。そんなおよそ冒険と無縁だったろうこの彼が、どうしてもやらなくてはいけない事(しかもそれが他人にはわからないあいまいな理由)のために人生で初めてのたった1人の冒険に旅立ってるんですよ。なんか見てて涙とか出そうになる。
 また演出がもうすっかりそのノリを補強してて、寒々とした道中の風景とか道行く人がふいに見せるしょぼいあたたかさとか、優しい中にもひどく感傷的なBGMとか、もうゲーム全体を通してせつなさせにかかってんの。せつなさせに(新語)。
 もうゴメン、イケてないなんて言って僕が悪かった! ガンバレお前マジで! 応援してるぞ、みんな応援してるからキミのこと!

 ゲーム進行上は、ある道楽のもと作られた施設を乗り越えた(らしい)ところでセーブして電源切りました。いったいいつ彼はひとりきりじゃなくなるんだろうか。小銭も持ってないところがまた泣かせるんだよなあ。

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2006.06.15(MOTHER2より)

旅の仲間

 せつない一人旅もおそらくなかばあたり(あいまい)を過ぎ、なんだかよくわからない洞窟に入る。この「なんだかよくわからない」は抽象的にぼかしたわけではなく、普通によくわからないというか特にいわれがない、素な洞窟であるのでむしろ説明のしようがないのだった。とりあえず敵とか出る。あと戦う。HP減る。食べ物食べる。回復。俺、お前、トモダチ(←よくわからなくなった)。
 友達といえば(←強引につなげた)、ちょっとした旅の道連れがここにいる。ゲームやってない人むけにぼんやりと表現すると、変わった動物である。アニマルである。浜口(とりあえず言いたかったが、後悔)。
 本当アニマルだけあってこれがまあ戦力にまったくならないんだけど、前回の日記で書いたようにことさらさびしい一人旅なので、こういうちょっとした道連れがいるのは心のなぐさめになるのだった。アニマルだけあって操作する主人公より遅れてついてきたりよけいな寄り道をしたりするんだけど、僕としてはうっかり置きざりにしないようにできるだけ待ってやることにしている。いや、ゲームシステムから考えてどんどん先に歩いていこうが画面が切り替わったらすぐ隣にいつのまにかいると思うんだけど、そうは言っても不安な一人旅なのだ。ここ強調するけど。大事な道連れなのだ。
 話の流れから言って、そのうちすぐに彼とは別れがくると思うのだけど、せめてそれまでは二人肩を寄せて歩いていきたい……人間って弱いものよ……
 とか言ってたら別れの時が来た。早え! しかもあいつ何の迷いもなく去ってくよ! いやしょせんアニマルですからそうだろうとは思ってましたが、涙の別れ成分がかけらもないなあおい。
 えーと、しょせん男は1人! 馴れ合いなど不要! そういう感じで! とかさっきまでと180度方針を転換して歩を進めてみると、見たことのない敵が現われた。
 前も書いたっけ。このゲームの場合敵はフィールド上を歩いていて、そいつにぶつかると戦闘になるのです。まあたいていの場合敵は主人公に猛烈タックルをかます勢いで迫ってくるので発見=戦闘といって過言ではないですが。
 そんなこんなでぶつかった敵。比較的巨大。まあBGMがわりとのんきなんで適当に戦ってみると、これが常識外れに強いんですがマジで。し、しまった、こいつボスか! さっきアニマルと別れたのはイベント直前だったからか!
 気付いた頃にはすでに回復アイテムも底を尽き、あと一撃で確実にSATSUGAIされるというピンチでどうにか倒しました。あ、あぶねえ!
 そして目の前にひらける謎めいた地形。巨大な遺跡。これは一大イベントの予感。
 …………特にできることがなかったので引き返しました。

