人生: 過去ログ 2002年07月

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過去ログ 2002年07月

※下に行くほど新しい記事です。

2002.07.01(ZORK Iより)

判断に困る

 さて今日は珍しくゾークをすることにして、とりあえず昨日の続きである。
 昨日は例の謎めいた「白い家」の窓を開けたところで終わっていた。ここで中に入らなければウソという展開だが、僕はあえて入らないのだった。

 あー、入るのが当たり前という気はしますよ、そりゃ僕としても。でもこう、まだ準備が足りてないというか、正味まだ家のまわりを一周しただけであって、家から東西南北あちこちに向かって伸びている (らしい) 道の先に何があるのか気になってしかたないのだ。というか、思うにこの四方の自然である程度ものを拾ったりなんなりしてから、家に入るというのが順序として正しい気がする。拡散→収斂というゲーム一般に通じる流れとして、そういうのが正しいと思える。
 言ってみてから思ったんだけど、このゾークって「ゲーム一般の流れ」がまだできあがる以前に作られたゲームだったから、この理論は通用しないかも。まあいいや。

 そんなわけで僕はいったん白い家のことは放っておいて、家の周囲を囲む形の forest すなわち森に足を向けたのだった。
 曲がりくねった道 (←ゲーム中でそう描写されていた) を通ってたどり着いた場所は、いややっぱりまだ森の中だったんだけど、他と違うことには巨大な木が立っていたのだった。
 木かあ、と僕は思う。わざわざ森の描写と別口で巨木が描写されている以上、この木にはゲーム上特別な何かがあるようだ。というか、これはやはり登れということなのだろう。
 ためしに look at tree (木を見る) してみると、低い場所から枝が生えているとくる。これはもう間違いなく枝を登れという意味であろう。
 それはわかる。わかるんだけど、僕はけっこうに躊躇する。
 なにしろこの木の先に何があるのかさっぱり分からないのだ。可能性という意味では登った先の木の幹に大穴が開いていて、その中に入るといきなり地下帝国に落ちて本格的に冒険が始まってしまうこともないとはいえない。いやそれは考えすぎかもしれないが、何層も何層も高いところまで木が伸びていて、予想以上の大冒険になってしまうことはありえる話だ。さっきも書いた通り、今日は森を散策しようと思っただけなのであって、そんな大冒険は心情的に僕の手に余るのである。心情的にはスペランカー並の冒険心なのである。
 あーどうしようかなーとか思いつつ、まあこのまま放っとくのもなんなので climb tree (木を登る) してみましたよ例によってドキドキしつつ。
 これまで東西南北という平面移動だったのが急に「上」という三次元的な移動になったことに結構な違和感を覚えつつ木を登ると、そこは木の中腹だった。←ふつう
 look (見る) してみたところ、枝が自分の身長より上にあるので、これ以上先には登れないらしい。ある意味ではセーフ。というか僕は冒険を求めてゾークを遊んでいるはずなのに、なぜここまで冒険を恐れるのだろうか。

 まあそれはさておき、問題は別にあった。僕のすぐそばに、鳥の巣があったのだ。
 鳥の巣。なぜかちょっといい話が始まりそうなイメージの言葉である。ここに雛とかいう言葉が追加されれば、もはやいい話はすでにスタートしていると言って過言ではない。
 しかしこの場合、そういう雰囲気ともちょっと違った。このあたり僕の訳がおぼついてないので原文を先に書くと、こんな具合だった。
In the bird's nest is a large egg encrusted with precious jewels, apparently scavenged by a childless songbird. The egg is covered with fine gold inlay, and ornamented in lapis lazuli and mother-of-pearl. Unlike most eggs, this one is hinged and closed with a delicate looking clasp. The egg appears extremely fragile.
 「高価な宝石で飾られた大きな卵」(正確には卵型のモノなんだと思う) が入っているようなのだ。なんだそれ。で、それはどうやら「子のない鳴き鳥」がゴミからあさったものらしい。ゴミをあさったからってどうやってそんなオモシログッズが手に入るのか、僕にはよく理解できなかったが、まあ彼がそう言う以上そうなんだろう。誰なんだ、彼(*1)
 で、その卵は高純度の金の象眼(*2)がしてあって、ラピスラズリと真珠で飾りがしてあるのだそうだ。なんか知らないがとにかくすごそうなことは確かだ。
 さらにこの卵、「精巧な (壊れやすそうな? どっちの訳を採ればいいのか僕には分からない) 留め金のちょうつがいで閉じられている。この卵は極端に壊れやすそうだ」ときた。
 こういう極端に珍しいものがポンと置かれていたのだった。
 どうしろっていうんだ。
 いや、これは昔のテキストアドベンチャーであって、そういう変なものが余裕で道に落ちているものだというのはわかる。わかるけど、結局だからこの変な卵型のものはなんだっていうんだ。
 とりあえず「極端に壊れやすそう」な点に気をつける意味でいったん save (セーブ) して、take egg (卵を取る) してみた。
 普通に手に取れた。うーん。
 open egg (卵を開く←なんか変な表現) してみたものの、非常にもってまわった表現で例の彼に「無理」とか言われた。どうでもいいけど、例の彼はしばしば失敗に終わる行動に対して、やたらもってまわった表現で答を返すんだが、そのイヤミな癖はやめてもらえないだろうか。彼にどう言ったら分かってもらえるのだろうか。←無理
 なんだこの妙な卵。もちろんゲームが進むにつれて何らかの意味が出てくるのだろうけど、今のところ僕にはさっぱり分からない。この判断に困る感じがまた同時にとても楽しいのだけれど、

 とかいう感じで話をまとめて筆を置こうとしたのがたった今。
 で、ふいに思った。
 いまこのゲーム中、僕は高い場所に立っている。ここで卵を落としてみたら、どうなるんだろうか。
 こうしてはいられない。終了していたゾークをもう一度開いて、セーブファイルを開く。drop egg (卵を落とす) してみる。
 割れた!
 やってみるもんだなー、と思いながら木を降りてみると、見るも無残に (その様子がたっぷり6行に渡って描写されていた) 壊れたハト時計が中に入っていた。
 というか、たぶんこれ、僕がいま落としたせいなんだろうな。
 いいのか? これ。なんとなくこの、落とすという行為は一見正解に見えて実は間違いで、後でこれが響いてくるんじゃないのかという気がする。「壊れたハト時計」がなにかの役に立つとはどうしても思えないのだ。
 それを言えば、「壊れてないハト時計」だって何の役に立つのかわからないけど。
 とりあえず木の上から落とせば卵は壊せるということがわかったから、今のところは変にいじらないで、もっとちゃんとした開けるための道具 (たとえば鍵であるとか) を探した方が無難だろうな。と考えて、結局セーブファイルをロードしなおす。
 結局なにもわからないまま、僕は変な卵を手にして木を降りたのだった。

*1 誰なんだ、彼。

この「アドベンチャーゲームの説明役」ってやっぱりテーブルトークRPGのゲームマスターなんでしょうか、元は。

*2 象眼

この「inlay (象眼)」って表現は、もしかして「in lay (産卵して)」とひっかけた洒落なのかな、と辞典引きながらちょっと思った。

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2002.07.03(ZORK Iより)

1979

 ゾークで遊んでると、しばしば「これは本当にこれで大丈夫なのか」と不安になることがある。
 それはたとえば前回のような、「これは本当に落として割って大丈夫なのか」とか、そういったものであり、逆に言えば「これは本当に落として割らないで放っておいて大丈夫なのか」ということでもある。
 たしかに前回は割らずに放っておいた。もし落として割るのが正解だとしても、その時はロードしようとかそういった考えあってのことであるが、その時というのはたぶんさんざあちこちを冒険した末のことであり、戻ってやり直すことにいささかのへこみを感じるのは間違いなかろうと思う。
 また、たとえば今日のことだ。
 僕は例によって森の中をゆったりとしたペースで散策し、ある奥まった場所で、気になるものを発見した。
 最初に見たときは、落ち葉がうずたかく積もっているという状態だったのだが、ためしにその落ち葉を get (取る) してみたところ、その下に grating (格子) が現れたのだ。
 地面に格子があるっていうのもなんだかシュールだが、まあ思うに地下とかそういった場所に通じているようだ。ようだ、というのは開かなかったからなのだけど。
 そう、僕にはこの格子扉を開くことがままならなかった。ままならないことこの上なかった。
 とりあえず open grating (格子を開く) しても鍵がかかっていると言われたのだった。押しても引いてもとはまさにこのことだった。というのも、push grating (格子を押す) とか pull grating (格子を引く) とかもとりあえずやってみたからなのだけど。
 こういう時には手持ちのアイテムが役に立つというのが常道だが、かといっていまの持ち物といえば、最初に入手したダイレクトメール、前回手に入れたへんな卵型のもの (中身はハト時計) 、そして格子を見つけるために手に取った落ち葉の山、この3つだけである。どう見ても格子扉を開けるに有用なものには見えない。見えないにもほどがあるというものだ。
 そういったわけで僕は今回ここでできることはこれ以上あるまいと思い、この場を後にした。この判断は間違いではないと思う。どう見ても「鍵がかかっている」という以上の手がかりはないし、ということは逆に鍵に類するもの、または鍵を壊すにたるものをどこかで手に入れるのが妥当な話の流れだからだ。
 だが、本当にそうなのか。

