人生: 過去ログ 2005年08月

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過去ログ 2005年08月

※下に行くほど新しい記事です。

2005.08.01(シルバー事件より)

スギウラよ、お前はどこにいた

 今日も例によって"transmitter"と"placebo"を1話ずつ終えて、簡単にいうとネットワークっていうのは、アレよねー、みたいな話だったんだけど(こんなにも人のやる気をそぐ紹介のしかたがあるのだろうか)、そんなことはさておき長い前置きを始めようか。

 「しゃべらないプレイヤーキャラ」というものをどう解釈するか、意外と人によってそれはバラバラである。
 いちばん有名な例で言うと、ドラクエの主人公はしゃべらない(*1)。クレイジー・D(ダイアモンド)は砕けないそうだが、ドラクエの主人公はしゃべらない。←書くんじゃなかった。
 ある種のプレイヤーはこの主人公を「ぜんぜんしゃべらない人」と認識しているそうだ。なんか話しかけられてもじっと黙っている。うなずいたり首を振ったりはするかもしれないが、声は出さない。彼がしゃべるのは「はい」とか「いいえ」とか「みんながんばれ」とか、ゲーム中にちゃんと明示されるコマンドだけである。
 またある種のプレイヤーにとってはこの主人公はプレイヤー本人であって、プレイヤーが思ったことがイコール主人公のセリフ(あるいは思考)になるという。村人に気に障るセリフを言われて「うっさい」と思ったら、それは主人公が「うっさい」と言ってる(少なくとも思っている)ことになるのだ。
 そしてある種のプレイヤーは、主人公が主人公らしいセリフを喋っていると想像する。なんつうのいわゆる脳内設定つうやつを多かれ少なかれ構築し、その性格に合わせたセリフを喋っていることにする。村人のセリフでムカついても、設定上の主人公が柔和な性格であれば笑って許しているところを想像し、そんな感じのセリフを脳裏に描くのだ。
 白状すると、いちばん最後の「設定に合わせたセリフを想像型」である僕にとって、「プレイヤー=主人公型」はまだしも、最初の「ぜんぜんしゃべらない型」解釈の存在はかなり衝撃的だった。そんな考え方があるとは思いもしなかったのだ。良い悪いじゃなく、単純に驚いた。まさかって思った。今はもう慣れましたが。
 思うに、これはある種の世代論になるんじゃないだろうか。ゲームに出てくる主人公とのファーストコンタクトがなんだったかでけっこうその後の主人公観が変わってきたりはしないか。
 たとえば『ファイナルファンタジー』というゲームがある。このシリーズでうかつに「プレイヤー=主人公型」とか「設定に合わせたセリフを想像型」で遊ぶと、そりゃゲームが目茶苦茶になることだろう。自分の思い通りに喋ってるのを想像してたら一転、思いもよらないセリフをゲーム中で喋り出すことになるんだから。あ、『1』と『XI』を除いた話ですけど。そういうのに慣れたプレイヤーは、他のゲームでも同様のルールを適用しがちなのではないのか。そういうもんでもないのか(弱気)。そういう流れでドラクエも「ぜんぜんしゃべらない型」で遊んでるってことはないだろうか。
 ドラクエはこの点けっこうスタンスがあいまいで、実際どのスタイルで遊んでもそれなりに通用するようにできている。とは言え、作り手側の意識としては「プレイヤー=主人公型」を中心に作っているように見える(特に初期3部作にその傾向は強い)。このあたりのゲームに親しんでると、他の主人公がしゃべらないゲームでもやっぱり「プレイヤー=主人公型」になりがちだったりしないだろうか。誰に聞いたわけでもないので想像だけど。
 『ウィザードリィ』なんかだと、ドラクエの「ゆうしゃ」的ピンの主人公ポジションが存在せずにいきなり6人編成の主人公パーティーで始まるから、このゲームを「プレイヤー=主人公型」で遊ぶのは無理というものだろう。まあ、パーティーの1人に自分の名前をつけてそいつ=主人公=自分っていう遊び方は可能だけど、その他の5人はさすがに「設定に合わせたセリフを想像型」で遊ぶことになる。このへんの古典に属するゲームとか、あとさらにさかのぼってテーブルトークRPGとかを主に遊んでた世代はやっぱり、いくつになっても「設定に合わせたセリフを想像型」かたぎが抜けないってことはないですかね。
 ものすごくおおざっぱな分類で、無理あるなあってのは今書いてても思った。
 実際あきらかにこの世代に属するクリエイターがただ何も考えずに作ってみたようなゲームとかでも、けっこう『ブルトン・レイ』みたく今までしゃべらなかった主人公が最後になっていきなり裏設定まじりのセリフを語り出すとかそういうことも多かったしなあ(*2)

 というのが前置き。(ひどいと自分でも思う)
 『シルバー事件』の主人公はしゃべらない。いや、それだとさすがに捜査に支障が出るからしゃべってないわけじゃないんだろうけど、少なくとも画面上にセリフは表示されない。
 最初のうち、僕はこの主人公に自分を投影して遊んでいた。「設定に合わせたセリフを想像型」の自分としてはえらく珍しいパターンである。ふう、このことを言いたいがためにあの前置きはあったのだ。
 ゲーム画面がポリゴンの主観視点だったこともあるし、名前に「スギウラ」なんつう自分のハンドルネームを入れた影響もあったのだと思う。ゲーム中みんながスギウラスギウラ呼んでくるから、おう俺っちのことかいと僕もなんとなく思ったのだ。
 だが、遊んでるうちにどうも様子が変わってきた。ものすごく陰影の濃い顔グラフィックが出てきた。陰影が濃いのは顔を影で隠してプレイヤーに予断を持たせないための措置だったのだろうけど、なんかかえって不気味なイメージが先行してしまった。それに、他のキャラクターのセリフで描写もされることも何度か出てきた。いちばん始末に困ったのは「自衛隊みたいな」というやつだ。どう客観的に考えても僕はパッと見の印象が自衛隊員って感じではない。ないのであります、上官殿。←自衛隊員に対するおそらく誤った認識
 結局いつのまにか僕の中でスギウラというキャラクター像ができてしまった。スギウラは短髪で背が高く、引き締まった体格の男である。そのくせ体育会系という感じではなく、どっちかと言うと隣にいる人を居心地悪くさせるような物静かな男である。顔なんかは線が細くいい男とも言えば言えるがそれ以前に、大切にしていたペットが死んだ朝にそのまま出勤したような目をいつもしてるせいであんまり第一印象のよくない男である。不満があっても表に出さないし、だいいち現状をありのままに受け入れて不満をそんなに持たない男である。笑う時は顔を背けてこっそり笑い、微笑む時も目を伏せてそっと微笑む男である。もう何年も泣いていないし、怒った時でも表情の変わらぬ男である。
 いったい誰なんだ、こいつは。なんか知らないが遊んでるうちにこういうことになったのだった。
 自己主張が少ないところなんかはたぶん、ゲーム中で独断先行したりしないところから来ているのだろう。そういうのは主人公以外のキャラの役目だったのだ。妙に落ち着いて見えるのはやはりゲーム中、慌てるような描写がなかったからだろう。慌ててもいいようなシーンは何度かあったのだけれど、そういうときはたいてい周囲も主人公どころではなかったので、スギウラが慌てる描写がプレイヤーである僕には見えなかったのだ。第一印象が悪いのも、いろんなキャラクターからとっつき悪そうな対応をされているからだろう。まあ、そりゃ殺人事件とかを追ってる刑事的存在がそんなにいい対応をされるとも思えないけど。
 そんなこんなでゲーム中の描写に合わせていつのまにやら僕の中のスギウラ像が形成されていったのだが、ここまで書いてちょっと気になることを思い出した。かなり初期のころ、とある動物みたいな顔をしてると某キャラクターに言われていたのだ。僕はその動物がどんな見た目をしてたか憶えてなく、えーとたしかあれイギリスかどっかの犬種でわりとスッキリした見た目の長毛種だったよな、とかぼんやりと思ったままだいたいそんなとこだろう的に今まで流していたのだけど、いちおういまGoogleでイメージ検索してみた。ゲームをやった方ならおわかりですね。そう、あの動物。ゲーム遊んでない人にも隠すほどのことではないと思うので、検索結果はこちら
 ……うわあ、スギウラのイメージと全然ちがったなあこれ。