 とんだスカシが入ったものの、道はまだ先に続いている。この先のどこかに何かがあるんだろうかって思ってたら見覚えのある敵がフィールドに現われた。
 お、おい、さっきのボス敵じゃんかこれ!
 無理無理ぜったいムリ、確実にあと一撃でやられるっていうのにこんなのと戦えないから! とか逃げ出したら別方向からもう1体現われた。虎眼流に道場破りに来たときの伊良子清玄ばりに逃げ場を封じられている。て、てめえら!(いちおう説明しておくと、『シグルイ』の話ですよ) そんなすくたれ者の僕ですが超人的な跳躍っぽい動きでなんとか包囲を突破。いやていうかあれ実はボスでもなんでもなかったのか。ザコ敵のくせにどんだけ強いのか。掛川に龍が潜みおるか。てな感じ(説明にならず)でほうほうのていで逃げ回る。
 走ったその先に見える謎の建造物! そして駆け込んだそこで彼が見たものは! TO BE CONTINUED。

 で、いまは3番目の町に話が戻り、今日が我々の独立記念日なのだ!と大統領がぶちあげかねないような戦いの火ぶたが切って落とされる寸前の場面です。肝心のところははしょってみた。

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2006.06.17(MOTHER2より)

土星より愛をこめて

 なんか知らんが今日のMOTHER2はものすごくいろいろあった。
 正直言って疲れました。今日はもう書かないでいいんじゃない? どうせ誰も読んでないだろ?
 とか言いだすときりがないので書いてみると、ええとまっさきに思いだすのはやはりアレだ。どせいさんだ。

 どせいさん。その響きに我々はある種の憧憬を感じずにはいられない。それはちょっと言いすぎたがひかえめに言っても『MOTHER2』を遊んだことのある人間なら誰しもどせいさんのことを忘れることなどできない。一方、遊んだことのない人には「どせいさん」と言われたところでさっぱりであろう。説明せねばなるまい!
 ごめん、無理。
 どせいさんを説明することの困難たるやどうだ。少なくとも僕に言えることといえば、たぶん土星には関係ないということぐらいだ。見よ、何の説明にもなってない。

 もうちょっと親切かつ具体的かつ僕のわかる範囲のことを書くと、どせいさんは謎のいきものである。たぶん。謎じゃないとは誰も言っていないというか誰も彼らの存在につっこまないので、もしかするとあの世界の中では全然謎でもなんでもないのかもしれないが、とりあえずゲームを遊ぶプレイヤーの立場からいえば謎である。とある場所で文化的な生活を営んで群生している。
 その姿は愛らしくも変なかんろくがあり、おおむね適当っぽい。そして話すことばはものすごくいいかげんなようでもあり深遠な哲学に裏打ちされてるようでもあり、ただひとつはっきり言えるのはおよそ日本語の文法としてどうしようもなく間違っているということだ。
 ここまでの説明ですごく気味の悪いものに見えてしまったかもしれないが、そんなことは決してない。遊んでみればわかるだろうけど、それはとてもほのぼのまったりとした、ものすごく体の力の抜ける存在である。ああ、なんて素晴らしいどせいさん。

 発売から12年が経つ今もってよくわからないのは、どせいさんが何者であるかとかそういうことはもちろんだが、そもそもゲームに何の関係があるのかということだ。必然性がないのである。このゲームおおむね必然性がなさそうなガジェットが多数存在するが、どせいさんはそういうレベルをブッちぎりで超越したそういう意味ではDIOばりの存在なのだ(たとえないほうがむしろよかった)。
 あの場面を通り過ぎたいま冷静に思うに、別に普通の人々が暮らす普通の町でもよかったはずなのだ、あの場所は。あくまでゲームとして純粋にその役割を考えた場合、そこで起こるのは町としてのよくある物を買ったり売ったりとか体力を回復したりとか情報を入手したりとかそういうことである。別にどせいさんじゃなくてもいい場面なのだ。
 もちろんゲームとしてある種のサプライズが必要という考え方はあるだろう。普通の町では普通すぎてつまらない。普通の町より変わった町のほうがおもしろい。これはあたりまえだと僕も思う。
 思うけど……どせいさんの場合、無意味すぎるんだよ!
 ふつうゲームにおける変わった町というのは、変わっていることに意味があるものだ。たとえばベタでいてちょっと記憶にはない例として、「氷づけの町」というのがあったとしよう。町全体が氷で覆われている。氷の世界である。町に暮らす人たちも氷に閉じこめられている。氷の微笑である。これはあきらかに氷を溶かさなければいけないだろう。たぶんその先のダンジョンには雪とか氷でできているボスがいて、そいつを倒すのだ。氷に関係した魔法とか憶えるかもしれない。途中に火を起こすイベントが発生するかもしれない。氷が溶けた結果、水があふれて今まで行けなかった場所に船で行けたりもするだろうか。
 普通はそんなふうに町の個性がシナリオなりイベントなりに直結しているものだ。だが、どせいさんは違う。どせいさんには意味がない。どせいさんに関連するイベントは起こっても、それはどせいさんでなくてもまったく違和感がないイベントだ。どせいさんは意味もなく変なのだ。どういう経緯でどせいさんという存在がこうも大きな比重で登場することになったのか、それがわからない。

