人生: 過去ログ 2001年05月

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過去ログ 2001年05月

※下に行くほど新しい記事です。

2001.05.05(本の話より)

死んでもそんな目にだけは遭いたくない

 もうゴールデンウィークも終わりかけの時代に入りまして、そろそろ5月病の時期ってやつですか? イエーイ! 盛り上がってますか? 5月病! それにしても、なんて書き出しだ。
 そんな時期に私が満を持して皆様に送る、5月病対策。題して「死んでもそんな目にだけは遭いたくないと思った小説大賞」! えーと。いや、正味の話こういう悲惨な事態を高らかにうたいあげた小説を読んで、オレなんてなまっちょろいにもほどがあるゼ、とか思ってここ一発奮起してもらおうとか別にひとごとだしどうでもいいとか、そんな意味あいなのです。

第3位『タリスマン』スティーヴン・キング ピーター・ストラウヴ 共著
 キング作品の中でもかなり特殊な位置づけの本作、なんかあらすじを書くと単なるトンデモ小説の紹介になってしまいそうなので書けませんが、とにかく主人公の少年が常に悲惨な状況に断固として置かれるその気分の悪さたるや他のキング作品を楽勝で凌駕しています。ピーター・ストラウヴがすごいのか。まずかったのか。ちなみにこれ異世界が舞台のファンタジー小説だったはずですが、作中で一番こんな目にあうくらいなら死ぬね俺、と最も強く思ったのは現実世界の安酒場で働かされるくだりでした。いいのか、それで。

第2位『Uボート』ロバート・ギュンター・ブーフハイム
 狭い! 汚い! 死ぬ! の3拍子が無駄に揃った世界、それがUボートです。映画版もたいへん悲惨でしたが、この原作は厚めで文字小さめの文庫本2冊まるごとえんえん悲惨な事態の描写についやされているという点で圧倒的といえます。黙っていても雷撃、逃げても雷撃、沈む、あと爆撃と銃撃、という前後左右どこを見渡してもろくなことのないその悲惨っぷりは他に類を見ません。作中どこをとってもこんな目にあうくらいなら死ぬね俺、と思えるのは画期的です。

第1位「海の男・ホーンブロワーシリーズ」セシル・スコット・フォレスター
 海軍提督ホレイショ・ホーンブロワー! 世界で一番まじめで責任感が強く苦労性で心配性な男の名前! そんな男が主人公で、そして当然ながら死者あふれる海戦! 死者あふれる大嵐! 死者あふれる陸戦! 伝染病! 恋愛すらもロマンチックというよりは生死がかかっている! そんな中を責任の重圧でまいりそうになりながら、でもよりによって不屈なのでダメにもなれずつらいまま戦うホーンブロワー提督! しかもそれをおくびにも出さず! なんかもうなんて声かけてやったものやら。ホーンブロワー提督に。そんな話が全10巻ばかり続くというから、悲惨さの満漢全席のような具合です。こんな目にあうくらいなら死ぬね俺とかそういう以前に、たぶん確率的にこんな目には絶対あわないだろうからああ幸せだなあ僕は、とか思えるほどに悲惨です。

 そんな具合の僕のオススメ小説ベスト3なわけですが、なんかどうしようもない。あと、これだけ悲惨なのに読んでて物凄く面白いっていうのはちょっと異常だと思った。あらためて。
この文をリアルタイムで読んでる人はすぐわかると思いますが、ちょうど昨日テレビで映画版『Uボート』やってたので思いつきました。

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2001.05.07(ドラゴンクエストVIIより)