 というか僕はどこをどうやってこれを「イギリスかどっかの犬種でわりとスッキリした見た目の長毛種」だと憶えていたのか、そっちの方がむしろ問題ではないのか。大丈夫か。

*1 ドラクエの主人公はしゃべらない

正確には『1』と『3』ではひとことずつしゃべった。この話出すたびに毎回言ってしまってるけど。

*2 『ブルトン・レイ』

いくらなんでもたとえが古いよ。まあ、それぐらい衝撃的だったっていうことです、最後になっていきなり裏設定まじりのセリフを語り出す主人公。今までの自分の想像してたキャラとあまりにもイメージが違いすぎてたので。

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2005.08.02(シルバー事件より)

事件解決

 これから『シルバー事件』を遊んでみようと思っている人(*1)にはちょっと引いてしまうことかもしれないが、実は僕はこのゲームがちょっと苦手だった。プレステの電源を入れるのにちょっとばかり気が重たいこと多々だった。
 こんなことを書いてしまうと今まで読んでいた人から、あんたあんなに面白え面白えって言ってたじゃないかよ! 大人って、信用できねえ! この支配からの脱出! 盗んだバイク! 夜の校舎窓ガラス! という感じで怒られるかもしれない。いや実際面白かったんだけど、あるじゃない面白そうなホラー映画だけど怖いから観たくないとか、いい曲なんだけどハードすぎて疲れるから聴きたくないとか、そういうやつ。
 このゲームを遊ぶたびに気が重たかったのは、ゲームに登場する誰も彼もがギスギスしていたからだ。
 とにかく登場人物たちの会話がみんなエゴイスティックというか、自分自身に分かるようにしかしゃべらないっていうか、どの連中も相手の共感を得る努力最初から放棄してるようなしゃべり方ばっかりで、会話と気持ちがすれ違うことTV版Zガンダムのごとし。君らはどこの富野ゼリフ(*2)かと。人はわかりあえるってララァとかが言ってた気がするよと、そうアムロは言ってたというのに。何の話だ。
 そんなお互いを拒絶しあうような会話の連続で、またこのゲーム『キラー7』や『花と太陽と雨と』なんかと比べてセリフの量が膨大なんですよ。こんなトークを延々読ませられるのはぶっちゃけ辛い。しかし暗くよどんだ世界観は魅力だし、話がこの先どう進むのかは物凄く興味あるしで、毎日うーんと思いつつ電源を入れ、ウヒョーと喜びながら遊んでたわけです。
 そういや今日ゲーム終わったんだけど(さらっと言うテクニック)、まったく最後まで彼らはすれ違う言葉ばかりをぶつけ合うのだった。人間がそんな便利になれるわけないってセイラさんも言ってたしなあ。
 だが、ここまで読んで「それは、なんかやだなあ」と思った人はちょっと待ってほしい。たまに、たまにではあるが気持ちが通じ合う瞬間があるのだ。時として彼らは「自分にしか分からない話」をやめて、「自分たちにだけ分かる話」をするのだ。あれ、たいして変わらないか。いやいやむしろ2人の間でだけ通じる会話であり、どっちかっつうと心が通じ合ってるからこそできる会話なのだ。いつも会話のキャッチボールというよりはドッジボールになってる中で、不意にちゃんと互いにボールを受け止めあってる会話が成立するからこそそれは尊い。
 正直言って、あの場面の彼の一連のセリフには、ぐっときたね。やっと心が開かれた!っつうのでしょうか。

 さてそろそろ実際のゲームの話をする頃合いなんだけど、なにしろもうゲーム終わっちゃったんで、その、クライマックス周辺なんであまりにも書けないことが多すぎる。
 簡単にかつ具体的なところをぼかしながら言えば、主人公スギウラにも後輩ができ、よし今日からお前の名前はゴリラ風だ。そしてお前の名前はナイスピチめのタートルネックだ。等、露骨な侮辱とセクハラまがいのニックネーム命名をしたかったもののそんなシステムがあるわけでもなく、あれよあれよという間に捜査は大詰めを迎える。そしてついにこの街に平和が戻った! いやそんな単純な話ではなかった! でもその一方でこの街の謎が解けた! と思ったら違った! しかしあの人の正体が判明した! だがそれどころではなかった! そう、もっと凄い秘密があばかれた! だけどそれ以上の秘密もあばかれた! いやいやそんなものではなかった!
 ……とか、そんな感じのたたみかけにたたみかける展開で、最初のころ後輩に「ゴリラ風」とか屈辱的なニックネームを付けようとか思ってたのが今思うと嘘のようです。
 そういう衝撃の展開をいちいちメモしながら頭の中で整理していくと、なんだかんだで話はきれいにまとまった。考えてみると『キラー7』とか『花と太陽と雨と』がゲーム冒頭から不条理展開わんさと取り揃えて何のつっこみもなしに流してたのに比べると、イントロからラストまでキレイにまとまる話だったんだなあシルバー事件。と、しみじみ思ってると……
 ええええええ!? おい、それ、こんな場面で言い出すか!? なんだこれは、オチか! 今までの全部ここに持ってくるための前フリか! ってな感じでドーンと一発やられちゃったんですけど、ええこの頭悪い文章表現はゲーム遊んでない人のために一応具体的な内容を隠しているのです。不条理展開になるとかそういう意味とは違くてなんつうかその、まあいいや。そして始まるエンディング。

 いやはや最後までやってくれるゲームだった。
 冒頭から物凄い情報量で圧倒し、独特の乾いた世界観に酔わせ、最後はムチャにつぐムチャで頭を引っかき回す。まったく、この1作でコアなファンがついたという世間の評判も納得だ。まあ、逆にライトなファンがまったくつかなかったという世間の評判にも納得いく面はございますが。
 確かになあ、テキストはたいがい不親切でサイバーパンク小説調に「読者がわからなくても気にせず進む」方式だし、ゲームシステム自体は旧態依然の単純な移動とフラグ立てと若干のパズルだし(もっともこれは当時のアドベンチャーゲームだってたいていこんなものだったと僕は思うのですが)、こういうゲームがぶっちぎり売り上げ1位を取る世の中があるとすればそれはそれで間違ってる気がする。思えば『シルバー事件』発売から6年、『キラー7』みたくキャッチーなゲーム(その割にストーリーラインと演出ははっちゃけてたとしても)を出せるようになったなんてグラスホッパー・マニファクチュアもがんばったわねえという感じ。もしかすると主にがんばったのはカプコンの方なのかもしれませんが。
 もしこのゲーム日記を読んで、グラスホッパー・マニファクチュアのゲームを遊んでみたいと思った人がいるとしたら、僕はまず『キラー7』から遊んでみなよと言っておきたい。とっつきの良さでは間違いなく群を抜いているのだから。そして次に遊ぶんなら『シルバー事件』を勧めておきたい。いきなり最新ハードからプレステまでさかのぼるギャップはあるかもしれないが、そうは言っても『花と太陽と雨と』より先に『シルバー事件』は遊んでおくべきなのだ。『花と太陽と雨と』には『シルバー事件』のネタバレがあるのだ。そして『シルバー事件』で思いきり胃にもたれるようなディープな内容に酔ったら、次こそ胃薬みたく軽いタッチの『花と太陽と雨と』を思いきり遊べばいいさ。
 どのゲームでも言えることは、どれも作家性が物凄く出ててノリが合いさえすればマジ面白えですよってことだ。不条理劇とか見るのもいやだって人にはさすがにおすすめできませんが。「お話はちゃんとしてないと嫌だ」っていう人にはとても勧められない。ちゃんとしてない話にもちゃんとしてないという面白さがあるのだ(ないこともあるが)という事を受け入れてないと、これらのゲームは楽しめないと思う。
 あとゲーム性を真剣に求める人にも、ちょっと勧めづらい。どれもゲームという媒体でないと成立しない内容ではあるんだけど、それでいて作家性をとっぱらって単純にゲーム性だけで見たらなんか凄い普通、っていうゲームだからなあ。
 もはやホメてるんだかなんなんだかわからない話の流れになってきましたが、僕としてはグラスホッパー・マニファクチュア、OK!つう感じで。次の新作はいったいいつ出るんだろうか。そしてどのメーカーから発売されることになるんだろうか。なんだか変なところでドキドキさせてくれるぜ、グラスホッパー・マニファクチュア。

*1 これから『シルバー事件』を遊んでみようと思っている人

いるのか。いや、でも『Killer7』を遊んでこっちにも興味を持つというパターンはありえる話だ。というかそれ僕か。

*2 富野ゼリフ

ガンダム関係をたびたび総監督することでおなじみ富野監督の特徴的セリフ文体と会話表現。
「父の『グレート・デギン(※軍艦)』、どこに配備されているのです?」
「沈んだよ。先行しすぎてな」
「父から譲り受けたので?」
「父が『グレート・デギン』を手放すと思うか?」
「思いません」
「では、そういうことだ」
 この会話が「父殺しの告白」として成立しているというからびっくりだ。