 結局のところ、どせいさんは「意味がないことに意味がある」のだろう。真面目な結論になっちゃって申し訳ないが。
 意味性をまったく無視して唐突かつのんきに現われるこの町は、だからこそ印象的であり「ゲームに急かされる」ようなこともなくのんびりと楽しめ、最終的に好きにならずにいられない(UB40)のだ。どせいさんは意味のないことそのものを楽しむものであり、おそらくこうやって真面目に考えてみることこそ愚の骨頂なのだろう。ぐんまけん。
文章の最後になにかコピー&ペーストミスが起きていると思う人もいると思いますが、だいじょうぶです。あと、結局今日起きたことの大半をなにも書けてないことに今気が付いた。

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2006.06.18(MOTHER2より)

うんざりとその先にあるもの

 よしOK、もっかい前回の話しよう!(テンション上げてみたもののやっぱり醒める)
 あああ本当に前回のプレーでは色々あったのだ。あったけどありすぎてというか、どせいさんのことが強烈すぎてそればっかり書いちゃったのだ。そして1日たった今思いだすと、やっぱりどせいさんのことばっかり憶えててわりと他の印象薄いのだった。

 えーとですね、セーブしたときの状況から先に言うと、3つ目の町の主要なイベントを終了しました。次は4つ目の町だ!(今すごくあたりまえなことを力強く言った)
 道中いろいろなことがあった。気がする。時に道に迷い、時にひっかかり、時にヒント屋さん(そういうのがある)でヒント聞いた方がいいのかしらんと思い、時にどせいさんに会い、時にうんざりするような敵に出会った。
 あー……思いだした。うんざりするような敵が出るのである。この道中に。
 いや、勘違いしてほしくないんだけど、ゲームつまんなく感じるような意味のうんざりではなくってですね、えーとたとえば理不尽に強いとかすごくウザい攻撃を何度もしてくるとかそういう意味ではないのです。それはうんざりを楽しませようとする意味でのうんざりであり、なんつうかホラーゲームでうんざりするほど怖いっていうのと似たような意味でのうんざりである。いま多分けっこううまくたとえた。

 僕に関して言えば、うんざりは2つあった。
 まずひとつめは、どせいさんの住む場所に行く途中に出現するあれである。ゲームやった人にはもうバッチリ具体的におわかりですね。そう、あれです。
 あれってどうなんですか? 敵としては弱い。この周辺に登場する敵としては最弱の部類に入るであろう。しかるに、あのルックスというか存在そのものがなんたってあれである。「どうだいやだろう」と全身で主張している。そりゃいやだよ、ちくしょう、もう。
 これゲームやってない人にはすごく意味わかんないかもしれませんが、とにかくイヤな敵なのだ。あれにあんな特殊攻撃をされたら、いやゲーム的にはたいして痛くないんだけど、遊んでるこっちの心が傷付くのだ。悪い意味でハートをノックされるのだ。これぞ制作者の思うつぼである。イヤではあるけれど一応そういうギャグであることも理解しているので、恐い! もう遊べない! とまでは感じないのが絶妙のさじ加減である。まてよ、遊ぶ人によっては本気でイヤだったりするんでしょうか。さすがにそこまではいかないと僕は思うのだけど、どうなんだろう。