忘却の彼方

 そういった具合でゴールデンウィークも明けて無事日本に帰ってきたわけですが。一応説明しておくと別にネタじゃなくて本当にイギリス行ったりしてきたんですが。ちなみに帰ってきた早々に録りだめしてあったビデオを見たおしたり本屋にいけば速攻『しゅーまっは』(*1)買ったり速攻インターネット巡回したりで自分の帰国後の適応ぶりに驚くっつうか、むしろ俺様は日は昇れども沈まぬ国とうたわれたかの大英帝国からなにひとつ吸収していないと気づいて愕然としたりしてるんですけど、まあそんな雰囲気です。
 で、ドラクエ。帰ってきてそんなこんなを色々とやったりした後、どうにか落ち着いたので遊んでみましたよ。久々に。というか一週間ドラクエやってない程度なら以前にも何度かあったはずだし、別に久々というほどのブランクでもないはずなんですけど。ところがこれが驚いたことにけっこうなブランクだったのだった。
 正直ぜんぜん忘れてるのである。旅行ってけっこうに濃密な時間だからふだんよりなんつうか、「ドラクエ関連のキャッシュ容量」みたいなものが削られたんだろうか。ぜんぜん意味わかんねえですけど。そういう具合だった。まず自分が何をしている最中だったか忘れている。これはまあ前回保存した場所が例の転職にまつわる場所だったので簡単に思い出した。転職したかったのだ。パーティが弱まっていたのだ。
 で、さっそく外に出て敵を虐殺しようと「くちぶえ」を吹こうとしたところ、その時点でやっと現在「くちぶえ」が使えないことに気づいたのだった。というかむしろそれを憶えるために自分はここにいたんじゃなかったのか。そういう大事なことを完全に忘れていた。驚きである。地下鉄のレールである。そんな椎名林檎を脳裏に描きつつ適当に歩きながら敵とエンカウントしたりしていたのだが、これがまたどうも調子がおかしい。はっきりと形にならないが、何かが違う。さっきから何グループも敵を倒してるけど、なんかおかしいんじゃないのか。いつもと勝手が違わないか。いつもなら戦闘といったら別にどうでもいいんだけどつい読んじゃうセリフの応酬があったはずなのである。それが今回はないって、あー! そうだ毎ターン「はなす」してなかった! と、この段階になってようやく気づく始末。驚きである。空ー色ーのカーテン。
 その他、敵全体にダメージを与える特技はなに剣だったか忘れてたり、例の転職関係の場所にある宿屋の位置を忘れてたり、ドイツ語憶えて忘れてみたり(*2)したわけですが、まったくどうかと思いますよ実際。

 で、そんな中でも意外に忘れないこともあって、もう今日は保存して電源切るつもりだったんだけどあと9回戦えば熟練度が上がるとか言われてついまたヤル気になっちゃったりするっていう、そういうのはいつも通りにくりかえしたりしました。忘れる忘れないというよりもこれは本能みたいなもので。
 ちなみに今日は、やっと「くちぶえ」憶えたところで納得して保存して終了。

*1 『しゅーまっは』

週刊少年チャンピオンで連載中の、女子中学生が狂的な祖父と醜い怪物に精神的肉体的にいたぶられる話。何てサディスティック!

*2 ドイツ語憶えて忘れてみたり

電気グルーヴ?

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2001.05.11(本の話より)

イマジン

 前回ああいうことを書いてみましたが、正直な話、僕は本とかバリバリ読むほうじゃないです。いまだに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」話のタイトルと作者の名前が思い出せないほどです(*1)。聞いたところでは誰もが読んでいるらしいシドニィ・シェルダン(*2)とかも読まずに育ったし、かといってちょっとスノッブ気取りでジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』(*3)を読んだりもしてないし、あとえーと、自分が読んだことのない本を挙げるっていうのは考えてみると矛盾した作業なんで早々に思いつかなくなってきましたが、たしか『まいっちんぐマチコ先生』(*4)とかも読んだことないですよ。
 そんな中思ったんですが、「タイトルだけではいまひとつ中身の想像できない本」っていうのは意外に少ないと思うんですよ。ひとつ例を出しますが、最近はやっているらしい『ハンニバル』(*5)。たしかにいきなり「ハンニバル」とこられても困りますが、だいいち「ああ、レクター博士が」と速攻で思いつく人っていうのもちょっとどうかと思うんですが、それなりに「ああ、古代ローマの」とか間違うにしろ、「よくわからないけど、とりあえず固有名詞だろうし」とかあいまいな想像にしろ、手がかりのようなものはあるじゃないですか。
 困るのはそういう手がかりもないような、雲をつかむようなタイトルの本の場合です。『ジョニーは戦場へ行った』 これはまだわかります。ジョニーが戦場に行くんでしょうとも。このさい戦場で何が起きるとかそもそも戦場はどこかとかジョニーが何者なのかとかはどうでもいいです。
 『車輪の下』 ピュアな心をもってすれば中身の想像もつくというものです。車輪の下のあたりに関する話なのです。地面とか。絶対にそうです。
 『ライ麦畑でつかまえて』 つかまえましょうとも。ええ、ライ麦畑で。
 このようにたいていの本のタイトルは、それなりに意味が通るのです。筋が通っているのです。納得がいくのです。
 しかし、我々はこれをどう解釈すればいいのでしょうか。
 『怒りの葡萄 (ぶどう)』