 なにしろこのゲームは1979年に発売されたゲームである。よく知ってるわけじゃないが、思うにこの頃はまだゲームバランスとかそういう言葉がなかった時代じゃないだろうか。もっと言えば、ゲームでちゃんと解答に至る明快な筋道を与えておかなくても、まあ、別にいいじゃんとか思われていたかもしれない時代じゃないだろうか。本当によく知らないけど。
 つまり何の説明もないんだけど実はこの時点この段階で格子扉を開けるなんらかの手段がすでにあって、僕はそれに気付かないままに通りすぎようとしているのではないか。いずれ何とかなると思っているのはまったく甘い考えで、気付かない限り一生そのままなのではないか。そんな不安があるのだ。だってなにしろ20年前のゲームなのだから、そのくらい不親切でもおかしくはないじゃないか。
 まあ、偏見ですが。
でもなあ、ゾークに関しては偏見とはいえ、昔のアドベンチャーゲームってどう見ても不条理なトリックとかはたしかにあったからなあ。

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2002.07.05(ZORK Iより)

広い世界

 今日は本気で感動してしまった。まさかゾークで感動があるとは思ってもみなかった。驚きだ。不意打ちだ。だってゾークだよ? ただ look (見る) とか get (取る) とかばっかりで進むしキャラクターとかも多分「金にがめついドワーフ」とか「殺人ゴブリン」とかしか登場しないし、しかもテキストのゲームだよ? それでもそこに感動はあったのだった。

 それはいつもの通りに森を散策していた時の話。
 高い木で囲まれた道をあっちに行ったりこっちに行ったりしていたところ、ある時ふいに森がひらけたのだった。
 どうやらこの森は高い丘陵上に広く位置しており、その丘のはじっこにして森の終端、ガケみたいな場所に僕は立っていたのだった。
 そしてそのガケの上から見える、初めて木々にジャマされなく辺りを一望できるその風景に僕は圧倒されたのだった。
You are at the top of the Great Canyon on its west wall. From here there is a marvelous view of the canyon and parts of the Frigid River upstream. Across the canyon, the walls of the White Cliffs join the mighty ramparts of the Flathead Mountains to the east. Following the Canyon upstream to the north, Aragain Falls may be seen, complete with rainbow. The mighty Frigid River flows out from a great dark cavern. To the west and south can be seen an immense forest, stretching for miles around.
 なにしろちゃんとした翻訳ができそうにないので原文をそのまま載せているけど、この雄大な自然の描写に僕はもう本気で感動しちゃったのだった。

 ここで書かれてることっていったら要するにただの風景描写なんですよ。でもなんつうか、「この世界、森だけじゃなかったんだ!」的な驚きと、あと辞書と首っぴきで1単語ずつ読んでいくせいで徐々に少しずつ、あーいわばカメラがなめらかに遠景になってくように明らかになっていく光景と、そういう効果で僕は心底この風景に感動をおぼえたのだった。
 いやえーと、それも本当なんだけど、もうひとつ理由はある。ガケを降りることができたのだ。
 というのは、この雄大な自然に近付くというか、中に入ることができたのだ。
 わかりにくいか。つまりだから、僕はこのゲームの世界が森だけで完結してると思い込んでたのだ。これまでいくら歩いても、森の中とあと例の白い家より先の世界には (家の中はともかくとして) 「木が邪魔している」だの「道が途切れている」だのの理由で出ることができなかった。そういった理由から、おそらくこのゲームでは森までが行動の限界だと思っていたのだ。当然ながらガケはガケであって、つまり「ガケがあって先に進めない」という一種の方便だと思っていたのだ。
 それがどうしたことだ、このガケを降りて川を下ることができるというのだ。
 世界は思っていた以上にはるかに広い。世界の広さそのものに僕は感動して、save (セーブ) したのだった。

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2002.07.06(ZORK Iより)

地図をください

 このゲームをやっていて、自分の性癖に関するちょっとした発見があった。
 どうも僕はマッピングが好きなタイプの人間らしい。
 いや、それではドラクエやFFとかをやってる時にまったくといっていいほどマッピングをしないこととおおいに矛盾する。もう少し正確に言うと、どうやら僕は方眼紙的なマッピングが好きなタイプの人間らしい。
 「方眼紙的なマッピング」って、なんだかよくわからないが。

 つまるところきれいな矩形で書けるマップ。たとえばウィザードリィのような。極端に言えばブロック単位で構成されていて、そのブロックととなりのブロックが繋がっているかどうかを明らかにしていくことでマッピングが成り立つタイプのマップ。どんどんわかりづらくなってきたぞ。
 要するに部屋のサイズがまちまちだったり、あるいは道が斜め何十度ともいえない微妙な方向に曲がってたりするような地形はマッピングしたくないのだ。正直。
 逆に、部屋というかまあいわゆるブロックの大きさがきわめて一定なマッピングは非常に楽しい。なぜだかわからないけど、妙に楽しいのだ。思うに、一歩進んでは書き加えて、また一歩進んでは書き加えてというペースが自分に合ってるのじゃないだろうか。ちょっとずつマス目が埋まっていく楽しさというかさ。いわばピクロス的な。このたとえ合ってるのかどうか自分でも微妙なんですけども。

 それで、ゾークである。ゾークではまさしくこういう「一歩ごとにマッピング」の醍醐味が味わえる。
 たとえばA地点から、e (東) と入力したところ、B地点に移動したとしよう。すでに恋をしていたとしよう。
 
 その時点では、こんなマップを書くことになる。
 ところでこれがゾークのマップの意地の悪いところというか、ある意味マッピングしてて面白いところなんだけど、B地点から west (西) に移動したとする。ふつうは当然A地点に戻るはずだが、このゲームの場合こんなことになったりするのだ。
 
 A地点とはいかず、C地点という新たな場所にたどりついたりする。道の曲がり具合とかそんな理由なんだろうか?
 こうやって一歩一歩移動するたび書き加えていく。ある種可能性を1つずつつぶしていく作業にも似て、A地点から北には何があるのか、西はどうか、南はどうだと1つずつ順番に歩いていく。もちろん行き止まりで進めない場合もあるんだけど、それはそれで行き止まりマークをつけておく。  
 こうしてA地点の四方に矢印または行き止まりマークができたとき、それはA地点をコンプリートしたような雰囲気であって僕はちょっとばかりいい気分になるのだった。
 さらに本当はこれ、ne (北東) とか sw (南西) のような斜め方向だけに移動できる場所とか、上下に移動する場合もあってさらに手ごわい。手ごわいんだけど、そこがまた楽しいわけであって、僕の話みんな納得してくれてますか?