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2005.08.03(サイレントヒル2 最期の詩より)

こんなはずじゃなかったプロローグ

 約1月かけてグラスホッパー・マニファクチュア3部作(暫定)をクリアした訳ですが、さて次に遊ぶゲームは何にしようかと僕は考えていた。
 正直言って、新作で遊びたいゲームとか全然ねえ! ソフトカタログ本をけっこう熟読してみたものの、うわビックリするくらい遊びたい気にならないわこれってな感じで。僕がむだに高いハードルを設定してるせいもあるんだけど、1個として候補に上る気配がないってのはさすがに問題だ。
 和風ホラーゲームの『零』シリーズはかなりヤバいくらい怖いらしいよって話はよく聞くし興味もありますが、そんな怖くてヤバいゲームは、ちょっと今の気分じゃないのだ(ますます高まるハードル)。グラスホッパー・マニファクチュア3部作の中でも特に重めの『シルバー事件』をクリアした直後に怖ゲーをやるっていうのは、なんていうか胃にもたれる。
 かといってそんなことを言い出すといよいよ遊びたいゲームが無くなっていき、Amazonの「おすすめ商品」機能を利用したり、ずっと昔に書いてほったらかしてあった買いたいゲームメモとかを引っぱりだしてみたもののいまだズキューンとくるゲームはなく、こうなったらもうファミコン引っぱり出して『悪魔城ドラキュラ』(初代)とか遊んだ方が良くね?とか言い出しかねない始末。そんなことを考えていたら、ふと『サイレントヒル2』がまだ部屋に積んだままになってたことに気がついた。
 ……えと、じゃあ、それで。

 いやサイレントヒル2に罪はないのですが(積みゲーなだけに。うまい! ←むしろうまくない)、さっきも言った通りホラーゲーって重いからほら。個人的に今の気分としてはもっとハリウッドアクション映画さながらの遊んだ後にも遊んでる最中にも何も残らないようなカラッとしたゲームを遊びたいのだけれど。かと言って「映画的」なゲームなんかお金等を頂かないかぎり遊ぶ気はないのだけれど。さいぜんのソフトカタログ本にはいくつも注目ピックアップ扱いで載ってましたけどね、ええ、映画的なゲーム。

 そんなこんなで消去法の結果という非常に消極的な形で遊ぶことに決定した『サイレントヒル2』ですが、遊ぶ前にまずは攻略サイトを見ておかねばなるまい。お、いつもと違うパターンだ。
 以前に『サイレントヒル(初代)』を遊んだとき、すごく大事なポイントを逃していたせいでトゥルーエンディングにたどり着けず、さりとてやり直そうとすればゲームの最初から遊び直さねばならず、なんかもうガッカリだった苦い記憶があるのだ。その時、僕はサイレントヒル2を遊ぶ前には必ず攻略サイトでエンディング分岐条件をチェックすると心に誓ったのだ。あの日の誓いは今も僕の胸の内で燃えているのだ(すごくかっこいい)。
 で、Googleに「サイレントヒル2 分岐」と入れて出てきたサイトをチェックするわけですが、うっかりストーリー上重要なネタバレとかまで見てしまってはそれはそれでションボリというもの。そんなわけで薄目をあけてギリギリ他の文章が目に入らないようにしつつ分岐条件だけチェック(はた目には不審人物くさい)したところ、なんか……あ、これ一応知りたくない人は次の段落まで飛ばして読んでください。したところ、なんか、僕には確実に無理っぽい。なにその「できるだけ低いHPのまま行動する」とか「このエンディングは2周目以降から」とか!
 人にはそれぞれ天から与えられた「分」というものがあるという。僕の分をわきまえたことを言え!(かなりの無理難題)

 そんな条件でやってられるかよ!(極論) いやでも実際、本当こういうものすごくがんばらないといいエンディングにたどり着けない系のシステムっていうのは、なんつうか大人の心を分かってないと僕は思う。子供の心をわからないといいゲームは作れない的な言葉はよく聞きますが、子供心オンリーじゃ大人にゃつれえんだよ! 大人はそんなゲームのために廃人プレー(言いすぎ)なんかできやしねえんだよ!
 と、学生の読者からいい感じに反感を得たところでサイレントヒル2に話を戻すと、そんなわけでけっこう引いたのです。おそらく僕はサイレントヒル2のトゥルーエンディングを見ることは生涯あるまい。それらを承知の上で遊ぶとなると、なんだかそれはそれでションボリだ。見なきゃよかったかなあ、攻略サイト。そうすればまだ僕の瞳は希望の輝きを失わず、天に昇るための翼は折れずにいたのだろうか(めっさかっちょいい)。まあ、たぶんゲーム終わった後でつい攻略サイト見て分岐条件見て、そんな条件でやってられるかよ!(極論)と言い出すのは目に見えてますが。

 いよいよ引いてきたものの、まあ……待て、落ち着け。サイレントヒル(初代)楽しかったじゃんと自分に言い聞かせる。もうゲームスタートの直後から凄まじい恐怖の連続だったじゃんと。こりゃもう絶対『2』も遊ぶわ普通に!と吼えたあの日、君の心に燃えていた炎はまだ消えちゃいないぜと(今、かなり輝いてる)。
 そういやそうだっけとかなり安易に思い直してとりあえずプレステ2の電源をオン。まあ結果より遊んでる過程が楽しいゲームだから、別にトゥルーエンディングじゃなくていいじゃんとか考えつつ。

 そんでゲームを遊ぶことしばし。ゲーム中の「プレイ時間」によれば30分ちょい。……ぜ、全然怖くねえ!
 というよりもむしろクリーチャー(ゾンビ的存在)が一向に登場しない!
 いやわかってはいると思うんですよたぶんこれ最初のうちすごく静かな導入部から入って徐々に緊迫感をあおっていくまさにハリウッドホラー的演出なんでしょそういうの僕は嫌いじゃないぜ。
 とは言え、30分遊んでもいっこうゲームが盛り上がらないのはさすがに問題じゃないのか。「はじめ半分」ということわざの通りであれば、この先もずっとだめっつうことになりはしないのか。もしかして僕はどえらいハズレを引いたのか。名作なんだけど『2』はあれだねってのは往々にしてよくある話だ。まさかそうなのか。
 そしてクリーチャーが出てきてからも、動きはおもしろいけど怖いというのとは全然違うという感じ。そういや『1』のエンディング直前まで行くころには慣れが出て、最初の方の敵とか全然怖くなくなってたけど、いまだに僕は慣れっぱなしなのだろうか。だとすればこのゲームを楽しむ資格なしとすら言えないか。ああ、な、なんてことだ……。

 そんな頃に入った、とある照明の暗い建物。
 す、すげえ怖え!
 半端ない怖さだよこれ! それでいてやめられねえよ!

 とっつきは悪いし大人の心も忘れてるし最初がけっこうたるいけど、やっぱりサイレントヒルは怖くて面白いみたいです。

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2005.08.04(サイレントヒル2 最期の詩より)

恐怖の谷

 怖かった……マジ怖かった……(涙をふきながら)。
 今の進行状況を未プレーの人に微妙に配慮しつつ言うと、内部が暗い集合住宅をあっちに行ったりこっちに行ったり、どうにかこうにか突破してサワヤカな湿った空気を満喫しつつ思い出の場所に……そして、運命の出会い(アバズレと)。そんなあたりでセーブして電源切ったのだった。
 怖かったつっても山と谷があって、実際に怖かったのは内部が暗い集合住宅の中だけなんですけどね。お天道様の下なら多少霧が濃くてガスってようが、なあにクリーチャーの2匹や3匹丸めてポイってなもんよ。おそらく太陽エネルギーで元気になるウルトラマンとかと同じ原理なのだろう。違うと思うけど。
 ちなみに今日『マリアナ伝説』(*1)読んだあとに遊んだせいで、途中に出てくるプールらしき施設でクリーチャーがヴォーヴォーうなってるの見てもシンクロ部のマッチョな面々やジジイ率いるマッチョ外人軍団がうろついてるようにしか見えなくて怖さよりは愉快さしか感じなかった。深層心理の影響とはかくも根深いものか。←深層心理って言葉を使えば大抵はなんとかなると思っている
 やはり思うにこのゲーム、暗い時がいちばん怖い。加うるなら暗くて狭いと特に怖い。面堂終太郎である。自分で書いててもいくらなんでもたとえがアナクロすぎないかと思った。
 別に敵クリーチャーが怖いわけではそんなにない。EASYモードで遊んでるせいもあるだろうけど、あまり殺られる危機感がなくてむしろ『キラー7』ばりにバンバン撃ってクールに決めんばかりの楽勝具合である。しかるにあの暗くて狭い集合住宅の中で、例のクリーチャー接近音がするととたんにものすご怖くなるのはいったいなぜだ。