 ……読んだことないんで想像ですけど、『サラダの国のトマト姫』みたいな話?

*1 「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」話

三ヶ月近く前から言ってる。

*2 シドニィ・シェルダン

本当にみんな読んでるんですか?

*3 『フィネガンズ・ウェイク』

世界最高の難解文学の1つだそうですが、一説によるとおもしろダジャレブックらしいです。読んだことないのではっきりしたことは言えないが、だいたいそんなものだという気もする。

*4 『まいっちんぐマチコ先生』

子供向けにセクシービームを照射していた名作マンガ。もしタイトルが『まいっちんぐサヨコ先生』だったら歴史は変わっていただろう。なんだかよくわからないが。私は連載当時ちょうど読者層だったはずですが、どういったわけか読んだことない。

*5 『ハンニバル』

あの『羊たちの沈黙』の続編だというのに、こういう小説を平気で書いてしまえる作者のトマス・ハリスは面白すぎます。

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2001.05.12(ドラゴンクエストVIIより)

宇宙のファンタジー

 この間ずっとドラクエやってませんでした。いやなにしろ帰国後の片づけが色々たいへんだったので。これは本当に。
 ところでそういった具合にイギリスとか行ってきた以上は、多少はドラクエと旅行をからめてドラクエ論等をぶちかますのがドラクエ日記というものの常道であろう。なので、やってみます。
 えーと、イギリス? あーアレですよね、その、ファンタジーとかの発祥の地ふうなところ(*1)。なんかそんな感じの。ハ、ハリーポッターとか(*2)もイギリス産だそうですよ? 「産」って。そういうわけでイギリスとドラクエの関係は深いっちゃ深いわけですが、本当になんか泣きたくなってきましたよ。話の適当さに。もう帰っていいですか。お金なら払いますから。
 というかですね、僕が言いたいのはつまりドラクエって考えたら全然ヨーロッパぽくねえっていうことです。正直イギリスとかそういう雰囲気と深刻なくらいかぶってません。特に見た目的に。スゲエ。←スゲエの? 個人的には別に非ヨーロッパ的でもいっこう構いませんけれども。
 ふつうファンタジー的世界観のゲーム作ろうと思うんなら多少なりとも中世ヨーロッパの雰囲気を出そうとするじゃないですか。せめて見た目くらいは。そういうつもりがこれっぽっちも無いですドラクエ。こんなことでいいんですか? だって昔とかファンタジーRPG系の記事とか読んだらこれでもかっつうぐらい中世ヨーロッパネタが頻発してましたよ。剣とか鎧とか(*3)。昨今ファイナルなファンタジーとかだってあんなにヨーロッパな (場合により沖縄な) 世界っぷりを見せているのにドラクエといったら、あのなんつうかドラクエ的としかいいようのない世界ぶり。これが僕らの夢見た世界だというのか。