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2002.07.07(ZORK Iより)

答はその中にある

 困ってるんですよ。
 なんというか、ついに白い家の中に入り、そして地下へと侵入せんとしているところなんですけども。
 いやもっと正直に言うと、地下に入ったところどうもこれは一度入っちゃうと最後の方まで戻ってこれない仕組みになっているようなんで、restore (ロード) してやりなおしたんですけどね。
 それというのも、地下に持ち込める荷物の量にかぎりがあるらしいのだ。
 そもそもこのゲームでは持てる荷物の量にかぎりがあって、使わなそうなアイテムはどっかそのへんに置いといて、必要になったら取りに戻るのが肝要なのだ。が、地下に入ってしまったらもう取りに戻れないのである。
 あーどうしよう。

 いやわかるんですよこれはトライ&エラーで判断しろという場面なのは。昔のアドベンチャーゲームというものは基本的にトライ&エラー上等で成り立ってましたよそれぐらいわかってますよ。
 あーでも僕はそういうエラーをしたくないというかつまりミスプレーをエンジョイできないタイプの人間なんですよ! ミスをしたという事実にガックリきて、そこでもうゲームへの情熱が失せるんですよ! 「じゃあこのアイテムを置いてくればいいってことか! ひとつ賢くなったし、次のプレーは登り調子だ!」とかドンマイ的な発想ができないんですよ! 人生を損するタイプですよ!
 そういうわけで、ねえ。たとえば僕がここで例によってPete兄さんのページにあったヒント (というかもうズバリ解答) 集を参照してしまったとして、君は僕を責めないでくれるだろうか。←死んじまえ、俺。
 それがこのページである。たぶんこれ元はインフォコム社が冊子で販売してたものなんじゃないかなー。
 読みたい。非常に読みたい。ちなみにここのつくりはちょっと面白くて、疑問に対する答は「ひねったヒント」「簡単なヒント」「ズバリ答」みたく、遠いところから順番に答が出ていく構成になっている。だから最初の遠回しなヒントだけ読めば、ゲーム人間としての誇りもさして傷つかずにすむんじゃないだろうかって思うけど、たぶん絶対最初ので満足せずについつい最後まで読んじゃうだろうよ僕みたいな薄汚い種類の人間は! 今から目に浮かぶよ!
 あーだから本当にどうしたものかっていうか、たぶん読むと思うし、むしろ今現在これ読まないと先に進む気がまったくないと分かってすらいるんですが(*1)、あのなんていうか最後の葛藤を。
 最後の葛藤の結末は目に見えているんですが、せめて葛藤だけはしておきたい。しないよりましじゃないか、とまとめようかと思ったけど、ちくしょうしてもしなくても一緒だよ本当は! わかってるんだよ!

*1 むしろ今現在これ読まないと先に進む気がまったくない

それは全然だめなんじゃないのか?

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2002.07.08(ZORK Iより)

答はその中にない

<前回までのあらすじ>
 どうにか地下に潜入した杉浦。しかし地下に持っていくアイテムの取捨選択に必要以上に悩むことに。こうなれば禁断の解答集"InvisiClues"を見るほか手はあるまいと思う一方、さすがにそれはちょっと負け犬もいいところなのではないかと心は揺れる。杉浦は結局 InvisiClues を見るのか? そういえば InvisiClues っていうのはつまり invisible clues (秘密の道しるべ) の簡略形というか若者言葉のようなものなのだろうか? 『がんばれ酢めし疑獄!』を「がん酢め」と略すようなものなのだろうか? それ若者言葉か? だいいち若者言葉っていう言葉じたいがどうなのか? 人はどこから来てどこへ行くのか?←大きく出てみた

 そんな具合にいい感じで盛り上がってきたんですが、結論から言えば余裕で読みましたよ、InvisiClues。で、結局わかんねえ!
 あーそうかそういえばこの頃のゲームのヒントって、たぶん意識してやってるわけじゃないんだろうけど、色々書いてあるわりにはプレイヤーがぜひとも知りたいっていう疑問にだけは答えてくれたためしってなかったよなーとか思いだしたりしましたよ。薄れゆく意識の中で。
 なんつうかこういう文字入力型のアドベンチャーゲームだと、詰まる場所は人それぞれっていう面もあって、それでヒント書く人的に詰まるだろうと思う場所と、現時点での僕的に詰まってる場所が違ったとか、そういうことの結果としてヒントがなんのヒントにもなってないっていう、あったなー昔そういうことがたびたび。血へど等吐きそうなほどに詰まってどうしようもなくて、少ない小遣いから無理して買ったヒント集 (おもに山下章著) がよりによって詰まってる場所についてはなんの説明もしてなかったり、そういうことが本当にたくさんあったものだなあ。
 えーと、僕はどうしたらいいのだろうか。

 で、どうしようもなくなった僕としてはもうあきらめて、適当やってみることに決めたのだった。結局最後には正しい道を選ぶことになったという、なんだか道徳的な意図の隠された童話みたいな結末になってしまった。
 ああもう不安だ。アレを置いて地下に潜るのはたぶん正しくない気がする。だが、他にどうしようもないのだ。
 こうして僕は地下に潜る。ああどうしてこんなことになってしまったのだろうと思いながら。

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2002.07.13(ZORK Iより)

それはペンじゃない

 うわ気付いたら今週、平日の大半ゲームやってない。何してたんだっけ。忙しいわけじゃなかったはずなんだけど。

 さてそんな話はさておきインターネット情報ー。
 えーただいま適当にGoogleで見てみたところ、どうやらゾークはプレステ版とドリームキャスト版が実はひっそりと発売されていたご様子。もちろん日本語版。
 なにしろ画面写真がまったく見つからないほどのひっそり発売なので、どんなシステムで移植されてるのかさっぱりなんですけども、コマンド入力式なんですかね、これ? 選択式だと格段につまんなくなっちゃうゲームだとはいえ、入力式をプレステやドリキャス、もちろんノーキーボードで遊ぶっつうのは、かなり無理があるのでは? 実際のとこどうなってるんでしょうね。マジで。
 でまあそんな訳でもしかすると英語苦手な人にとっても敷居やや低くなったかもしれませんね、余裕で日本語版が手に入るっつうことは。ただそういう家庭用ゾークが現在どこに売ってるのかマジ疑問なとことか逆に敷居高いですけども。

 でも実際の話、日本語でやって本当に面白いのかっつう疑問もありますよ僕とか。
 いや別に英語イコールかっこいい的ななんつうの学歴偏重ぶりを見せているわけではなくてですね ←それって学歴偏重?
 えーとこれ微妙なニュアンスの話で説明スゲエ難しいんですけど、たとえば
「This is a pen.」
 って文章がゲーム中に出てくるとするじゃないですか。これを日本語訳するとそれは
「これはペンです」
 になるんだけど、でも遊んでるプレイヤーにとっては「これはペンです」じゃないんですよ。意味はなるほどこれはペンであるということを示しているな、とか思いつつも、あくまでも「This is a pen.」なんですよ。あーわかりにくいこと言ってるなあ。
 もうなんかかなりヤバいゾーンまで話進めちゃいますけど、ゲーム中の自分の心の中の声とか聞くと、こんな具合なんですよ。
「これ……、is……、ペン」
 こんなの日本語じゃ絶対ないじゃないですか。ゲーム中僕はそういう不思議言語を駆使しているわけですよつまり。これisペンと書いてある文章を読み、ゲット ペンと入力するんですよ。
 ゾークやってる最中は僕は最初から最後までふだん使わない不思議言語でゲームしてるわけです。だから自分の中の話に限れば、ゲームシステムのレベルでこのゲームは不思議言語がデフォルトなんですよ! むろん他の言語には変更不可ですよ。日本語未サポートですよ。
 そういう前提 (ひとことでいえば、「僕は英語ができない」) に立ってゲームしてるとですね、 やっぱり違うんですよ日本語訳されたゲームとは遊んでて雰囲気が。
 だって「これはペンです」と表示されてるゲームと、「これisペン」と表示されてるゲームじゃ雰囲気全然違うじゃないですか。ていうか親しみやすいのは間違いなく前者ですよ。前者ですけども、なんていうか後者の方が不思議感に包まれてるじゃないですか。とても心地よい奇妙さ的なものを感じるわけですよ、遊んでて。
 だから結論としては英語版の方が面白いんじゃないかなー、敷居は高いけど。ということを僕は言いたかったわけなんですけど、それにしても「不思議言語」ってひどいたとえだと思う。

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2002.07.14(ZORK Iより)

悲しいおしらせ

 えーと前に、ダウンロードできる『Zork I』にはWin版Mac版DOS版があるという話をしましたけど、いや別にウソじゃないんですけど、この間Windows 2000でプレーしたらなんか悲惨な感じになってることに気付きましたよ。

 なんだろ、アレ実際なに? プログラム的にどういう扱いになってるのか知りませんけど、とにかくメッセージ1行ごとによけいな「^H」とかの顔文字の失敗したようなやつ(*1)がくっついてきて、見苦しいことこの上なかったですわ実際の話。
 ゲーム遊ぶ上で特に支障はなかったっぽいんですけどね。なーんかあんまりWindowsユーザの皆さんに大手を振ってオススメしづらい気分だなーと、今になって思いました。Mac版しかやったことなかったからなー、今まで。