 とまあ具体性のない話をさんざん書き連ねちゃったので、もうひとつのうんざりについては多少具体的に書いてみよう。なにしろ説明書にはっきり名前と顔が出てる敵だしな。
 その名は「ゲップー」。はいもうこの時点でゲームやってない人でさえ若干うんざりできるかもしれませんが、そうですそういうド直球なネーミングです。いちおうゲーム中かなり重要な存在でありながらここまで直球なネーミングであるところに僕は驚きを禁じえない。
 そしてもちろん名は体をあらわす的なそういう存在である、奴は。ゲップーは。ぐえぇっぷ。
 あの特殊攻撃を見たとき、というか特殊攻撃のサウンドを聞いたとき僕は「こいつだけは倒さねば世界に平和はこない」と本能的に感じた。それはちょっとおおげさだが、とりあえず一刻も早く倒さねばなるまいと真剣に思った。そういう敵である、ゲップーは。

 僕は2回目のプレーなんで、奴のことはちょっと憶えていた。うんざりするのである。そこんとこは記憶に残っていた。
 たしか前に遊んだときは、けっこう苦労したんだよなあ。うんざりもしたんだよなあ。で、戦う準備はけっこうちゃんとしておいた。奴は全力をもって倒すと決めていたのだ。武器よし! 防具よし! ペンシルロケットの準備よし! ここまで回復が必要な場面もできるだけ回復アイテムに頼ってPP節約! 誰かが戦闘不能になった時のための回復アイテムもぬかりなし! 戦闘が始まってからの補助攻撃と攻撃の戦略も整えた! そしてもちろん、大事なあのアイテムも持った!
 ……かなりあっさりと勝てました。

 どうやらあのアイテムの使いどころをわきまえていれば楽勝だったらしい。どうやら前に遊んだときの僕はそのアイテムの使いどころをいまいちわかっていなく、それがために苦労していたらしい。そしてその時の苦労した記憶とあのアイテムの使いどころの記憶だけは引き継ぎつつ、「使いどころになかなか気が付かなかった」という記憶だけはすっぽり抜け落ちていたらしい。後から考えてみるに。
 てなわけで想像よりはるかに楽にボス戦に勝利した後のこと。
 あとは戻ってセーブするだけである。電源を切りゃいいのである。なんだかんだでダンジョンを通り村を越えボス戦を終え、もうさすがに眠い時間帯である。寝りゃあいいのである。
 でもさあ、ボス倒した後の町の様子って気になるじゃないですか。
 僕はなります。すごくなります。ボスが斃れてハッピーになった町の住人のセリフを聞かずにはおれません。わけてもこのゲーム、そういうなんでもない住人がとてもなんでもなくない気の利いたことを言ってくれるのだ。かといって気を利かせたので存分に楽しむがよい的な嫌味もないのだ。そりゃあ聞きたくもなるじゃない。
 で、町中歩き回ってセリフ聞いて回りました。セーブして電源切る頃には正直けっこう眠かった。
 ……そういうわけで、前回の日記は中途半端なところで終わっていたのです。

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2006.06.21(MOTHER2より)

砂漠にて

 ゲーム進行だけでいえば、4つ目の町についたところです。
 が、いま何をしているかといえば、3つ目の町と4つ目の町の間にある砂漠をうろうろしているところです。

 順序立てて書こう。
 3つ目の町のボス敵を倒し、4つ目の町に行けるようになった僕らは勇躍バスに乗ったのだった。4つ目の町に行く途中には砂漠を通過するのだけど、その国道でちょっとした事故があって、僕らは砂漠で立ち往生するはめになったのだった。
 さらにもうちょっとゲーム進行を進めると、なかなか広いうえに敵だらけな砂漠を歩いて突っ切るとその先には4つ目の町に通じる道がある。僕らはそこを進んで4つ目の町に着き、すぐにホテルが目に入ったので泊まってセーブして電源を切ったのだった。
 ここまでが昨日の話。
 で、今日はといえば4つ目の町で話をきくわけでもなく、昨日歩いた砂漠をまたもやうろうろしているのだった。だがこれは新手のスタンド攻撃を受けているわけでは断じてない。←そうでしょうね