 なんだか分からなくなってきたところで話戻しますけど、つまりこれは初代ドラクエIがめっぽう非ファンタジーな画像だったことに起因すると思うんですよ。あの頃シナリオとかは意外にファンタジックな気持ちを大切にしてたし。気持ち的に。で、ドラクエIがそこまで非ファンタジー上等な気分で絵描いてたのって、ファミコン画質だからとかそういうの以前に、単に「よく知らなかったから」っていう気がするんですよ。想像だけで物言ってます。けどヨーロッパ建築を多少でも意識してたら普通あんな不思議屋根描きませんよ?
 というかぶっちゃけた話、アレってヨーロッパを意識するより先に、『ウルティマ』(*4)だけを意識していたのでは? 知らない人にはなんの事かさっぱりでしょうが、ウルティマはウルティマでヨーロッパ的ファンタジーを適当にアレンジしてた上にApple IIの低レベル画質で作っていただけに、なんつうか心眼をもってしないとファンタジーとは言えない画面でした。それをさらにドラクエが自己流アレンジしていっそう何だかわからないことに。いわば伝言ゲームみたく。
 そして伝言ゲームはドラクエIからIIへ、そしてIIIへ (そして伝説へ) と発展。この頃にはもはやとりかえしのつかないことに。という想像を勝手にしてみたんですが、どうなんでしょうか実際。

 そんなこんなで今日はこれからレベルを上げようかと思ってます。ひさしぶりのプレステ起動ですよ。

*1 ファンタジーとかの発祥の地ふうなところ

我ながら書いててびっくりする適当さ。

*2 ハ、ハリーポッターとか

読んですらいないのでそれでよかったかどうか自信がない。

*3 剣とか鎧とか

別にそういうつもりで書いたわけじゃなかったけど、きっとここ笑うところです。

*4 『ウルティマ』

オンラインやアンダーグランドのずっと前。アバタールもいなかったころ。

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2001.05.14(ドラゴンクエストVIIより)

戦闘

 という立派な題名から、すわラスボス戦か!? と思う人がいたところでこれは全然そういう話ではない。
 今日も今日とてレベル上げの日々である。「くちぶえ」を憶えたおかげで多少楽になったとはいえ、レベル上げである。とかなんとかやってたら敵モンスターが例の転職にかかわりのあるアレを落としていってラッキーとか、そんなこともあったりしたが、レベル上げなのである。
 正直なところをズバリ言ってみると、ちょっとこれはやる気がめげるというかああごめんなさい怒らないで殴らないでアメリカの映画にあるようなドメスティックバイオレンス風な手近な凶器を使わないでごめんなさいごめんなさい。しかし実際の話、今から世界をバリバリ救ってなんつうか悪のナニと戦闘になって勝ってワーとか思ってるところで地道にレベル上げというのは、たしかにつらい感があるのではなかろうか。ちょっと違うんじゃないだろうか。とか思って周囲の町や城などを訪れたところ、そこの人たちのつらそうなメッセージなどを読むにつけやっぱり世界救わないとウソだよなーとか思ってヨシこれからばんばんレベルアップして最終的に世界を救いますよ! マジ、とか思ったりして我ながら単純です。

 そんな具合でレベルを上げながら思ったんだけど、考えたらドラクエってオートバトル的な機能ってなくないですか? 今さら言うのもなんだけど。えーとドラクエのAI戦闘はたしかにある種オートだけど、そういうんじゃなくって、こう女神転生に代表されるような、基本的にボタン一回押したらそれ以後ずっと戦闘終わるまで「たたかう」が選択され続け (たことになって) て、特に敵が自分より弱いときはダラーッてしてて可なのでバリ便利とかいうアレですよ。
 『ファイナルファンタジー』関係にはあの機能ないけど、○ボタン (Aボタン) 押しっぱなしが効くんで実質オートみたいなところがあるとかないとか。たしか『MOTHER』とかにもありましたっけ、オート戦闘。そういう世界の (←ぜんぜん日本) RPG戦闘事情に逆行するかのごとくドラクエときたらまったくもってマニュアルな戦闘っぷり。これでいいのか!とか言いかねない文章展開ですが、個人的にはこれはこれでアリとか思ってます。なんだか文脈スゲエメチャメチャで少し反省気味。
 まあね、たしかに実際、これからボス戦で勝ったらエンディング? スタッフロール? とか思ってるとこにレベル上げっていうのは気分的にナニだったりもしますが、戦闘として単体で見ると激面白えじゃんドラクエ!とか思ったりするわけですよ。今夜。
 えーとだからドラクエって普通だったら適当に右から左に消えてく戦闘が、一回一回つねにエンターテイメントであろうとしてる気がするんですよ。今回の「はなす」コマンドとか見てて思ったんですけど。いちいち退屈させないようなつくりになってるじゃないですかドラクエの戦闘。敵の特殊攻撃とか「とくぎ」のコンビネーションとか、AI戦闘だってある種戦闘のエンターテイメント化ですよ。
 考えてみると、ザコ戦闘をここまできちんと作り込んだRPGって他にないんじゃないだろうか。過去アクション要素を加えたりシミュレーション的戦術要素をつけてみたりと工夫はいろいろあったけれども結局タルくなってなんかどうでもよくなったりしたのに、ドラクエのこれは凄いことですよ。まー実際は敵が自分よりスーパー弱いときには○ボタン速射で楽勝終わっちゃったりするんですけど、ゲームバランス絶妙じゃないですかドラクエ。普通にプレーしてたら激弱の敵とか遭遇しないんですよ。こ、こいつは凄え! これがドラクエの底力か!? とか思ったプレー時間104時間目の夜。本当いまさらなんだけど。