 Mac版といえばついでに、Mac版ZORK Iのやや便利技。
 このゲームなにしろ昔のMacOS向けに作られたんで、まあゲーム自体はOS9でも正常に動いてる (OS Xだとどうなんでしょうね) んですけど、「ウィンドウの大きさが変更不可」っつう昔ながらのつくりになってます。
 で、そのウィンドウけっこう小さめなんで、ログっつうか前に表示された文章とかわりと速攻で消え去っちゃうんですよ。
 そのたびにいちいち look (見る) しなおすのも面倒くさいっつう人のための裏技。伊藤家ばりの。
 えーとある程度わかってる人向けのやり方ではありますが、ResEditっつう付属のアプリケーションでZORK Iを開いて、WINDのID 256を開いたら、HeightとWidthの値を変えたら、無事ウィンドウサイズ変更されますよ。あいかわらず固定とはいえ。それだけ。あと、この説明でやり方わからない人は、えーと、あきらめろ!(やる気ゼロ教師)

 そんな具合で、またゾーク今日もやってないわけではあります。
 ああなんかやっぱり持ち物 (前々回参照) のことがなあ。読者のひと的には今の僕がちょっと理解しがたいかもしれませんが、どうしてもそういう「ひっかかり」があると、どんなおもしろゲームでもアーとか思っちゃうタイプの人間なんですよ本当に。損だ。

*1 顔文字の失敗したようなやつ

びっくりするような認識不足。

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2002.07.15(ZORK Iより)

ひとまずの終わり

 えーと話わかりやすくするために、この時点での僕とそしてこのページの立ち位置をまず明らかにしておきますと、現在7/14。そしてこの「ゲーム日記」シリーズ、いまだ未公開。さらにページタイトルを「〒□」というGoogleが受け付けないタイトルから変更しようともくろんでいる。つけくわえるなら、あと1週間ほどした頃の7/18と7/19はそれぞれ『かまいたちの夜2』と『スーパーマリオサンシャイン』の発売日。
 そういったわけでですね、ゾークはいったんここまでとします! なにが「そういったわけで」だ。
 いや実際いま現在の脳内スケジュール帳によると、今日からページタイトルを変更作業にいそしんで、かつゲーム日記をコンテンツとして編集して公開にこぎつけるのが1週間後。そのころにはマリオ買っちゃってるという頃合いですよ。そうなるとやらずにおれませんよマリオ。
 なんでだろうマリオは発売直後に遊んでおかないと悔しい思いをするっていうか、それは過去何度となくなぜか発売から1年ぐらいしてやっと遊んでるっていう実体験をもとにした思いなんですけども、そういうわけでとにかくマリオだけは買って、そして遊びたいんですよ。
 まーちょうどゾークも地下にもぐるっていうキリのいい場面だったし、しかも何を持っていけばいいのかいまだ謎のままっていう状態だし、ここでやめることにしても自分の中でそれなりにOKというか。またやりたくなった時にやればいいだろうなという感じで。

 そんなこんなで次回からはたぶんマリオサンシャイン日記が始まるはずですよ。ヒーウィゴーオー(*1)

*1 ヒーウィゴーオー

例のあの声。

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2002.07.19(スーパーマリオサンシャインより)

送信されなかったあるメール

 これはマリオサンシャインを買った帰り道に打ったメール。僕が書くメールはいつもこんな調子とはいえ、ちょっとマリオでここまではしゃぐのもどうかという理由で送信せずにゴミ箱に入れたものだ。
 マーリオー (ルイージマンションのものまねヴォイスで)。
 つうことでマリオですよスーパーなマリオがサンでシャインするともっぱら評判の発売日ですよ。マリオだから行列もできるだろうってヨドバシ開店より30分早めに来てみたらこれがぜんぜん並んじゃいねえ。しかもじっと座ってるだけで超暑い。
 という最悪の出だしで始まった夏のマリオ祭りなんですけどね、これからオープンDA箱ですよ。しかもかまいたち2も同時購入ですよ。言い換えれば納涼!夏のマリオ祭りですよ。期間は3日限定。
 リアルな話すると、いくら3連休でもこのボリューミーなソフト攻略しきれねえよとか思うんだけど、まあいいや。そんな真夏のファンタジー。森脇いま何してるのかしら。

 いや本当にはしゃぎすぎだろう、これは。
 今のうちに言っておくと、僕はものスゲエ宮本茂(*1)大好き人間ですよ。マリオとくれば期待せずにはいられない人間ですよ。むしろゲームのちょっとどうかっていう点とかも目に入らないくらいの信者っぷりですよ。マリオのためなら5000円くらいその場で貸せるくらいですよ。←けち
 だからいったいどうなることやらっつう感じのマリオ日記なんですけど、とにかくそういったわけで超ドキドキしつつ箱を開けるわけですよ今。

*1 宮本茂

マリオとかゼルダとかピクミンとかのすごい人。

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2002.07.20(スーパーマリオサンシャインより)

真夏の異国にて

 うわマズいわこれ。
 心底スゲエなって思う。あの、前回に引き続き言っときますが僕は宮本命ですよ。宮本ゲームという段階でよくわかんないけどたぶん3割増しで評価してますよ。あと任天堂にも好印象ですよ。だからそのへんとかで既に世の中一般とはズレてると思うんですけど、もうヤバすぎ、コレ。男が惚れるゲームですよ。意味分かりませんけど。
 僕が好きな言葉で、「いろいろ差し引いても10点満点」っていうのがあって。これスチャダラパーのボーズさんがニンテンドー64版のゼルダ遊んだ時に言ってた言葉なんですけど、僕的には今回のマリオがこれですよ。
 最初の持ち点が10点として、もういろいろ細かい難儀な点とかあると思うんですけど、そういうのを差し引いても、なんでか10点満点のままなんですよ。本当ゲームやってて気持ちよすぎっていうか、ヤバいわもうスゲー楽しい。

 ちょっと距離置かないとまともに話もできないような感じなんで、とりあえず雑感から入ることにしますけど。
 夏……ですよ (ちょっと遠くを見ながら) 。ガリガリ君とか食べるのともまた微妙に違う、こう、カラッとした南国なんですよ。なにがって、そりゃマリオサンシャインの舞台が。
 遊んでてすごいリアルに感じられるんですよ真夏の南国気分が。たしかに過去ゲームでも色々ありましたよCG技術を駆使したリアルな風景とかは。でもなんだろうこのひと味違うっつう具合の感覚は。
 個人的に思い出すのは何年か前に行ってきたイタリアで、もうあのイタリアでも今年は異常気象だよっつってた信じられないほどクソ暑い夏の一週間。道行く人全員がボルヴィック持って歩いてたあの夏。
 イタリアって南国とは違うけど、なんつうか明らかに異国で、道を歩いてもホテルに泊まっても風景も暑さも限りなく日本じゃないどっか別の国っていうもうひとことで言えば観光気分? それと同じ感覚を、ゲームやってて思いましたな。なんだろこれ、やっぱ完全ポリゴンで自由自在にあちこち行けるってのがデカいのかな。あとのんきな音楽とのんきな人々、それとやっぱ水ですか、水。
 水ヤバいよ! 水! たぶんこれって企画段階では「ゲームキューブはハードレベルで偏光処理実装してます(*1)から、水とか使ったレンダリング余裕ですよ」「じゃあ、それゲームに使おうか」みたいな話だったんじゃないかってすごい勝手に思ってるんですけど、そういう思いつきからここまで気持ちいい要素に持ってくるっていうあたりが、やっぱ偉いですよ任天堂。
 人間やっぱ暑いさなかの水遊びってスゲエ楽しいじゃないですか。あの感覚とかメチャリアルで感じるんですよ。もうこれ言っちゃうけど、マジで涼しさ感じるもん水使うと。

 ある意味僕が夢中になってるのはこういう「雰囲気」なのかなあ。
 たしかにゲームとしても十分オモロいけど、64マリオの正当進化型なわけで爆発的な目新しさがあるわけじゃないっていう面もあって、だからゲーム性そのものじゃなく僕をひきつけてやまないサムシングが確実にあると思うんですよ。
 実際いま現実の窓の外とか見るとものすごい曇り空で、ときには小雨とか降ってるような今日この頃なんですけど、ゲームやってる間とかモロ真夏ですよ。遊んでるだけで気持ちいいっていうか、「もう一生ここ (ドルピック島) いたいね!」とか余裕で言えそうなぐらい夢中で。
 ある意味季節モノという気もするんですけど、たとえば冬場とかにこのゲームやるとどんな気持ちなんでしょうね。かえって南半球のリゾート気分なんですかね。それとも全然ノれなかったりするのかな。もうよくわかんねえけど、とにかく夏! サマー! 誰のせい? それはアレだ、夏のせい!(*2)

*1 ゲームキューブはハードレベルで偏光処理実装してます

あ、これ想像。というかそうじゃないとあの水の処理説明つかないし、たぶんそうなんだと思う。

*2 誰のせい? それはアレだ、夏のせい!