 暗くて狭い場所になると無条件で怖くなる。これは人間の本能的なものなのだろうか。
 まあ人間だれしも真っ暗で懐中電灯の細々とした明かりだけが頼りの状態でやたら荒廃したいかにも何か出そうな部屋に放り出されれば、別に何が起きなくても怖いでしょそりゃ怖いよ実際。スキマ風でドアが揺れた音だけでも泣きそうなるでしょそんなロケーション用意されたら普通。そんでこのゲーム、事実そういう「突然音が聞こえる」シチュエーションを繰り出してくるからマジ怖い。つうかリアル自分ちのお隣さんが夏休みでお孫さんが泊まってるそうで突然子供の笑い声とか聞こえてきて必要以上に怖いんですが。
 特に今回の『2』なんつったらハードが前作のプレステからプレステ2へと移行し、必要以上にリアルな暗闇なんでいよいよ怖い。だから爆発系の花火とか唐突にやるの本気で怖いからやめて本当やめて。お隣さんの話ですが。なにこのゲーム以外のメディアを駆使した演出効果は。

 そして今はもうあの暗くて狭い場所は突破でき、突破した途端になにひとつ怖くねえぜという風情でハードボイルドにクリーチャーを必要最小限の動きで打ち抜くという、かえって以前のヘタレぶりが際立つ変貌ぶりを見せている僕です(私信じみる)。
 いちおう数メートル先も見えない文字通りの五里霧中な霧の中なんだけど、ぜんぜん怖く感じないのはやっぱりそのロケーションがたいして怖くないからなんだろうなあ。現実にあったら「うわすげえ霧だ霧だ」でむしろ楽しめちゃうもの。これでも『1』の最初の頃は霧の中ってだけでも怖がれてたものですが、さすがに慣れたのか。
 いっそこの調子で暗闇にも慣れれば怖いものなしになるのだが。でもそうなるとゲームとしては何も面白くなくなるのか。いつものことながらアンビバレンツだ。  

*1 『マリアナ伝説』

田丸浩司(と、ゆうきまさみ)による、競泳用パンツ一丁のマッチョどもがプールで暴れ回るマンガ。(この説明には主人公とヒロインが登場していない)

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2005.08.05(サイレントヒル2 最期の詩より)

星降る街角

 どういうわけか世界遺産がここ最近注目されてるらしくて(知床のことはわりとどうでもよさそう)、妙に世界遺産関係のテレビ番組が増えてHDDレコーダーに「世界遺産」でキーワード登録してたら膨大な量の番組が録画されてたりするんですが、好きなのでむしろ歓迎です。
 何の話かといえば、この手の番組ってどうしても臨場感に限界があるよなって話ですよ。
 臨場感。その場にいるような感覚。海外旅行つっても2度ほどしか行ったことない僕が偉そうに言うこっちゃないですが、どうあがいてもテレビ番組の画面に映るサンピエトロ大聖堂は本物よりはるかにショボく見えるのです。あの巨大感が、どんだけ天井高くする気だ一体っつう空間感が、どうしてもテレビ番組だと伝わりきれてない。
 カメラがレポーター目線で「人間の視点」を強調したりレポーターの歩く速度に合わせて動いたりがんばってはいるんだけど(*1)、そうは言ってもせいぜい……60点……(『番長連合』っぽくしてみたが、後悔)。
 非常に感覚的な表現であれですが、テレビ番組にはどうしても「歩幅の感覚」が足りていないと思う。この柱から向こうの柱までだいたい何歩、っていう感覚がテレビから伝わってこない。それがテレビ番組の限界だと、そういう話ですよ。
 ここでようやく話はゲーム日記らしくなってくるんですけど、つうかゲームってこの手の臨場感が凄くねえ? と。
 そうなのだ。ゲームで3Dのポリゴン空間を歩くと「歩幅の感覚」がちゃんとある。最近遊んだあたりだと『キラー7』の某南国の島ステージなんか凄かったよ。あんなトゥーンシェード的グラフィックなのに、ちゃんと南国の空気感が感じられるこの不思議。それが3Dポリゴンの凄みだ。あとテレビではまず聞こえない足音とかその場の環境音とかも聞こえて、ますますもって臨場感は増す一方。あんまり取り沙汰されないけど、この手のゲームが持つ観光旅行効果は他メディアに類を見ない気がする。
 で、ようやくサイレントヒル2の話。
 このゲーム、おそろしくリアルにアメリカのさびれた田舎町をポリゴンで構築してて、心底ゲンナリできます(そっちか)。
 触ったら体が溶けるんじゃないのってくらいの濃霧(『うしおととら』より)に包まれたゴーストタウン、サイレントヒル。町中生活感まるだしで汚れまくりサビまくり、小汚い手書きチラシと落書きに満たされた、人影のまったくない街角を歩く男が1人。誰が呼んだか男一匹ジェイムス・サンダーランド(主人公)。自分の靴音以外に聞こえるのは、たまに吹く風の音かメロディのない重苦しいBGMか、あとときたま現われるクリーチャーが発するヴォアーって声。そして乾いた銃声。クリーチャーを踏みつけるグシャって音。わ、わびしいぜ! これ映画とかで描写されるよりはるかに「俺、こんなとこにいたくねえ」と実感として思えるわ実際。
 そんな具合の首とか余裕で吊れるんじゃないのって感じの街並みをあちこち歩き回るはめになりました、今日は。(最終行にしてようやく本日のゲームの進行に着地するようなゲーム日記)

*1 レポーター

正直言えば僕はこの手の番組はレポーター必要なくてナレーションとカメラ目線で話す現地の人(そしてその上にかぶさる声優の声)だけあれば十分じゃね? むしろレポーターうざくね? という意見の持ち主なのですが、それでもレポーターの存在による臨場感の向上効果は認めざるを得ない。

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2005.08.06(サイレントヒル2 最期の詩より)

暗闇でドッキリ

 このゲームの怖さの真髄は「暗闇の恐怖」にあるといえる。暗闇の向こうに、自分にも予想のつかない恐ろしい何かが潜んでいるような気がする恐怖。暗闇の向こうに、霧の奥に、ドアの先に、ロッカーの中に。
 何かがいるかもしれない。それを実際に目にするまでそれは「恐ろしい何か」であって、明確に定義できる存在ではない。だからこそ怖いのだ。その先にいるのがたとえばポリゴンでできた下から3番目くらいの強さのクリーチャーだと知っていれば、きっとそれは怖くはない。あるいは、その先に何もいないことが分かっていれば。
 実際に目にするまで、いかにも何かありそうな空間の中で、プレイヤーである僕は身構える。初めて歩く場所では常に身構えている。いつ何が出てきてもおかしくないと知っているからだ。
 身構えているというのは、つまり「怖がっている」ということだ。初めて歩く場所では、僕は常に怖がっているのだ。
 逆に言えば、身構えているだけに本当にクリーチャーが出たり、謎めいた不気味なムービーが始まったとしてもそれはそんなに怖くない。クリーチャーが出るんじゃないか、ムービーが始まるんじゃないかと、ある意味心の準備はできているのだ。言いかえると「突然飛び出してドッキリ」はこのゲームの場合、さほどしないということだ。
 だというのに、あのあばずれは。