 昨日は砂漠をたしかに突っ切ったけど、あの広い砂漠のすべてを見たわけではないのだ。比較的最短ルートを通って歩いてたのだ。でもそれってもったいない気がしませんか。僕はします。とても。
 ただ意味もなくだだっぴろいってことはないだろう。砂漠中をくまなく歩けば、たとえばなにかプレゼント(くどいようですがこのゲームにおける宝箱のようなもの)が落ちていたりするかもしれないじゃないか。
 で、逆方向に歩く。今度は横に1画面分ずつスクロールさせては縦に歩き、縦方向に行き止まりになったらまた横にスクロール、そして縦に……とまあヘビがのたくるように歩いていく。やってみたら意外と厳しい旅路だ。敵はそこそこ強いし、最短距離ならともかくこうやって歩くと本当に広い。砂漠はゲーム的な意味で本当に暑く、すぐ日射病になる(ゲーム的な意味で。回復アイテム等で回復する)。特にあのニヤニヤした丸い敵が実にめんどくさく、しばしば全体攻撃をしてくる上に回避不能な大ダメージを必ずこっちに与えてくる。
 気がつけば、1人気絶していた。「きぜつ」というのは他のゲームでいうところの「しぼう」とか「せんとうふのう」のことだ。回復アイテムはレアなのであいにく手持ちにない。こうなると町まで戻って病院に行くしかないが、これなまじ広い砂漠なだけに町まで戻るのもひと苦労なのよ。
 途中どんどん敵に出くわす。えーとこれ人によって全然共感が得られないと思うんですが、パーティーの仲間が1人死亡(きぜつ)している時に敵を倒すのって、いささか抵抗がないでしょうか。だってほら死んでる人おいてきぼりで残った人にだけ経験値が入るでしょ。たしかに若干ではあるけどパーティー内のレベルのバランスが悪くなりそうじゃない。1人だけレベル低くてHP足りないお荷物キャラになったら困るじゃん。いや机上の空論というか本来はそこまでバランスが悪くはならないんだけど、気持ち的に。
 ……何行も費やして書いたけど、本当に単なる気持ちの問題でしかないのでたぶん共感は得られないと書きながら悟った。まあいい、とにかく僕はこうなっちまったらできるだけ戦闘は避けたいのだ。町に着いて病院で回復するその時まで。でも敵がわんさと現われるのよこれがまた。
 「にげる」コマンドを毎回使うんだけど、とうとうある場面でいくら逃げても失敗し続け、パーティーは全滅した。あああ1人きぜつした段階ですでにちょっとへこんでたけど、いっそうへこむなあ。

 このまま電源を切るとすごく負けな気がするので、気を取り直してもう1回砂漠に行く。例によって1画面ずつスクロールしながら歩いて、珍しいプレゼントを見つけたりもした。途中、くすりとするようなセリフにも出会えた。はっとするようなものが視界に入り、あわてて近づくとそうでもなかったりもした。あいかわらずあのニヤニヤした丸い敵はめんどくさい。くまなく探さないと見つからないような物を見つけたりもした。まず4つ目の町で話を聞いてから砂漠を探索した方が順序的に良かったのかなとちょっと思うようなこともあった。びっくりするくらい高い経験値を残す敵がいた。そうかと思うとあのニヤニヤした丸い敵は本当に心底めんどくさかった。
 だいたい砂漠の半分くらいを歩いたあたりで、やっと待望の宿泊兼セーブ施設が見つかった。今日は砂漠の半分で十分だろう。いや本当もう疲れたし。で、セーブして電源を切る。
 セーブしてゲームを終わるときに必ず聞けるメッセージの「おたがい よくがんばったよな。」が、今日はすごく実感がこもって聞こえた。いやあもう本当に今日はがんばった気がする。

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2006.06.25(MOTHER2より)

砂漠終わりました

 前回の日記で砂漠を越えたと思ったらまた戻って、戻ったと思ったらやられたのでまた戻って、そんでだいたい半分くらい歩いたあたりでセーブしましたが、今日はその続きです。具体的にはまた歩く。

 ウロウロとまあ実際よく歩いたもんだと思うのは、つくづくあのニヤニヤした丸い奴がうざかったせいですが、とりあえず歩き終わりました。本日の戦果はちょっとレアな回復アイテムやわりとありふれた回復アイテムやちょっとレアな回復アイテムなど。回復アイテムばっかりだけど、まあ、いいか。さらば砂漠よ。もはや二度と来ることはあるまい。と思ったけど、たぶんシナリオ的にもう1回来ることになるよなあ。あの場所。
 ともあれひとまず砂漠行は終わり、乾いた砂の上から舗装された国道に戻ってあとは4つ目の町に戻るだけである。と、ひとつだけやり忘れていることに気がついた。
 あの、具体的に表現するのはゲームやってない人に対してためらわれるが、抽象的に表現するととてつもなく変なことになるアレがまだ国道沿いに残っていたのである。