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2001.05.15(ドラゴンクエストVIIより)

メッセージ量

 いまのとこレベルを上げたりその合間に世界をおもしろ漫遊したりしつつうっかり忘れてた小イベントをこなしたりしちゃってる最中なんですけど。
 あーしかしこうやって世界を珍道中してて思うんですけど、あらためて強烈なメッセージ量です。だって今いるこの段階って、本当町とか城のメッセージ聞く必要ない場面なんですよ。聞いたところで何が起こるわけでもないし、ああまあ小イベントが起こる場合もないではないですがとにかくその程度の重要度E (超ニガ手) ランクの場面なわけですよ。にもかかわらずメッセージ全部変わってるっていう、この深刻に意味のないこだわり。
 考えてみたらドラクエIIの段階でもう「ラスボス倒した後のエンディング直前にメッセージ変わる」っていうワザを見せつけてたドラクエではありますが。でもあの当時はユニークなメッセージ言うのは王様とか重要なキャラだけで、名もない町人とかは「あなたがたの おかげで ふたたび へいわが もどりました!」とか「あなたがた こそ しんの ゆうしゃです!」とかのどうでもいい感ただようメッセージしか言わないようになってたはず。そういえば試した記憶が全然ないんだけど、ドン・モハメ(*1)とかは何てしゃべってたんだろうか。「あなたがたの おかげで ふたたび へいわが もどりました!」だったらちょっといやだなあ。まあそんな具合だったアレが、今回のドラクエなんつったらこんなどうでもいい場面で全員のメッセージがきちんと全員分つくられているっつうから本当の話頭おかしいんじゃねえの? とか思います。正直言って。この悪魔的な仕事量も凄いし、ただ意味なくメッセージ量多いんじゃなくて、ちゃんと各人の個性を大切に小エピソード作ったりとか手抜いてない仕事っぷりが鬼気迫る感じです。心配になります。
 これでアレですよ、またボス的存在とかを倒した日には例によって全員が全員メッセージ変わるんでしょうとも。ドラクエIIのころと比べると時代は変わったっつうかいや時代とかそういう問題じゃなくてドラクエがどうかしてるんだとか思うんですけど、まあとにかく改めて驚いたわけで。

 しかしこうやっていちいち横道それてよけいなメッセージ読んでるからいつまでもエンディングに着かないんだという気もします。自分が。

*1 ドン・モハメ

水のはごろもを織らせたら世界一の老人。どう見ても後継者不足に悩んでそう。

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2001.05.19(ドラゴンクエストVIIより)