 さて今日のゲームの話をすれば、前回出会ったとあるあばずれ女と共に、とある事情でとある施設にやってきたのだった。「とある」を何度もくり返していると、意味がよくわからなくなる。辞書によれば「〜と、ある」の変化らしいが、言葉の用法がすでに原型をとどめていないのでますますわからなくなってきた。
 とにかくとある施設である。例によって真っ暗闇である。懐中電灯の明かりだけが頼りである。当然、怖い。どっから何が出てくるのかわからない。ごめん、ちょっと泣きそう。
 ところでここで思い出してほしいのだけど、この場所には例のあばずれ女も同行している。ゲームやってない人向けに説明すると、主人公の後ろについて歩く、まあ強引に言えばドラクエのパーティーキャラっぽい感じで(いま『ゴーレム』っぽい感じで、と書こうとしていまどきたとえにディスクシステムはないだろうと思い直した)主人公の後ろをトコトコついてくるのである。
 問題はこのついてき方である。ドラクエなんかでも階段を上った直後とかはパーティーキャラが主人公のまさに目と鼻の先に立ってたりするものだが、サイレントヒル2でもやっぱりドアを開けた直後には主人公の目と鼻の先に立っている。具体的に表現すると、ドアを開けてローディングが終わり、ドアの向こうの部屋に画面が切り替わると、目と鼻の先に立ってるのである。こ、怖え!
 さっきまで君、後ろについてきてたんじゃないのかね! いきなり先回りとかしないでいただきたい! だいいちこの場所基本的に真っ暗だから懐中電灯で顔だけ照らされたりして不必要に怖いライティングになってるし!
 そうなのだ。画面切り替わるたびにこのあばずれ女が予想もつかない場所にいきなり現われては僕の度肝を抜くのだ。「突然飛び出してドッキリ」系の怖さが無いはずのこのゲームで、単なるパーティーの一員だったはずのこのあばずれがまさしく暗闇でドッキリをしかけてくるのだ、無自覚に。そりゃドア開けた直後だから主人公の背中側は閉じたドアであって、ここをすり抜けて出てきてもそれはそれでどうなのっていう気はしますよ。しますけれども、率直に言ってあんた怖えんだよ!
 むしろ画面切り替え時に限らず、後ろを向いた時とかにも突然視界に不健康そうな女の顔が現われてドッキリ、歩いていても突然背後からコツコツと靴音が響いてドッキリと、いまどき何のスターどっきりマル秘報告新人アイドル怪奇スポットドッキリですかっていう仕打ちである。無自覚に。どんな茅原先生だ(*1)。
 もうついてくんな、頼む! と思ったその気持ちが通じたか、とある事情で別行動をとることになるあばずれ女。やれやれ、やっといつもの調子に戻れるわいと安心してあちこちウロウロしては恐怖におののいてたわけですが(←いつもの調子でもこの程度)、なんつうか、このあばずれ女、パーティーに戻る事情になったのはしかたないとしても、唐突にアップで出てくんな!
 なんという緩急をつけた見事なドッキリだろうか。すっかり気を抜いたところにいきなり出てくるとは、くそう。お前なんかどっかいっちゃえ。と思ってもストーリーの流れ上このあばずれはちょっとしたおしかけ女房さながらにパーティーに戻ってくる。押しかけ女房といえば江戸時代から伝わる由緒正しい萌え要素とされるが、あんた普通に顔怖いんだよ! このゲームのキャラ全般に言えることですが。

 そんなこんなでまったく和気あいあいとしないままにゲームは進み、今の進行状況をぼんやりと記すと、追い掛け回されてしょんぼりとした場面です。しょんぼりするなあ。

*1 茅原先生

『無敵看板娘』に登場する美人女教師。美人だが、この世に強い恨みを残して死んだ霊のような顔をしているので怖い。こう書くととても不思議な設定だ。

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2005.08.07(サイレントヒル2 最期の詩より)

恐怖と愉快のあいだ

 現在のゲーム進行をおおまかに表現するなら、例のあばずれと共にやってきた施設をようやく脱し、霧は晴れたが夜は更けてという具合の町をさまよっているところですよ。ちなみに単独行動。
 前もちょっと書きましたが、このゲームの舞台である町「サイレントヒル」はポリゴンでえらくしっかり作り込まれている。ゲーム的な省略をあまり使ってないので、近所のとある店に行くだけでも道中何ブロックも経由して、たとえるなら「車で行けば数分でも、歩くとけっこうある」みたいなリアルな距離感がある。
 いや、本当は×ボタンダッシュで走ればけっこうすぐなんですが。このゲームの主人公にマラソンをやらせれば金も狙えると思うというくらいサクサク走れるんですが、それやっちゃうと道ばたに落ちてる回復アイテム等を見過ごしてしまいそうなので、基本的には歩き中心で。
 さて、さっきも言ったとおり、今は夜である。なぜか全市にわたって街灯が点いてないしそもそもゴーストタウン化してて窓から明かりももれないので、基本的には真っ暗闇である。例によって主人公の懐中電灯が頼りであり、いつものとおりすげえ怖いのである。あ、あのうすぼんやりとしか見えない道の向こうに、何かがいる! ような気がする!
 そもそも「街灯の消えた人通りのまったくない街角を一人っきりで歩く」というのは、普通に実生活の上でも恐怖体験であろう。その体験をこのゲームはポリゴン造形の街並みとライティングによってものすげえリアルに追体験させてくれる。加えてゲームならではの「いま、君はじわじわとピンチに近づきつつある。何がピンチなのかは教えないけど」的な不吉そのもののBGMが思わせぶりに鳴ったり、あと当然不気味なクリーチャーが唐突に現われたりして現実以上に怖い。誰がそこまでしてくれと頼んだ、とチキンハートの僕などは思いがちではあるが、実際怖いのが面白いところなわけだしなあ。
 怖いもの見たさ、という言葉もある通り、怖いのはやっぱり楽しい。ムカつくのは全然楽しくないのに、怖いのはけっこう楽しい、っていうのは思えばけっこう不思議な話だけれど、ともかくなんだかんだで怖いことに特化したゲームなんで当然遊んでて楽しいわけです。

 とはいうものの怖いっていう感情はやっぱり負の要素も多いわけで、なんつうか、そこまで怖くなくてもよくねえ? みたいな弱腰発言も出るわけですよ実際。具体的には、このゲーム遊ぶ時には部屋の電気を消したくない。
 部屋の電気(灯りという意味の)、消したくなけりゃ消さなきゃいいじゃんと君は言うかもしれないが、消さないで遊ぶと蛍光灯の光がテレビ画面に反射して、よく見えなくなるのだ。何度も言うとおり今は暗闇の町を歩いてるところであり、暗い画面を写したテレビスクリーンは周囲の光を反射するものなのだ。フラット大画面や液晶テレビだとこうはならないのだろうか。買い替えるべきかもしれないと、ちょっと本気で思った。まさかこの歳になってゲームを夜に遊ぶのが怖いという理由でテレビの買い替えを検討するとは思わなかった。そうは言っても、真っ暗な部屋でこのゲーム遊ぶとすごい怖いのだ。いい大人の泣き言である。
 さらに僕は「何かイベントが始まる前に、行ける脇道は全部行っとこう」式の考えの持ち主なので、必要以上に恐怖の町をさまようことになる。いやだってその方が回復アイテムとかたくさん手に入って便利だし。ストーリー上重要なメッセージとか見逃さないかもしれないし。だがそのせいで普通に目的に直行するよりはるかに多くの恐怖体験をするはめにもなっているのだ。ああ、僕はいったいどうすればいいのだろう。やっぱテレビの買い替えだろうか。

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2005.08.08(サイレントヒル2 最期の詩より)

サイレントヒル2がみるみるわかる

 今日も今日とて暗闇をおっかなびっくり歩く日々。おっかなびっくりのわりには、クリーチャーが出たらえらく冷静に眉ひとつ動かす気配もなく銃を構えてバーン、もひとつバーン、倒れたところを思いっきり蹴り飛ばしてとどめを刺すという地獄のソルジャーぶりを発揮してるわけですが。
 EASYモードで遊んでるせいもあってか、ことクリーチャー戦では冷血無比のキルマシーンになっている主人公。クリーチャー倒した後にふと例のあばずれの方を見ると、表情には出さないまでも思きしドッ引きしてるようにも見えたのだが、これは僕の思い過ごしだろうか(確実に)。

 今日といえば夜の公園におもむくはめになった主人公。
 普通夜の公園つったらロマンティックと相場が決まってるもんなのに、たかだか街灯が切れててBGMで死に関連した何かが起こりそうな無調音が鳴り響いてるってだけでこんなにも嫌スポットになるもんかね実際、まあなるだろうけど。100%。とか思いながらそれでもそんな自分を叱咤して奴は往くのだ。何かのために。えーと、何のためだっけ?