 抽象的に表現するなら、それはスロットマシーンだ。
 いや大丈夫、これは本当に抽象的表現なのです。僕が抽象と具象を逆に憶えるという「エスカレーターとエレベーター現象」を起こしているわけではありません。抽象的に言ってそれはスロットマシーンなのです。
 もうちょっとだけ具体的に言うと、1ドル(ゲーム中の最低単位)を入れるとクルクルと回り出して、徐々にスピードが遅くなりまず1つ目がたとえば「7」を示し、その隣が「レモン」(か?)になり、最後のひとつがピタリと止まって「7」になり、あー惜しい! 真ん中のが7だったらスリーセブンだったよ! というものである。これだけ説明しているにもかかわらず、実はこれが何であるかの説明にまったくなっていないという不可思議な事実を君は知っているだろうか。ゲームやった人なら知っているだろう。たしかにこれはスロットマシーン的なものでありながら、ぜんぜん違うものなのだ。これを見た瞬間、僕は「バカじゃねえの」と心底あきれたのだった。もちろんいい意味で。

 説明にずいぶん字数を割いてしまったけど、まあ要するにスロットマシーンだと思ってくださいよ(だいなし)。そう思っておけば話は早いんですよ。
 前にこの砂漠を通ったときにもこのスロットには出会っていて、もちろん「バカじゃねえの」といい意味で思い、3回ほどスロットを回してみて、まあ特に絵柄がそろうこともなく終わり、そのまま去ったのだった。
 そのとき僕が思ったのは、「もし絵柄がそろったら何が起こるんだろう?」ということであり、「もしかして絶対に絵柄がそろわないんじゃねえの?」ということでもあった。なにしろこれはスロットマシーンのようだが断固としてスロットマシーンではないものなのだ。ドラクエのカジノとは話が違うのだ。だいたい1ドルだし。安すぎじゃないのか。

 で、今回。もう砂漠も最後(たぶん違う)だってんでこのさい遊んでみました。腰をすえてやってみました。まあできることといえば限られていて、基本Lボタンでチェック(いわゆる「しらべる」コマンド)して、表示されるメッセージに「はい」と答えるだけである。すると1ドル支払われてスロットが回るのだ。あとは見ているうちに左から順に回転が止まっていき、「レモン」「レモン」ときて、最後のがゆっくり回転数が落ちていき……「レモン」…を通過して……もうちょっとでまた「レモン」だけどスピードは遅く……しかしちょっとだけ回って「レモン」になり、あああでもさらにもう1歩回転しちゃって絵柄そろわなかったー!とかそういう感じである。
 いったいどれくらい回し続けたのだろう。最初の当たりが出たのは、あれは10回目くらいだったと思う。絵柄がそろわないようにプログラムされている可能性も感じていた僕にとっては驚きだった。いや本当にそういう「スロットのようでいて絶対絵柄がそろわないようにできている」というナンセンスギャグもありえるゲームなんだからなにしろこれは。ちなみに当たったら景品がもらえた。まーなんていうか比較的ショボいアイテム。むしろ比較せずとも絶対的にショボかった、と言っておこう。
 こうなるとがぜんスリーセブンを出したくなってくる。「7」「7」「7」である。「7」で止まって、真ん中も「7」で止まり、最後のひとつが「7」かと思いきや「7」を通り越して、でももう1回「7」が来るか来るか来るか……来たー!と思ったとたんもう1つだけズレてハズれたりのアレである。
 いったいどれくらい回し続けたのだろう。スリーセブン、それは見果てぬ遠い夢。えーと絵柄が4種類あるから、単純計算で4の3乗、つまり64分の1の確率ってことか。いわゆる本当のスロットマシーンと比べるとそうとう高い確率だけど、そうは言っても64回まわすったらけっこう骨よ。いったいその先に何があるというのか。LボタンとAボタンを押しながら僕はその時を待ち続けたのだった。