銀色の楽園

 例によっていつも通りレベル上げ殺戮大作戦にいそしんでいたわけですが。まあそれだけではうるおいに欠けるのでところどころで町や城に寄り道をしたりもしつつ。そんな午後を過ごしていたわけですが。
 そこに奴は現れたのだった! その、例の銀色が。すぐ逃げがちで倒したときの経験値が爆発的なあれのことです。例によってここまで説明するならわざわざ「銀色」と言い換える意味が分かりません。
 とにかく銀色です。それもただごとではない銀色っぷりです。巨大な銀色が一体に液状の銀色が四体という、敵というかむしろ我々に殺られる気まんまんと言えるようなパーティが我々の前に出現したのだ! 裸の美女がニューヨークのスラムを歩くようなもんだぜって安藤さん(*1)も言ってましたよ。
 そして我ら「まじんぎり」連発パーティはそういった銀色を範馬勇次郎かなんかばりに瞬殺につぐ瞬殺。初期の刃牙によく見られたような殴った衝撃で眼球が飛び出す表現をまじえつつ (想像で)。そして手に入れた経験値が1回の戦闘で実に6万とか7万とか!(*2) 今まで600とか700とかちまちまやっていたのがウソのようなアレです。そのレベルの上がり加減たるやただごとではない。
 で、おそるおそる「くちぶえ」等を使って (万一を考えてその場から一歩も動かずに) 周囲の生態系を調べたところ、なんとこの場所はその、銀色やら青色やら赤色やら緑色やら金色やら、あれそういえば今回のドラクエって白やぶちは出ないんですか?やらだけが生息するきわめて特殊な環境にあることが判明。ダーウィンもクリビツですよ。青や赤はまあどうでもいいんですがとにかく銀色それも巨大なのや液状なのが比較的ひんぱんに出現するというわけで、まさにどこかにあるというユートピアだってタケカワユキヒデも歌っていたというぐらいのレベル上げ者にとっての楽園。こんな場所が現実にあったなんて!
 いやしかし普通に遊んでたらなんか絶対この場所素通りして気づかなさそうなんですけど。僕もたまたま町から出て、町のすぐそばにある施設というかそういう場所に向かって歩いている途中で偶然例の銀色に出会ったくらいで、この間実にたった数歩ぶん。敵に会わずに終わってしまうことも十分に考えられるくらいの短い距離です。第一敵に会ったとしてもそれが銀色であるとは限らず、青色や赤色である可能性も十分にあるわけで。そんな中このユートピアをバッチリ発見した俺様のラッキーぶりたるやとっても!ラッキーマンでもかなわないほどのナニだって今一瞬思いましたよ。
 でまあそんな具合で今日からここを拠点にレベルを上げようと思いました。

*1 安藤さん

巨大なこと以外これといった結果を残さなかった『グラップラー刃牙』の登場人物。

*2 6万とか7万とか!

よく憶えてないけど、おおかたそんな具合。

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2001.05.20(ドラゴンクエストVIIより)

魔法を信じるかい

 ドラクエをやっていると人は多かれ少なかれ、ある種の非科学的な思想を受け入れるようになる。いや別にアレフガルドは本当にあったんダ!とかそういう話じゃなくってですね。
 つまりはこうだ。たとえば例の銀色 (逃げがちで経験値が莫大なことで知られる敵) を前にした時、人はこう考える。「○ボタンを気合いを入れて押せば、攻撃が当たる確率は高まる」。
 これほど非科学的な発想もないっつうか考えたらプレステ2だとボタンが感圧式なんで意外にそういうプログラムが仕組まれてる可能性もなくはないですが、ドラクエVIIは初代プレステ用のソフトなんで不可。そうなのである。いくら気合いと念を込めて○ボタンを押したところで銀色を仕留められる可能性は変わらないはずなのである。にもかかわらず我々は銀色を目の前にしたとき、ボタンに念を込めずにはいられなくなる。これが現代人の姿だというのか!
 ほかにも現代の迷信にはこういったものがある。
 ・銀色が現れてからコマンド入力が終わるまでは、早ければ早いほどいい。
 ・銀色との戦闘中に心ここにあらず的な気持ちでいると、攻撃は絶対当たらない。
 ・銀色が出現したときに「はなす」をすると攻撃成功率が減りそうな気がする。
 ・いやもしかすると逆にそれくらいの余裕を持った方が攻撃は成功するかも?
 ・あまり物欲しそうな顔で銀色を見つめていると速攻逃げられる。
 ・銀色に逃げられたからといってテレビに向かって毒づいたりするとプレステが気を悪くして今後ますます逃げられやすくなる。
 ・病院行く?