 そういやあんまり憶えてない。なにしろ怖いんでその場その場を生き抜く(クリーチャーに打ち勝つという意味ではなく、ショックによる心停止との戦いに勝つという意味)のに精一杯で、あんまり全体像が読めてないのだった。
 ちょっとここで話を整理してみよう。おおまかなあらすじを思い出してみよう。いちおう今までに書いた以上のことと説明書に書いてあるレベル以上のことは隠しながらではありますが、それでも知りたくないという人は下段を読み飛ばしていただきたい。
 主人公ジェイムス・サンダーランドはシャキッとしてればいい男だが、基本的にシャキッとしてないのでさえない、まだ青年と言っていい様子の男である。
 彼がさえないのもそのはず、最愛の妻が病死だかなんだか(よく憶えてない)で3年前に死亡し、それ以来失意の日々を送りっぱなしだったのである。これが呑まずにいられるか。酒や酒、酒持って来んかい。あんた、もうお酒やめなはれ……と言ってくれる妻はもういない(正気に戻る)。実際酒を呑んだかどうかはともかく、そんな(どんな?)彼の元に届いた一通の手紙。差出人は死んだはずの妻、メアリーだった。
 「放課後、伝説の樹の下で待っています」 そんな感じの事が書いてあるような気がしたが、まあ正確には2人の思い出の町、サイレントヒルに来んかい! スデゴロタイマンじゃ! みたいな事が書いてあったような気がした。
 はるばるやって来た湖畔のリゾート地、サイレントヒル。しかしそこはエボラ出血熱でも発生した風な強固な金網によって閉ざされていた。仕方なく徒歩でけもの道をえっちら歩く主人公ジェイムス。どうでもいいがジェイムスという名前は一般的すぎて憶えづらい。
 途中、ちょっとどうかしてそうな女、アンジェラ・オラスコに出会ったけど実際かなりヤバめにテンパってたので後ずさりつつサイレントヒルに足を踏み入れる主人公ジェイムスだった。
 あまりに霧が濃いこと以上に、どこか町の様子がおかしいことにジェイムス(主人公)は気付き始める。落ち着いたリゾート地だったはずのサイレントヒルは荒れ果て、人の気配のないゴーストタウンと化していた。
 何が起きているのか。そう思った矢先にジェイムス(主人公)は突如、なんだかよくわからない怪物(印象で言えば、望まれて生まれた感がマイナス値レッドゾーンになってる感じ)に襲われる。学生時代マーシャルアーツのチャンピオンだったジェイムスはからくも怪物を叩きのめすが(※そんな設定はありませんし、マーシャルアーツというのが具体的に何なのかも知りません)、もはやこの町では彼の想像を超えた異常事態が起こっていることが彼にも分かってきた。
 しかし、なればこそ死んだはずの妻からの手紙に説得力も出てくるというもの。正直かなりドン引きしながらも、手紙で指定された「思い出の場所」に行ってみようとするジェイムス・ザ・主人公。
 だが町はなんだか知らないがゴーストタウンなわりに厳戒態勢がしかれっぱなしで、激しい交通規制によって歩いて行くのもままならない様子。やむをえず集合住宅の庭先を突っ切ってショートカットをもくろむジェイムスだったが、そこはそこでバリケードってたり鍵が必要以上にかかってたりで迷路のようになっているのだった。俺こんなことしに来たわけじゃないんだけどなと思いつつ(たぶん)、クリーチャーをぶちのめし部屋をあさり鍵を探し、ひたすら目的地をめざす。そして、そこで見つけた新しい素敵な出会い。まあ出会いといっても、もしホラー映画だったらいつパニックを起こして周りに迷惑をかけつつ惨殺されてもおかしくないぜっていうタイプのでぶちんエディー・ドンブラウスキー(おもしろい名前)と、無邪気に人とか殺せそうな謎の少女ローラとかだったけど。あと最初に出会ったアンジェラにも再会したけど、いっそうどうかしちゃってたので完全にドッ引きした。
 彼らを置いていったり置いてかれたりしたものの、どうにか鍵を見つけ、ついに思い出の場所へ。しかしそこにいたのは妻メアリーではなく、メアリーのそっくりさんことマリア(初登場)だった。いったいどこの夜の歓楽街の街角に立ってるタイプの職業(ティッシュ配りではない方)の方ですかというマリアのあばずれトークに、お前なんかメアリーじゃねえ!(最初から)とジェイムスもうんざり顔。よく考えるとプレイヤーである僕はメアリーの性格とかまったく知らないので、実際メアリーもこんな調子だったという可能性も否定しきれないのだが。
 これで役者はそろった!(説明書に書いてあるキャラクター全員のこと) さあ、一発ぶちかまそうぜ!とか景気良くいかないのがやっぱりサイレントヒル。例の謎の少女ローラが生まれつきの無鉄砲(推定)でレベルAクラスの危険地帯っぽいとある施設に入っちゃったんで、まあ捕まえないとなーと追いかけたもののそこもやっぱり悪夢のような具合に。最終的に文字通り悪夢のような展開になってしまい体育座りで落ち込んだりもしたけど、私は元気です(ジェイムスがどうかは知らない)。
 そこで彼の前に現われた謎のメッセージ。はたして誰が、いったい何を伝えようとしているのか(どうやらメッセージ伝わらず)。とにかくそのメッセージはまずあそことあそこ行ってから、というオリエンテーリング企画だったので、夜の住宅地の窓ガラス割って走ったり(一部誇張)夜の公園の窓ガラス割って走ったり(困難)、どうにか必要とされるブツを入手した!

 思いのほか長くなったので、書いてる方もビックリだ。
 いやあ最初から順に思い出さないと全然出てこないという具合で。そうそう、そんなわけで行けと言われたから行くのだ、ジェイムス(主人公)は。何があるのか知らないけど。主体性がないと言われればそれまでだが、なにしろこの道中の導入部がそもそも雲をつかむような話だからなあ。

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2005.08.09(サイレントヒル2 最期の詩より)

苦渋の選択

 疲れた。
 もううんざりだ。こんな苦しみはもうごめんだ。
 そんな感じの今日のゲームだった。
 やや具体的にゲーム進行を表現すると、歴史をひもとくつもりでやって来たらなんだかいつの間にやら罪と罰に関連する施設内に。まあよくあることだ(ないけど)と思っていつも通り拾った地図を片手にひと部屋ひと部屋開けてったら意外に早く探索完了。最後に残された扉を開くと、その先には……なんつうかいろんな意味で深い闇に落ち、そしてどことも知れぬじめじめした場所の中で色々な意味で深遠をのぞき、ああ……うんざり……そして、2度目のしょんぼり。という感じだった。
 あ、うんざりしたって言っても、それはそれで面白いんですよ? つまらなくてうんざりしたんじゃなく、演出にほとほと振り回されたということですよ。

 ゲームならではの演出技法のひとつに、選択肢を使った演出というものがある。
 わざとサイレントヒル2とまったく関係ない例を出すけど、たとえばノベル系アドベンチャーゲームで敵に襲われたとしよう。その時、普通はこんな感じの選択肢が出る。
  • 闘う
  • 逃げる
  • 話し合う
 ものすごくシンプルな例だけど、だいたいこんな感じが常道といえる。だが、同じシチュエーションでもこんな選択肢のパターンも考えられる。
  • 殴りかかる
  • 銃を抜いて撃つ
  • 投げ飛ばす
 この例ではどの選択肢もつまるところ「闘う」ことしか示していない。もちろん選択によって結果は変わるだろうけれど、「逃げる」とか「話し合う」という方針がはじめから無視されている。
 制作者側が意図的にこういう選択肢を出すとき、そこにはこの状況で「逃げる」とか「話し合う」というのはありえない、というメッセージが込められている。主人公はこういう状況で断固闘うタイプの人間だとか、逃げたり話し合ったりするヒマなんかないほどせっぱ詰まった状況だとか、そういうことを示したいとき、選択肢はこういう風に限定される。
 こういう狭い選択肢を前にすると、プレイヤーは無意識のうちに今はこれしかできないのだと理解し、今がこういう状況なのだと実感として把握するのだ。
 もっと端的な表現として、こういうのもある。
  • 闘う
 選択肢がひとつしかない。もう闘うほかにないのだ。どんなに考えてもこれ以外の選択肢はいまありえない、この選択肢(1つしかないけど)にはそういうメッセージが込められている。
 プレイヤーは、他に選択肢はないのか!と納得いかないかもしれない。だけど実際他に選択肢がないんだから、結局は納得せざるをえない。闘うしかないのだ。
 これが選択肢の限定という演出技法である。

 もちろん今日遊んだサイレントヒル2でこの手の選択肢が出たわけではない。ないんだけど、ゲームを進めるために「ある行動」をプレイヤーがとらなければいけない場面というのが出てくる。それはすなわち選択肢の限定にほかならないのだ。だって、他のことやってもゲームは進まないんだし。
 僕はその行動をとった。こんなことをするのはどうかしてる証拠だと思いながら、それでもその行動をとらざるをえなかった。また別の場面でも、選択肢は他になかった。ありえない、こんなことをするのは正気の沙汰ではないと思いながら、それでもやるしかないのだった。また別のある場面でも、あきらかに狂った行動をとるほかなくなっていた。もはや無感動にその道を選ぶ。こうしてプレイヤーは狂気の深遠へと強制的にひきずられていくのである。
 強制的に、と言っても俗に言う「強制イベント」とは違ってあくまでもプレイヤー自身が能動的に動かないといけないというのがこの演出の勘所で、強制イベントのように「勝手にやられる」のとは話が違うのである。みずから狂人にならんとして行動せねばならないのである。どこの吉田松陰かと言いたい(知恵者つっこみ)。おおげさな言い方をすれば、プレイヤーは狂気を「体験」するのである。なまじファンタジー感の少ないこのゲームだけに、これは精神的に消耗させられる。まったく、なんてひどいゲームだ(ほめてる)。