スチャダラパーの名曲中の名曲『サマージャム'95』。マリオサンシャインの夏はこの曲の夏とはちょっと違う夏だけど。

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2002.07.21(スーパーマリオサンシャインより)

マリオサンシャインと私

 うっかり日曜日の「日」を無意識に「水」って書いちゃってあわてて修正するくらい水辺の町ですよ。
 そのくらい飛び乗ろうとしては目測を誤って水にザバーンを繰り返す今日のプレーですよ。重要なところをぼかして言えば。海のおつまみをちぎっては食いちぎっては食いの今日のプレーですよ (食べてはいなかったと思う) 。

 ところでこのゲームのやり方。できること相当多いんで、個人個人でけっこう差が出ると思うんですけど、僕としてはものすごいのんきなプレーをしようとしてますよ。つまり難しそうなことはやらない。
 なんつうかね見えてるのよ遠くに青色のコインが。見えてるんだけど、あれを取ろうとすると日の丸飛行隊もビビるくらいの超ジャンプを見せないといけないんですよ。つうか個人的に無理。不可能ではないにしろ、それを実行するまでには数十度の失敗を繰り返さねばなるまいと思われる。そんな具合。だから僕はあのコインを無視して、他の場所に行くのだ。
 というかその後思い出したように説明書とかパラパラめくってたら、そういうけだるいプレーをむしろ推奨していて驚いたんですけど。
 なんつうかマリオシリーズって、大人から子供まで遊ぶじゃないですか。だからある程度間口も広いように作ってると思うんですよ。高度な技を要求するポイントもありつつ、でもそういうの無視してもゲームは進められつつ、でも完璧なプレーするとオイシイ思いもできるようになっていつつ。
 そういうのの結果として、「自分に無理っぽいことはやらない」プレーが推奨されるようになってるんだろうけど、スゴいって思ったのは、そういうけだるいプレーを別に説明書読んでなかったプレイヤーの僕がなんとなく実行してたってところなんですよ。
 だって僕とか実力の伴わない完全主義者 (意訳: だめ人間) じゃないですか。普通だったら、もう必死こいて全部とりこぼしなしでプレーしようとして結局うまくいかずふて寝につぐふて寝っつうパターンですよ。それが今回、別に誰に言われたわけでもないのに、まーいいやとか思って次の宿場に足を向けてるんですよ。
 僕をここまで変えたのは、思うにやっぱりこの夏の日射しなんですよねー。夏? 水着? 開放感? そんな雰囲気でなーんか別にそんな必死にならずに今を楽しもうと思ったりしてね。観光気分であちこち見て回った方が楽しいゼとか思ったりもしてね。このゲームの南国ロケーションの中にいると、あんまり必死な完全主義プレーする気にならないんですよマジな話。
 これって狙ってやったのかなあ。だとしたらスゲエ計算ぶりっていうか、人知を越えたみわざですよ。ある程度「マリオだし、子供から大人まで遊ぶゲームだし、明るくのんきーな感じで」とかいうイメージは元々あったとは思うんですけど、じゃあやっぱり計算のうちなのかな。つうかそうなると僕とか完璧に手のひらの上ですよ。踊らされてますよ。
 そんでその計算のもとに踊らされるのんきプレーがまた楽しかったりしてね。次はどこ行こうかなーなんてそればっかり考えてたりすんのよ。アーロハー。

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2002.07.21(その他もろもろの話より)

サマージャム2002

 気がついたらもう7月も半ばを過ぎてですよ。なーんかもう花火大会とか夜始まってるしね。ほっといたら盆踊りも始まりかねませんよ。
 そうなんですよ気がつけば季節はもう夏。夏本番。サ・マー! なんつう具合に盛り上がってやがるんですよ、太陽とかが。僕に無断で。
 もう気がついたら最後でスゲー煽られるわけですよ気分。定番中の定番でいまさら書くのもあれだけどスチャダラパーの『サマージャム'95』とか脳内でもうガンガンかかるわけですよ。ヘビーローテーションなわけですよ。いまさら。
 うわヤバいどうしようっつうか別にどうもしなくていいんですけど、夏を満喫しろってメチャメチャ言われてるんですよ、太陽とかに。←お薬の方は大丈夫ですか
 意味なく近所ぶらついて風を感じたりしちゃったりなんかしての広川太一郎節ですよ。意味なんかないですよ行為にも文章にも。意味なくって最初に書いてるし。そのぐらい夏気分を吸収しねえとって焦ってるわけですよ。
 あーどうしようとりあえずコンビニ行っとく? とりあえずガリガリ君1本だけ買ってく? ガーリガーリー君ガーリガーリー君ガーリガーリー君?

 ではみなさんハバナイスサマー。
その後ガリガリ君と一緒に森永の「みぞれ」(イチゴ味) 買ってきたけど、これも信じられねえくらいウマいね。舌とかバカになっちゃうけど。毎年同じこと思ってますよ。

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2002.07.22(スーパーマリオサンシャインより)

CAN'T HELP FALLING IN LOVE

 だーかーら高いところから落ちる系はマジで怖いからやめようって!
 というわけで今日は夢と魔法の王国的な場所を中心として高速移動する物体に乗ったりなんなり色々とやってて、あー本当にマリオって各ステージごとに趣向が凝らしてあってスゲエなあ飽きさせないなあとか思ってたんですけども、だけどそれはそれとして、あの高いところから落ちる系は怖くて失神とかするからなんとかしようよと僕は言い続けてるんですよ本当の話。
 これゲームやってない人にはピンとこないかもしれないんですけど、あれは怖いね!マジで。あれ人間のスケールでたとえると多分、およそビル20階分くらい落っこってるでしょリアルな話。3Dでアレやられたら怖いっつうの。たぶんCCDとか使って(*1)ゲーム中の僕の表情とか見たらスゴい顔してると思いますよ。『金色のガッシュ!!』の登場人物級の顔リアクションしてますよ思うに。
 そんで別に落っこちることで道が開ける系ならまだ恐怖感も減るんですけど、たいていは落っこちるイコールまわり道してやり直しとか、最悪落っこちるイコール死っていう、そりゃまあ、普通、死ぬし。みたいなことになってて、「ミスはいやだから落ちるのも怖い」っていう気持ちと「純粋に落ちるのは本能的に怖い」っていう気持ちが相乗効果をあげてものすごい恐怖になってるわけですよ。
 ふだん僕があんまり3D系のゲームやってないせいもあるんでしょうけど、それにしてもこのゲーム、高いところ余裕で登るじゃないですか。なにぶんマリオだし。だいいちゲームキューブになって扱えるポリゴン数増えたおかげで、Z軸 (高さ) にもポリゴン使いまくってんのよ無駄に。
 ポリゴン数少ない時代とかはあんまり高さも高くできないところがあったと思うんですよ。ポリゴン数の限界があって。そんな高い場所まで作ってられないという面があって。
 でも今回ゲームキューブだからってもう調子こいてすごい高さまで構築してるんですよ世界を。そんなもんだから今までだとヒューなんつって比較的短い時間しか落下できなかったものが、マリオサンシャインなんつったらヒューーーーゥてな具合で小高い山レベルのとこから落下かましてるわけですよマリオが。
 あーもー怖い。気持ちいいけど怖すぎ。あ、一応言っておくと怖いけどそこが楽しいわけですから、そこ勘違いはしないでいただきたいですな。絶叫系マシーンに乗る気持ちで。

*1 CCDとか使って

使わなくていい。

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2002.07.22(かまいたちの夜2より)