 これではいけない。なんか本当にいけないような気持ちになってくるが、しかし実際の話いけないだろう。そこで僕はやってみました! 迷信をぶっとばせ的な気分で銀色にかかってきましたよ!
 具体的には、銀色 (巨大) の出現時にまったく居ずまいを正すそぶりすら見せず、むしろ出現してからしばらくの間よそ見してて気づかずにいて、かつ適当にファミ通とか読みながら片手で○ボタン押して (しかも連打) 戦闘の様子とかもまったく無視して例のパラララーっていう音が聞こえて初めてテレビに目を戻すような戦いっぷりを発揮してみました! 成功です! 銀色 (巨大) を倒しましたよ、同胞諸君!
 というわけでやはり迷信は迷信です。今後銀色が出てきて逃げられても「ああ……あそこで雑念が入ったから……」とか後悔する必要がなくなったっていうだけでも、これはかなりの朗報だぜ? なんて声かけてやったものやら。僕に。

 ところで、例の銀色 (液状) なんですけど、あれしばしばテクスチャがつぶれたのかなんなのか、目玉が銭ゲバ (ジョージ秋山) みたいになると思いませんか。どうでもいいです。

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2001.05.20(ドラゴンクエストVIIより)

最後の戦い

 とかなんとか銀色を刀のサビにしまくってたらいつのまにかレベルもけっこうな感じで上がり、これならイイ線行けるのでは? 思い上がりじゃねェ……俺が……有利だ!と末堂(*1)ばりに思い上がるほどにレベルといい熟練度といい悪魔超人クラスになっています。←弱いのでは?
 そういったわけで例の最終らしき迷宮へ。若干苦戦しつつもどんどん降りてったり途中「いや、これでは……」とか気にかかる点をなんとかするためリレミトで引き返したりまた降りてったりとかを2度ほどしつつ、えーとなんつうかその後いろいろあってや、奴が目の前に!(早)


 でまあ、実は終わったんですけどねドラクエ。これを書いてる今は5月21日月曜日の夜ですが、実は日曜に日記書いたその後、5時間後?くらいにエンディング迎えてるわけですよ。そこで速攻日記に書かなかったのはまあ夜もふけていたし比較的あー本当に終わったんだなー的な感無量っつうんですかそういう気分もあったわけだし。
 で、月曜の今こうして「2001/5/20・日曜日」その2を書いてるわけですが、だいたい上記のような具合で終わりました。そうとうにはしょってますが、大事な部分をぼかして書く都合上こういった具合に。
 ただ本当にあったドラマティックな事実の記録として、ラストバトルの経過から一部だけ抜粋して書いておこうと思う。

 あのラスボスの最強の技と思われる全体攻撃を受けて、主人公死亡メルビン死亡マリベル死亡。残ったアイラのHPは80 (とかそのくらいだったと思う) 。激黄色。アイラは世界樹の葉も持ってなければザオリクも憶えてないので、唯一可能な復活方法であるザオラルを使うことに。と、ここにきてパーティーで唯一ザオリクを憶えてたのがメルビンだったかマリベルだったか思い出せなくなる。なにしろふだんザオリクとか使ったことないし。いちかばちかメルビンにザオラル。
 ザオラル失敗。
 「終わった……」と思っているうちに敵のターン。直接攻撃で、あれ、まだ死んでないよアイラ! というかHP1だけ、冗談みたいに1だけ残ってます! 黄色というよりも赤に限りなく近い黄色です! しかしこの状態でどうしろと?
 次ターン。もう殺すならいっそひとおもいに殺せとあきらめ気味にザオラルをメルビンに。アイラ先行。ザオラル。成功! メルビン復活、ただしHPは (ザオラルだから) 最大値の半分の206。もちろんアイラは1のまま。
 敵の攻撃。メルビンがくらって100 (くらい) までHP減。
 メルビンの呪文を見てみると……キャー! ザオリクを憶えてなかった。ザオリク憶えてたのはマリベルの方だった。いま使える呪文はザオラルのみ。まず10中8、9このターンでHPジリ貧のアイラは死ぬだろうし、そうなったら結局さっきの「一人きりでHPもおぼつかないまま効くか効かないかわからないザオラル」の繰り返し。次にザオラルが成功する確率は低い。今度こそ全滅か?
 その時、いままで一度も使ったことがないし今後も使うことはないだろうと思っていたある呪文をメルビンが憶えていたことに気がつく。「メガザル」
 敵より先に呪文を唱えられればチャンスは大いにあるはず。作戦としてはメルビンがメガザル、アイラはとにかくメルビン回復優先でベホマをかけるという手はずで○ボタンを押す。
 メガザル成功。メルビン死亡、主人公復活、マリベル復活、アイラを含め全員HPも全回復。敵の攻撃。適当に全員のHPが削られるが、それほど劇的な量でもない。次ターンでマリベルがザオリクでメルビンを復活。総攻撃。