 そんな感じで、もはやジェイムス(主人公)はゲームが始まった頃のさえなくはあるが正気で、他のキャラクター達見て「うわ、この人マジでヤバいわ付きあってらんねえよ」とばかりに引いてた頃のジェイムスとはもう別人なのである。そりゃーこんな悪夢と絶望の王国(東京ディズニーランドの真逆)にいたらそうもなるだろうけど。
 いったいこの先、彼はどうなってしまうのだろうか。推測だけど、幸せにはならないと思います。

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2005.08.10(サイレントヒル2 最期の詩より)

光のある方に進め

 毎回怖い怖いと言ってるこのサイレントヒル2日記だが、あんまり怖いんでもう早いとこ終わんないかといつも以上に熱心に遊ぶっていう、よくわからないことをしている。どこの『饅頭怖い』だ。怖いようカチャカチャ。ああ怖いようカチャカチャ。腹を立てた長屋の衆がやいやい熊公、お前いったい何が本当に怖いんでい、と聞きましたところ、「ここらで一杯、純白のメルセデスとプール付きのマンションと、最高の女とベッドでドン・ペリニヨンが怖い」。(浜田亭省吾師匠の十八番『マネー』より)
 そんなこんなで怖いわ主人公は確実に狂気の階段(まだシンデレラな君がのぼる大人の階段のようなもの)を上ってくわでどうしようと思いながらとある宿泊施設の中。
 そこで僕はちょっと考えたね。たしかにこのゲームは怖い。何が怖いって暗闇が怖い。加えて部屋の明かり消して遊んでるんでますます怖い。夜遊んでる時は部屋の明かりを消さないと蛍光灯がテレビ画面に反射して見づらいので、こればっかりはどうしようもないとあきらめていたのだ。だが待てよ、日が暮れる前に遊ぶってのはどうだ……?
 カーテンの奥からそっと射し込む自然光であれば、それほど画面には干渉しないはず。こ、これだ! というわけで朝起きていつもならメールチェックとかニュースチェックとかしてる時間を利用して、プレステの電源を入れる。なんだか健康的なようで不健康なことをしている。
 それでまあとある宿泊施設内をうろちょろしてみましたが、み、見づれー!
 何このゲーム、カーテンの奥から漏れる朝の陽射しすら反射しまくって、暗闇の奥にかすかにドアが見えてんのかと思ったら自分の部屋の本棚(主にジャンプコミックス)だったり、視点を変えた時に突如何か恐ろしい物が現われた!と思ったら自分の顔だったり(死にたい)、うーんそういえばこのシリーズが「ゲーム画面が暗くて見づらい」という評価はちょくちょく耳にしたけど、こういうことだったのか。昼間に遊ぶと難易度が3割方アップするのか。
 まして今回いるこの場所がよりによって普段持ち歩いてる懐中電灯が役に立たないザ・ダークネス(*1)な場所でいちばん朝から遊ぶべきじゃない場所。先に進めば進むほど見づらくなっていき、たまに現われる明るい場所に来ると怖さとかは無関係に目が休まるんでホッとする始末。このゲームをこれから遊ぼうとしてる諸君にはっきりと言っておこう。昼間に遊ぶな!

 そんな教訓もわかってきた一方、なんだかストーリーは妙にヤマ場に近づいてんじゃないの? もしかしてそろそろオチだったりするのか? この部屋入ったらクライマックスっぽい雰囲気が匂ってねえ? とかいう気がするんですが、よくわからないまま今日はプレー終了。目が痛くなってきたし。

*1 ザ・ダークネス

イギリス出身の新世代ヘヴィー・メタルバンド。ハードかつキャッチーなメロディと特徴的なファルセットなヴォーカルが魅力。代表曲『I Believe In a Thing Called Love』など。もちろんこの話とは何の関係もない。

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2005.08.11(サイレントヒル2 最期の詩より)

終わりと、そして始まり

 ゲームは終わった。
 最後のオチ的なアレ(ゲーム遊んでない人に配慮)は、なんというか綺麗な着地点だったのでそれほどビックリはしませんでした。個人的な感想としては、前作が最初から最後まで不条理である意味あんまりな話だったのに対して、今回はやけに理に落ちた話なんだなあという感じ。いいとか悪いとかいう話じゃなく、前作のノリで来るのかと思ったらちゃんと着地しちゃったんで、なんつうかそっちの方がビックリだ。
 詳しいことについて語ろうとすればしぜんネタバレになってしまうので何も書けないのですが、いちおう僕が迎えたエンディングは一番レベルが低いエンディングだったとは言っておこう(ゲームクリア後に見た攻略サイト情報)。
 最初の方でもちょっと言いましたが、個人の好き嫌いもあるだろうけどこういう初回プレーでクリアーに10時間超かかるゲームを明確な分岐点も無いマルチエンディングにするっていうのは、やっぱりプレイヤーに優しくない仕様だなーとは思う。そこの所だけはゲームを楽しく終えた今でもなお譲る気はない。全てのエンディングを見てみたいと思わせる面白いゲームだっただけになおさらなのだ。
 そこで例によって、皆さんのタレコミを募集します。他のエンディングでは、一体何が起こるのよ実際? まさかアレがアレしなかったりするのか。結局アレは最後にはアレなのか。あの人は他のエンディングではアレだったりして。そういやあの人、結局アレするためだけに出てきたんだろうか? ガンダムNT-1アレックスを「アレちゃん」と呼ぶのは、Gガンダムのアレンビー・ビアズリーとかぶるのではないのか?(「アレ」つながりのみ) そんなアレにまつわる話をコメント欄で教えていただきたい。礼ははずむぜ(何かを適当にバウンドさせて「ほーらこんなにはずんだ」とかごまかす気まんまん)。大丈夫、このページのコメント欄は管理者でありこの地上の支配者である僕が認証するまで表示されないシステムになってるから、いくらネタバレようが他の読者の人には迷惑はかからねえのです(なわけで掲載する際には検閲するので、むしろそっちをご了承ください)。さあ、(炭酸飲料などを)ふるってご投稿ください。
 あ、そういえばこの後に遊ぶゲームとかでおすすめのがあったらそれも教えてください。つうかここしばらく、『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』からこっち、殺ったり殺られたり己を試されたり衝撃展開だったりのゲームばっかり遊んでて、心にうるおいがないにもほどがあることに気づいたのです。のんきなゲームをやりたいのです。それでいて、そう言われてみると意外に思いつかないのです。正直申しまして悩んでおります。ヒントをください。
 具体的には、殺伐とした人死にがあんまりなくて、あと速攻ゲームオーバーになるおそれもそんなにないゲームを。つうか今手元にあるゲームで遊んでないのが『メダル・オブ・オナー』の新作という殺伐として人死にが大量で速攻ゲームオーバーの危機につねにさらされてるゲームだけで、よくもまあこれだけ自分の気持ちに反したゲーム買えんなお前って自分でも思う。積んどこうと思ってたんだよ! 積んだら他にやるゲームがなかったっていうのを忘れてただけで!(よくわからない動機)
 まあ人に薦められたからといって素直に遊ぶようなタマじゃない気もするんですが、それだけに教える方としては気楽に書いちゃえばいいじゃん。さあ、(炭酸飲料などを)ふるってご投稿ください。

 とか何とか言いながら、ゲームは続くのだった。意外な展開だ。
 そう、これはサイレントヒル2はサイレントヒル2でも『最期の詩』バージョンなので、おまけというか外伝的シナリオが付属しているのだ。
 というかこの外伝、このキャラがこの先どうなるかプレイヤーにはわかってるはずなのに、いったいどういうストーリーになるのだろう。ツイン・ピークスにおける『ローラ・パーマー最後の7日間』(*1)みたいなもんなのか。そうなるともはやゲームの体をすらなしていないことになるが、そういうものなのだろうか。
 明日から遊んでみます。

*1 『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の7日間』

テレビシリーズ『ツイン・ピークス』の映画版特別編。テレビ版が始まると同時に死んだローラ・パーマーが死ぬ前の7日間を描いている。広告では全ての謎が解き明かされるとかなんとか言われていたが、実のところ解き明かされるような謎はテレビ版であらかた解き明かされていたので、別に謎もへったくれもなくひたすらデヴィッド・リンチ監督の趣味だけが暴走していたすごい映画。

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2005.08.12(サイレントヒル2 最期の詩より)