TIME GOES BY

 なんといきなり『かまいたちの夜2』まで始めてしまったのである。スーパーマリオサンシャインもまさに今やってる最中だってのにかまいたち2まで始めてしまった今日この頃である。いや本当に、どうしよう。
 今日はたまたま休日だったからいいんですけど、これが平日とかたまの休みとかなるとこうもいかないだろうっていう……まあそのへんのことは後でまた書くんですけど。
 とにかくかまいたちである。ひらがなが連続して読みにくい。それはともかく『かまいたち2』である。なんでマリオやってる最中に『かまいたち』まで、と思う人もいるかもしれない。特に僕なんかは何かのゲームやってる間は別のゲームはやらないタイプの人間で、ドラクエ7やってた時なんか半年もの間ほかのゲームに触らない時代を築き上げてましたよ。そんな僕がいきなり同時プレー解禁とくるのだからこいつは事件だ。
 でまああんまり引っぱってもしょうがないんでさらっと理由を書くと、「季節モノがいまブームだから。自分の中で」
 なにしろマリオであんだけ夏本番気分を満喫した直後というかむしろ真っ最中じゃないですか。これはやっぱ季節的に今が夏だからっつう面もたぶんあると思うんですよ。夏を舞台にしたゲームは夏にプレーしてこそ華、とか思ってみたわけですよ。
 そんな意味で『かまいたち2』! マリオで南国の夏とかを存分に味わう一方で、もっとこう冷や麦めいた夏を味わうとすれば季節はまさに今。開けた窓の向こうの家から風鈴の音が聞こえるようなイメージで。つけっぱなしのテレビから「あなたの知らない世界」かかってるような感覚で。

 とまあそんな具合でやってみたんですけど、……これ、違った意味で怖い。
 あのー僕的に文章読んで怖くなること自体がほとんどないタイプの人間なんで、そういう普通の怖いっていうのはなかったんですよ。でも、これは……なんていうか、いわゆる最初のシナリオをクリアしたんですよ。比較的ふつうに。その後そのへんの細かい分岐を一応全部チェックしたりとかもしつつ、それも終わったんでまー今日はこのへんかなって終わろうとしたら……知らないうちに6時間経ってましたよ。怖っ!
 時間の経過ぜんぜん気付いてませんでしたよ。だいたい僕とかゲームやってる時間の限界が短くて、1、2時間もやればもう十分だろっていう感覚でふだんゲームやってるんですけど、これは……もう、シャレになってないレベルで夢中になってましたねー。なんなんだろうこの没入度っていうのは。
 正直シナリオとか、スリラー物としては軽めじゃん?とか思ったんですけど、それが良かったのかな。重厚な文章だとよく「胃にもたれる」って言うじゃないですか。そう長時間読んでいられないところあると思うんですよ。多分。
 それに音楽や効果音とか、あとメッセージスピードのテンポの良さとか、デジタルの小説ならではの、まあ賛否両論なとこもあるんでしょうけど、少なくとも読んでて退屈するスキを与えないってのはスゲエなと。
 あと操作性が異常に快適。ムービースキップができない(*1)のはあれですけど、全般においてキビキビ動作するし読み込み時間とか気にならないし。フローチャート(*2)で前の選択肢まで戻るとことか、ここまで軽々と戻れちゃって本当にいいの?とか思いますよ実際。

 そんなこんなで6時間耐久。問題は明日以降だ。
 仕事やってから『かまいたち2』6時間耐久はあまりにつらいはずだ。それにマリオサンシャインもあるし。でもたぶんゲーム起動したら今日と同じノリでふと気付けばあれ、もう朝焼け? 綺麗ー。とか言っちゃってるのは容易に予想できる。
 あー困った。遊びたいんだよなあ正直。他のシナリオどんな展開になってんのか気になってしかたないんですよ実際。やっぱり次の週末までとっとくしかないのかなあ。あー。

*1 ムービースキップができない

後で知ったんだけど、できたらしい。

*2 フローチャート

このゲームやったことのない人には、「オートマッピングのシナリオ版」っていうたとえでわかってもらえるでしょうか。

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2002.07.23(かまいたちの夜2より)

恐怖の研究

 もうなんて言うか……順序だてて話すと、結局昨日の日記書いた直後にまた電源入れちゃって、結局深夜ですよ。
 進行状況を少しだけ具体的に話すと、オカルティックなシナリオをプレーしまして、それが完結したところです。ああその説明だと『かまいたち2』は多かれ少なかれ全部そうか。えーとじゃあ、いささか魔術的 (広い意味で) なシナリオ。もっと端的に言うならば、「マジカルドミカル私の魔法で9人全員死ね☆」っていうシナリオ。←思うにそれはちがう
 で、例によって細かい分岐を総当たりで確認したり、あと分岐がどうしても埋まらないところは後回しにして電源を切ったり。
 それでその深夜の頃の話なんだけど、思ったより怖かったです。
 部屋真っ暗にしてたっていうのもあるんだろうけど、なんつうかこう遊んでてふっと後ろとか見たらなんかがいるだろう絶対! よくわからないけど貞子チックな人物とか、なんかドッキリするような仕掛けとかが背後にあるのはこちとら百も承知だ! だから見ない! 僕はゲームやってるだけですから、後ろとか決して見ません! とか男気満点で前のめりに遊んでたわけですよ。
 そんなこんなで思ったんだけど、このゲームってドッキリ系の怖さはあんまり無いんですね。意外に。
 えーとドッキリ系っていうのはいわゆるホラー映画とかスプラッタ映画でおなじみの、いかにもなにかありそうな雰囲気を匂わせて引き込まれたところにドジャーン!とか荒木比呂彦だったらそんな擬音で書きそうなくらいのいきなり具合で恐怖物件がドーンそして音もバーンっつう、そういうやつ。
 あの演出、意外と『かまいたち2』じゃ見ないですねー実際。サウンドノベル(*1)の性質からいって、すごくやりやすそうなのに。というか……まあ、それやられると多分ものすごい悲鳴とかあげるんで、深夜に。だから個人的にはむしろ助かったという面もあるんですが。

 基本的に文章だと、ドッキリ系の怖さって表現不可能ですよね。どんなに文章で気分盛り上げてって唐突に「それはお前を食べるためだよ!」とたとえば太字で書いたところで、ドッキリはしないじゃないですか。音とか動画とか、作り手がタイミングをコントロールできるメディアじゃないとドッキリ系は難しいと思うんですよ。
 で、じゃあ文章が得意な怖がらし方ってなんなのかって考えてみたんだけど、思うに不安系ですよそれは。あ、この「系」もいま書きながら適当に名づけてるだけなんでなんつうかまあ滅茶苦茶なんですけど、とにかく不安系。
 いかにもありえないような、それでいてあったらいやなことが起きるタイプの恐怖。実際さっき言ってたような「部屋でゲームやっててふと後ろをふりかえると貞子ぎみな人が」っていうのも、基本的にありえない話じゃないですか。100%ないといいきれるんですけど、でもあったらスゲエいやだなあっていう。
 それって本当にありえない話っていうのが前提だから、文章だと強いんですよ。「こんなことはあり得ない。だがこれが事実なのだ」とか書いちゃえばもう、とりあえず文章の中では事実っていうことになっちゃうんだから。
 逆に映像とかだと、なんていうか「雑音」が多くてあんまり恐くないんですよ。「こんなことはあり得ない……つうか実際、特撮じゃん?」みたいな気持ちになっちゃう面あるじゃないですか。役者の演技とかカメラワークとか予算とか、どっかが足を引っぱる部分多いんですよ映像。文章はその点読者まかせの部分が多いんで、ありえない恐怖物件を描かせたらけっこう怖いっていうか、事実今回の『かまいたち2』のシナリオは中盤けっこう怖かったですよ。

 そして話は現在にたどりつく。えーとね、まさしく今このページ書こうとして電源入れた直後くらいの話なんですけど、開けた窓のむこうからものすごい子供のうめき声が聞こえてきたんですよ。
 いや……、まあ、たぶんさかりのついた猫なんでしょうけどおそらくそんなとこでしょうけど、僕も猫好きとして言わせてもらえば絶対さかりのついた猫はあんな声出さねえんですよ! ここ2階で周囲に塀も木もないのに、なんか音がメチャメチャ近いし! あきらかに恐怖物件が窓の外でマリオサンシャインよろしくぶらさがってるんですよ。それ以外説明つきませんよ。
 ブラインド開けて確認したりは絶対しませんよ。開けたらその瞬間に青白フェイスの貞子状の何者かが刃物めいたものをこっちにふりかぶってるのがドギャーンってなるに決まってるんだ。ああ絶対開けないとも。僕はこの窓を絶対に

*1 サウンドノベル

あれ、そういやいつのまにか「サウンドノベル」って言い方しなくなってる。パッケージ見ても載ってないぞ。

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2002.07.25(スーパーマリオサンシャインより)