 ……で、今に至るわけで、次回最終回。
 あ、その前に、むかし「その話はまた別の機会」とか話ふるだけふっておいて、とうとう書かないままにこの日記の最終回になってしまったというなんだか情けないネタを、もうこのさいだからその日の日記になにごともなかったように付け足しました。2月4日参照。この期におよんでこういうことをやるあたり、この日記らしいですね。

*1 末堂

本当に何も結果を残さなかった『グラップラー刃牙』と『バキ』の登場人物。

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2001.05.22(ドラゴンクエストVIIより)

ちょっとどうかと思うくらいに長い時間をただドラクエだけ遊んで過ごしていた

 そういうわけでついにこの日記も最終回。あーそうは言っても別に今度は他の企画が再開するんでこれといってしんみりするような場面じゃないですけど、とにかくなんと言っても最終回なので青空をバックに笑わないといけないわけで、あと飛行機と。しかし実際の話ああいう最終話の現物を見たことは実は一度もないんだが、もしかしてあれは本当は実在せず、ある種の都市伝説なのでは? ←最終回だというのにこの調子なのか。
 それにしても長い間だった。って今そういえば最初にこの日記書きはじめたのいつだっけって見なおしてみたらちょうど今日から正確に半年前にあたる11月22日だったりしてマジビビリましたけど、本当にきっちり6ヶ月の間僕はこういうことをやっていたわけで、いったい何をやっているんだ僕は。
 あ、そうそうドラクエの最後の方で例の最終決戦のあとに起こる一連のことについては、ここまできてあえて何か書くのもヤボだろうとか思うので書きませんけど、とにかく僕的にはおおいにオッケーだったとだけは言っておこう。そんな具合の最後の方でしたよ。

 とにかくゲームは終わったのだった。幕を引け、喜劇は終わった。とりあえず『ボクと魔王』でもやろう。あと『ガンパレード・マーチ』もやろう。『クレイジータクシー』と『平成 新・鬼ヶ島 後編』も。スーファミ? あともしかするとドラクエの残ったオマケ的要素もやるかもしれないし、やらないかもしれない。まあいいや。そうそう、ずっと封印してたファミ通のドラクエ記事を読もう。特に対談。買おうと思ってドラクエやってる最中だからってそのまま放ってあるソフトはもっとある。『花と太陽と雨と』だの『Z.O.E.』だの『罪と罰』だの『サクラ大戦3』だの『ジェットセットラジオ』だのってもう少しラインナップに整合性をもたせられないのか。
 まあそんなぐらいに僕はドラクエやってる間ずっと何も他のゲームをせずにいたのだった。ゲームボーイアドバンス版の『F-ZERO ADVANCE』だの『ミスタードリラー2』だのは少しだけやったけど。おおかたそういう具合だった。
 半年の間、僕はただひたすらにドラクエばっかりやり続けていたのだった。おおまかにいえば。最後にこれだけの間、僕を楽しませ続けてくれたドラクエの制作や販売に関わった人たちに、ちょっといくらなんでもそれはどうかと思うような部分 (デモムービーで文字が猛烈なドットのガタつきを見せていたりとか) をさっぴいてもなお多大な感謝を捧げたい。ハラショー堀井雄二ッ! ハラショードラクエッ! ウラー (万歳) エニックス!
 まあ、そんなこんなで日記は終わるのだった。

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