 で、ついに揃いました。あれは本当にどれくらい回し続けていたのだろう。スリーセブンが揃ったのだった。
 だいたいの体感時間でいえば50回くらい回したような気がする。50度回し続けていた気がする。その先にいったい何があったのか。
 もらったのはちょっとレアな回復アイテム1個でした。
 ……そりゃ、まあ、金額にして50ドルしか賭けてないんだからそんなもんだよなあ。

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2006.06.28(MOTHER2より)

リメンバー赤城山

 ちょっと前回までの行動をおさらいすると、砂漠を通過する→4つ目の町に行く→見逃しを探しに砂漠に戻る→やられて4つ目の町に戻る→やり直しに砂漠に戻る→4つ目の町に帰る という流れになっている。簡単に言えばグダグダである。さて本日4つ目の町に帰って本格的に町の調査を終えた僕が何をするかといえば、あらたに必要になったアイテムを探しに砂漠に戻るのである。もはや本格的にグダグダである。

 ええとそれにしても今日のダンジョンは面白かった。心底バカバカしかった。もちろんいい意味で。具体的にどうバカバカしかったのかを書けば即座にネタバレになってしまうので端的なところだけ抜き出すと、僕は最初に「3番目に強いボス」と戦いました。みなさんはどうでしたか。けっこう忘れてるもんだなあ、12年も遊ばないでいると。
 12年と言えばひとむかしとちょっとである。正確に言えば「10年=ひとむかし」として1.2むかしである。連立方程式だ。そしてどうでもいい。いま遊んでいる『MOTHER1+2』はものすごく素直な移植版なので、そんな1.2むかしを感じさせる時事ネタが1.2むかし前のまんま残ってたりする。たとえばゲームの舞台がまだ「199X年」だったり、あるいは4つ目の町で「MOTHER3開発会議」が行なわれていたり、あああ本当にあの時は今度こそすぐに発売になるって信じていたんだよなあ。そしてあるいは砂漠のまんなかで某埋蔵金の発掘工事が行なわれていたり。

 この発掘工事がそもそも時事ネタだということを、もう知らない人だっていっぱいいるのだろう。あれは1990年に『ギミア・ぶれいく』という人気テレビ番組で始まった「徳川埋蔵金発掘プロジェクト」というシリーズで、誰あろうMOTHERの生みの親である糸井重里その人が中心になって進められた娯楽ドキュメント的な、ええと何ていうか当時ライブで観ていた人はみんな楽しんだけれどどっか心にモヤモヤしたものが残った、そんなものでした。ちょっとしたブームだったのです。赤城山に眠ると言われる伝説の埋蔵金を求めて発掘また発掘、毎回本当に何かあるんじゃないかと思わせる見事なヒキとともに続き、最終的にやっぱよくわかんねえ!と思いながら終わった、そんな番組でした。当事者の糸井氏本人もそこで起きる筋書きのないドラマや人間模様に激ハマりしたとかしないとか。いや本当もの凄く熱かったのよ当時。
 そのへんのあらすじはこの「怒濤の予習編その1」「その2」に詳しいのですが、ちなみにこの記事自体が糸井さんのWebサイトの記事で、1999年にリベンジ的に行なわれたスペシャル番組の予告的なものでした。結局1999年にも埋蔵金は出てこずに、また6年も経ってしまったのだ。
 そう、赤城山の発掘工事は思えばMOTHER2の発売前というかいいかげんいつまで「発売日未定」のままで続ける気だこいつら!とみんなが思っていた頃の話で、「糸井は埋蔵金発掘にかまけてMOTHER2を放り出しているんじゃないか」とか冗談交じりに言われたりもした。そして埋蔵金シリーズが終わってからしばらくした頃、ようやくMOTHER2は発売されたのだった。MOTHER2を遊んだ人はそのゲームの中に埋蔵金を探して発掘工事をする人々がいることに気付き、ニヤリとしつつどっか心に残ったモヤモヤしたものを思いだしたりもしたのだった。
 今回遊び直すまで忘れていたんだけど、ゲームの中には望月さんもいた。埋蔵金のあるなしはこの際おいといて、糸井さんは本気でこの現場が好きだったんだとちょっとしみじみし、まさか本気でこの発掘作業でMOTHER2が遅れたんじゃないだろうなとちょっと思ったりもした。

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