天国に一番近い島

 ゲームやってない人向けに説明すると、マリオサンシャインはなんつうか小分けのイベントをクリアしたりしなかったりして進むゲームだ。これは言葉のあやではなく、本当にクリアしなくてもそれなりに先に進んだりもできる。
 で、そのイベントは比較的多種多様で、テクニカルに反射神経を要求される正統派アクション物から、意外なところであることさえすれば後はおおむねOKという頭の体操的なやつ、ふだんのマリオとはまったく別のゲームみたいな独特のミニゲームまで、わりとなんでもありだ。その中から適当に選んで遊んだりクリアしたり、自分に合わないと思えば後回しにしたり、そんなふうに遊んでいく。

 そんなこんなで今日の話。今日はそういうイベントの中でも、たぶん特に短いと思われるイベント(*1)をクリアしたり、凝っているとはいえマリオの中ではわりと普通そうなイベント(*2)をクリアしたり、特に変わってると思われるイベント(*3)をクリアしそこなったりしていた。
 それで特に最初の短いイベントは、なんというか短いだけあって特に何かを探すでもなく、純粋に敵とのバトルを楽しむという具合の、そんなイベントだった。
 で、えーとこれは最初に言っておかないといけないのだけど、とても面白く遊んでたのですが、その一方で、あーつまらないなあ、とも思ったのだった。
 だって戦ってるだけなんだもん。僕はもっと広いステージをあっちにうろうろこっちにうろうろしたいのだった。
 それはつまり、この暑い夏の日射しに満ちた、変化に富んだ美しい島を隅から隅まで歩き回りたいということなのだ。敵と戦っていたのでは、そんなひまがない。だからこのイベントは、いやもちろんアクションとしてはおっとこっちかいかんタイミングをあやまったええいこれでどうだ的にとても楽しいんだけど、一方この島を満喫するという意味ではいまひとつ面白みに欠けていたのだった。
 そうだ、僕が必要としているのはレジャーなのだ。
 そして僕は次のイベント、いわゆる遊戯施設をイメージしたステージの中の、極端にはでなアトラクションの中で、水にザバーンって落ちたり絶叫マシーンに翻弄されたりふと見上げた先にある限りなく青い空を堪能したりとキャッキャキャッキャ遊んでいたのだった。

 それくらい、この「ドルピック島」は魅力的な場所だ。まっとうにイベントをこなしてエンディングを見るというのが正しいあり方ではあると思うんだけど、僕の望みといえばひたすらにこのちっぽけで美しい島を、ただのんきに楽しんでいたいというそれだけなのだ。
 正直に言えば、このゲームに目的なんかなければいいのにと思う。とらわれの誰かを救ったりとか悪者を退治したりとか一応の目的はあるこのゲームだけれど、そんな動機付けがあればあるだけ、そしてその動機が切実であればあるほどに、僕はゲームをのんきにだらだらと楽しむことができなくなってしまう。ちょっと必死にならなくちゃいけないような気がしてしまうのだ。
 別にいいじゃないかそのへんの困ってる人をなんとなく助けるとかその程度で。いやそれすらもなくて、ただコインを集めたいから集めるとか、そんな理由になってない理由でもいいぐらいだと僕は思う。

 しかしまったく、夏は暑いですな。

*1 特に短いと思われるイベント

巨大な多関節キャラが大暴走するやつ。

*2 わりと普通そうなイベント

大人から子供まで楽しめそうな施設の中の、海賊にかかわりのある物体でてんやわんやのやつ。

*3 特に変わってると思われるイベント

ギャンブル性の高い遊技用具をイメージさせるステージで、スポーンってなってヒューッてなるやつ。

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2002.07.27(かまいたちの夜2より)

さすがにそれは思慮に欠ける

 いやあ、もう、困っちゃった。
 今日遊んだのは、えーと未プレーの人に配慮しつつ端的に書くのなら、虫にまつわるシナリオ。
 これ言っちゃうとこのシナリオが好きっていう人に怒られるかもしれないんですけど、中盤くらいまでもう本当死んだ目をして遊んでましたよ僕は。
 ひとことでいえば「さすがにそれは思慮に欠ける」という感じで、そこでこの行動はあんまり軽率ではないかとか、ふつうそんな簡単に納得はしないだろうとか、それはあまりに飛躍のしすぎではないかとか、こんな簡単なことに気付かないのはなぜだとか、あとプレイヤーの選べる選択肢がどれも「主人公=頭悪い」に結びつくのはどうかとか、そんな具合でかなりゲームに入り込めなかったんですよ。
 話のあらすじだけ追ってみると、意外にしっかりした筋立てとか生理的にイヤな小道具の使い方とか、もっと推敲したらスゲエ怖い&面白くなってそうなのに、これがためにゲームに入り込めなくてなんとも死んだ目ぼんやりプレーしかできないっつうのは悔しいじゃないですか。
 これって小説における「編集者」がいないせいもあるんじゃないのかなーとか思うんですけど。もちろんゲーム会社の人がそれにあたる仕事はしてるんでしょうけど、プロ中のプロたる本職の編集者とはやっぱり違うだろうし。あと小説家の人が監修してたりもしますが、作家と編集者ではやっぱりスキルの内容が違うものだろうし、というかそれにしたって「振りかざす」という言葉の使い方がどうみても100%間違ってたのは、いくらなんでもあんまりじゃないかとか思うんですが(*1)

 あと、いわゆるところの「チープな特撮」とか、細かいところでやたら合わないつじつまとか、文章というかイチ小説としてあんまりな技巧のなさとか、ものすごく場違いな鳴り方をするBGMと効果音とか、えーとその、なあ? という感じで、相当ガッカリプレーだったわけですよ今日。たぶんそういうつっこみ所をいちいちつっこんで書いたらけっこうな面白レビューテキストサイトが誕生すると思うんですよ。つっこみの部分は太字で。
 で、後半。
 やっと気付きましたよ。これ、B級ホラーじゃん!
 えーとまだこのシナリオやってない人のために詳しい話はしませんけど、ものすごい立派なB級ホラーでした。いや、正直大笑いですよ(*2)。エンディングも「あーB級ホラーといえばこれはこうなるなー」と思った方向にリアルで進んでいくほどのもうB級ホラー節全開で、それ見ながらあーこりゃもう全部許せちゃうなーと思わず納得。
 そうやって考えれば、「さすがにそれは思慮に欠ける」というのはもう凄いB級ホラー特有の……なんつうか、演出?
 たとえば『13日の金曜日』なんつったらもう思慮に欠ける若者 (そしてジェイソンがチェーンソーをギャーン) のオンパレードだったけど、それはもうなんでこんな危機的状況なのに一人でのこのこ暗がりに行きますか?という感じだったけど、そういう「さすがにそれは思慮に欠ける」感を出すためにこのシナリオもわざわざそういう事やってるんですよ。すべての謎が解けましたよ。
 まあそんなわけでけっこうに楽しめた今日の僕だったんですが、実際の話みんなが楽しみに待っていた『かまいたちの夜2』で徹底したB級ホラーをやるのって結構な英断だなーと思ったり、実は作ってるほうはそのつもりが無かったりしたらちょっと気まずいなあとか思ったりしたんですが、まあいいや。

*1 振りかざす

選択肢に「振りかざす」と「頭上にかかげる」というのが別々にあって、どう違うんだろう?とか思ってたら、「振りかざす」は「対象物に向かって振る」という意味合いで使われていた。いや、それは……。

*2 大笑いですよ

B級ホラーで大笑いするのは、人としてとても正しい行為だと僕は思います。

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2002.07.28(かまいたちの夜2より)

終わりがないのが終わり

 終わりました。
 ひとことでいうならば、その、輝かしげなしおりを発見しました。これは隠したことになっているのか。
 やたら展開早いですが、なにしろ何時間もぶっ通しで遊んでたから。
 本当にこのゲームの「つい続けてる性」の高さときたら半端じゃないと余裕で言いきれる。
 『かまいたち2』のテンポの良さっていうのは異常というか、正直ゲームやってて一番めんどくさい作業ってのが実は「ゲーム終了」選んでセーブ待ちの時間というくらいで、それ以外の作業すなわちふつうのゲームをつい続けちゃうっていう、恐怖のシステム。

 そんなこんなで1日分の日記にとうてい書きがたいほどの多量のエピソードをこなしきったのですが、えーとまあ順番に書いてみよう。

 まず最初に遊んだのが、こう未プレーの人に配慮しつつ書くのならば「タイトルが全部カタカナで書かれた篇」。うまく隠しきった気がする。
 これ謎ありアクションありで面白でしたよ想像以上に。そういえば前にやった時にけっこう怖かった魔術的なシナリオ、あれも同じ人がシナリオ書いてましたけど、個人的に面白シナリオライターにカテゴライズされましたよ今回。
 そんな夢見る時を過ぎて、ある種のしおりを発見いたしました。というかこれはもう『かまいたち』とかサウンドノベルの基本みたいのものなので正確に表現しますが、ピンクのしおりですよ。桃色シナリオの登場ですよ。それは猛烈な桃色片思いぶりでしたよ。
 というか、えーとこのエロスぶりはOKなんですか? 仮にもゆりかごから墓場まで誰もが遊ぶゲームのはずの『かまいたち2』で、この直接的なエロスにはなんらかの問題がありはしないか。いちおう説明書とかパッケージ見てみましたけど、全年齢版でしたよ? 暴力・グロテスク表現ありでしたが、そういうのと別ベクトルむしろ逆ベクトルですよ、これ。
 とまあ僕が心配する筋じゃないですけど、なんか妙な心配をしたりしている間にもものすごいショートシナリオを2つほどクリアーしてたり。もうこのシナリオ、すごいションボリですよ。いい意味で。がっかりですよ。もちろんいい意味ですよ。いや本当に。
 それやこれやで他のシナリオを連続クリアして、ああこのへんはちょっとはしょるんですけど、それというのもあんまりゲームのテンポ良いせいで猛スピードで消費しちゃってて思い出というのがさほどないので。

 あと、今しか言えないから少し苦言めいたこと言ってもいいですか? しかもゲームのエンディングにまつわるある種の事実をさらっと言ったりもするんですけど。だからそういうの知りたくない人はこれから次の大段落まで読まないでいただけるとありがたいんですが。
 これ『街』遊んでるときも思ったんですけど、えーと、いわゆるトゥルーエンディングってあるじゃないですか。たまに「トゥルーエンディングなのにいやな目にあう」って場合あるんですよ。
 なんていうかアンハッピーエンドですよ。個人的には小説とかでもアンハッピーエンドってあんまり好きじゃないんですけど、こういうノベルゲームはむしろ別口で、「ゲームの場合エンディングは絶対ハッピーでなければならない」っていう持論の持ち主なんですよ僕は。アスピック(*1)の時代からそうですよ。
 これは理由あって、ゲームシステム上プレイヤーはバッドエンドを断固として回避して遊ぶわけですよね。一度トゥルーエンド見た後はバッドエンド目指して遊ぶこともありますが、基本的にはバッドエンド回避の気持ちでがんばっていくじゃないですか。そうしないとゲームが成り立たないので。にもかかわらず、そのバッドを回避してたどりついたトゥルーがまるでバッドのごとき結末っていうのは、必死にバッド回避してきたプレイヤーに対する裏切り行為だと思うんですよ。
 まあそれほど問題じゃないっていうか、『街』と比べたらずっとましだとは思ったんですが。

 で、気が付けば早くも輝かしいしおり登場ですよ。
 ……あー、というか白状すると、このしおりを出すまでに2つ3つほど詰まりまして、インターネットでよろしくやりました。←なんとかして言葉をにごす
 でも実際インターネット凄いね! あの僕は考えたらあんまり最新ゲームって買わない……というか買うことはあるんですけど、発売日に買っても半年くらい余裕で寝かしちゃうタイプなんで、とにかくリアルタイムで情報が更新されてるさまって見たことなかったんですけど。
 いまってまだ発売してマジ間もないですよね? まだ発売後1週間なのに、このスピード攻略具合ってどうなの? つう具合にもう早くも完璧に攻略しきってるんですよ各所で。もうGoogleのクロールが間に合ってないの。あの攻略する人々っていうのが、もうなんだろうあの情熱は。
 あ、そうそう。それで判明したんだけど、やっぱり攻略サイト見て正解だったっていうか、普通に遊んでてあれ、わかるもんなの?
 どう見ても解けそうにないっていうか、あれ、バグでしょ? って言われても困ると思うんですけど。
 ちょっと納得いかないところがあると即バグあつかいするのも実際どうかって思うんですけど、だってこれフローチャート見ても分岐してないんですよ。緑の分岐じゃなくて普通の灰の分岐で(*2)、線がもうすでにつながってるんですよ。それはつまり分岐しおわったってことじゃないですか。にもかかわらず、その先を見続けてくと新たなシナリオが始まるんですよ?
 あと、選択肢を選んだ直後ではフラグ立たずに、その先の文章をずっと読まないとフラグが立たないっていう事があるってのも気付きませんでした。これは明らかに僕が悪いんだけどさ。これたぶん攻略サイト見ないかぎり気付きませんでしたよ僕とか。
 とかなんとかあって、登場したのが例の輝かしいしおりですよ。

 このしおりで起こるアレ、ちょっとハンパじゃなく怖い! えーと詳しいことはもちろん書きませんけども、なんていうか狂的なこわさっていうか、すごく理に落ちてないかんじが……もう……トイレ行くまでに絶対そこに至るまでの電灯とか煌々とつけ続けなければ行けませんよ。明かりつけずに行くくらいなら我慢しますよ。事実僕は電気消してゲームする派の人間なんですけど、その場面に関しては思わず電気つけましたよ。煌々と。いわば不夜城ですよ。
 ていうかね、あの場面でなんでジャストタイミングで地震が起きるの? リアルで。リアル地震ですよ! リアルアースクウェイクがマジで起こったんですよ! 半泣きですよそれは本気で! なに? 神? 神とかが僕を泣かせにかかってるわけ? やる気か神!

 それで思ったんですけど、あれ……で、最後……なんですかね。まだこの先にすごい恐怖が待っていそうな気もするんですよ。終わりじゃないような気もするんですよ。まだこの先に追加シナリオがありそうな気がするんですよ。
 あ、これは実際わかんないですよ本当に? マジであれで終わりかもしれないんだけど、でも終わりじゃないかもしれないような……このモヤモヤした感じもふくめて怖いんですけど、あー、もう……終わってもなお怖さが終わらないっつう、そのゴールドエクスペリエンスレクイエムっぷりはどうなのよ? ジョジョの第5部の話ですけど。

 思うのは、今この時期に遊んだのは正解だなーっていうことで。夏っていうのがもう「夏=怪談」っていうノリの風情があって楽しかったのもあるし、もうひとつは『マリオサンシャイン』同時進行で遊んでるんで、たとえ怖くともワッホーなんつってジャンプすれば心は晴れやかに戻るっつう見事なリカバリー機能。
 もう記憶の底に封印してたいやな思い出なんで今になるまで忘れてたんだけど、僕にとって夏と怖い話の結びつきって鬼門なんですよ。
 コミックボンボンで『次元生物奇ドグラ』(*3)読んだ小学生のときは本当もうひと夏のあいだ恐怖につぐ恐怖で、いまだにあの頃の思い出の場所 (駅とか) 行くといやーな気分になるくらいだし、もう成長して高校生とかなってもそういう夏場の恐怖話でせっかくの夏休みがどんよりしたりしたんですよ。恐がりっていう以上になんか、夏の暗黒面にうまい具合に怖い話がシンクロしちゃったりして、なんだ「夏の暗黒面」って。
 たぶんすごい個人的な感覚だろうから読み飛ばしていいんですけど、夏って爽快で楽しい一方で、なんかあの太陽のギラギラ感とか、クーラーの人工的な涼しさとか、永遠と思えるくらいの長い休みとか、なんかこう非人間的なイヤな感覚も感じるんですよねー。いや個人的な感覚だとは思うんですけど、自分の中の暗闇を発見しやすい時期なんですよ、夏。
 どんどん個人的かついやな方向に話向かってるんでこの件は早々に切り上げますが、とにかくそんな具合に実は危険度大だったんですよ『かまいたちの夜2』。
 だから今年の夏はマリオサンシャインがあってくれてよかったっていう、なんだか変なまとめになっちゃったなあ。

*1 アスピック

ずっと昔のパソコン用RPG。詳しくはこんな感じ

*2 緑の分岐じゃなくて普通の灰の分岐

ゲームやってない人にはこう表現されてもさっぱりでしょうが。

*3 『次元生物奇ドグラ』

あれから何年も経った最近になってわかったことなんですが、どうやらあの夏このマンガは数え切れないほどの小学生を恐怖のどん底につき落としていたらしい。

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