そして終わり

 けっきょく外伝シナリオは1日で終わりました。案外と早かったなあ。まあ外伝というかおまけなので、こんなもんなんだろう。
 とりあえず最初に遊んでまず悩んだのが、セーブポイントが見つからないということだ。書を捨てて町に出たものの(※書は捨てていません)、あちこちに広がる通りをどっちに向かえばいいのかがわからない。昨日まで遊んでた本編の内容から想像するに、こっちにいけばいいってことなんだろうかとか思いつつ、いやいやこっちか、あれ行き止まりか、じゃあこっちか、うわあ通行止めだ、等。けっこうあちこち行ったり来たりして、ようやくセーブポイントにたどりつきました。だいたいゲームの3分の1くらいがこのゴーストタウン散策に費やされていたような気がする。
 で、さすがに通りを歩くだけで終わるゲームなはずもなく、とある建物にレッツ不法侵入。というか包み隠さずに言ってしまうと、いわくありげな立派な洋館に。よ、洋館!?
 洋館て、それ、サイレントヒルの祖といえるあのゲームじゃん!
 なるほどさすがおまけシナリオだけにこんなウルトラCもありか(表現が古い)。いやあこのシナリオ、サイレントヒルの最大の特徴である「暗闇」をとっぱらって、あと「ラジオ」と「ライト」の2大アイテムもなくして、純粋に洋館の中で襲い来る怪物を銃で撃退、そして謎解きっていうサバイバルホラーやってるの。それってあのゲームですよどう見ても。
 サイレントヒルの方法論であのゲームをやってみるとどうなるかっていう実験というか、オマージュというか、それかパロディ。いやあもう全然怖くないの本当に。わざわざサイレントヒルの良さを削ってる(しかもあのゲームの良さには及んでない)わけで、おまけシナリオでしかやってはいけないことだけど、実際おまけシナリオなのでむしろ良し。怖くない分、サイレントヒル本編にもあのゲームにもない特別な隠し味が効いていてこれはこれで楽しめたし、実にいいおまけであったと素直に思います。もっと長いシナリオだとかえってやりすぎになってしまうところを、短編だから許される枠内でうまくまとめたっつうか。

 さて問題は次に遊ぶゲームだ。次に遊ぶゲームも用意しないままに思いのほか早く終わっちゃったんで、どうしよう。1日もゲームを遊ばないと死んでしまうようにショッカーに改造された(悪乗りで)この体、まあいざとなればメダルオブオナー遊べばいいんでしょういいんですが、おすすめゲーム(詳細は前回)をコメント欄で継続募集中。いや本当に。

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2005.08.13(ゲームの話より)

ゲームを買いに街にいこう

 次に遊ぶゲームを何にするのかいろいろとコメント欄でご意見を募ったりしたものの、結局最終的にそれらの意見をまったく無視して『フロントミッション・フォース』に決めてしまった。マンガ風にかっこよく言えば「最後に決めるのはお前自身だ。覚悟はいいな?」というところだが、これは別にマンガでもないし世界の危機でもないのでそんなかっこいいものでもなく、意見くれた皆さんには申し訳ない。

 それにしても今回は難産だった。まったくもって悩みに悩んだ。頭も使ったし足も使った。情報収集におおいに精を出した。そこには天啓のようなひらめきもあり、またある種の妥協もあった。それで思ったのは、ゲームを買うっていう過程もそれはそれでひとつのエンターテイメントかもしれん、ということだ。違うかもしれない。

 誰しも経験があるだろう、とりあえずお店に行ってゲームのパッケージを見ながらあれでもないこれでもないと悩んだことが。僕はけっこうありますよ店頭でゲーム探すっていう行為。
 もともとは別の用事のついでみたいなノリで、おすすめられたゲームが実際置いてあるかどうか見てみようとかそんな軽いタッチで出かけたはずなのだ。あんのじょう『動物番長』はないなあとか、『ラクガキ王国』はあったし安いけど、こうしてパッケージ裏見るとなんか違うなあ、とか。
 「なんか違う」。ゲームを選ぶ上でこれほど重要かつやっかいな感情もあるまい。客観的に見るかぎりおもしろそうなのだ。しかしいざパッケージを持ってレジに行こうとするとこの感情がジャマをする。「なんか違う」。
 ついでがついでを呼んでワゴンの中やらプレステ2の棚やらGBAの棚やらプレステの棚はおろかドリキャスの棚までも探したが、全面的に「なんか違う」。どうでもいいが、ワゴンセールの中から、これは!というゲームにめぐりあう確率はいかほどのものだろうか。どうしてこういうとき真っ先に探しちゃうんだろう、ワゴンセール。
 この過程でなんとなくわかってきたんだけど、僕は人間キャラがポリゴンでできてると早くも切り捨てにかかる傾向があるらしい。リアルかつ男くささ満載な洋ゲー的ポリキャラはいいんだけど、アニメ的なデフォルメのかかったポリキャラがだめらしい。最近の話題作(らしい)『グランディアIII』とかも内容うんぬん以前にパッケージを手に取った時点で速攻で却下になってしまった。画面の絵ヅラだけでゲームを判断するのはあまりよろしくないことだとはわかっていますが、10時間超おつきあいする以上、やっぱり見た目は大事だ。
 単なる2Dアニメ絵とかはオールオッケーなんですが、なんだろう、このポリゴン嫌いは。おそらく『ラクガキ王国』が「なんか違う」だった理由の一端もここにあるのだろう。

 棚を見て回る間に心のアンテナに引っかかったのはまず例によって『零』シリーズとか『サイレントヒル』シリーズ。いやあもう恐怖モノはしばらくお腹いっぱいだわ、と思ってこれは心に引っかかる先から却下する。却下はしたんだけど、面白くはあるんだよなあ。あんだけ怖いのはこりごりと思っておいて、何を考えてんだと思いつつ。
 その横にあったのは『ICO』。こういう時にいつも「ああ、ICOがあったなあ」と思うところまではいくんだけど、絶対いつも買うところまではいかない。なんなんだろう。誤解をおそれずに自分の主張だけ書けば、つまるところパズルアドベンチャーなんでしょ? みたいな予断がある。画面がなまじ情報量を削るだけ削った絵ヅラなので、これひたすらパズルを解き続けるだけで進行すんのかなあ、みたいな恐れがある。どうなんでしょう実際。
 それから『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』もちょっと引っかかったが、これは完膚なきまで「なんか違う」だった。なんか違うんだよ、何が違うのかわかんないけど、絶対になんか違うんだよ! おそらくそれは僕が「チュンソフト的センス」と呼ぶものなんだろうけど、あれは、どうしてもなんか違うのだ。

 視線は棚から棚へとうつろい、「レース」とか「スポーツ」とか「テーブルゲーム」はざっと見回すだけにとどめる。申し訳ないが、そっちは今遊びたいのとはなんか違うのだ。
 「シミュレーション」の棚にずらっと並んでた『Gジェネレーション』シリーズも気になった。思えば初代のデキがちょっと粗いという話は聞いたものの、それ以降洗練を重ねているという人気シリーズ。今に至るも買わずにいるのは、いつのまにか大作シリーズになってしまって、どれを最初に遊べばいいのか分からなくなってしまったからである。FだとかNEOだとかゼロだとか、さっぱりわかんねえよ!
 このあたりでいわゆる「シミュレーションRPG」系はけっこうありかと思い始める。そもそも「人死にがそんなにないゲーム」を求めていたのに矛盾したことを言ってるようだが、シミュレーションRPGは自軍に死人がまず出ないからいいのだ。だいいち、基本的にこの手のちまちまとHPを削りあうゲームが好きなのだ、僕は。
 ちなみに『サモンナイト』シリーズと日本一ソフトウェアの一連のシリーズだが、僕といえば完全に食わず嫌いをしている。やっぱりなんか違うのだ。あと、やりこみ要素がいっぱい的なことを売り文句にされてることがしばしばあって、むしろやりこみたくない弱プレイヤーの僕などはその点でも敬遠しがちだ。そんなわけで『ファイアーエムブレム』系も違うってことになるのだ。みんなそんなにやりこみたいのか。やりこまなくたっていいじゃない。ただ1周普通に心のおもむくままに遊んだらそれで全要素発生でトゥルーエンドでいいじゃない。
 そういやけっこう昔のプレステのシミュレーションRPGで、近未来の日本を舞台にした激しぶい軍事物があった気がするんだけど、あれなんてタイトルだったっけなあ、と毎回思う。絶対どこの中古屋にも置いてないんだけど。夢でも見てたんだろうか。
 待てよ、それがアリならこれもアリってことにならないか……? と目についたのが『フロントミッション・フォース』。でもなあ、名作『1』はおいといてフロントミッションシリーズには痛い目にあってんのだ。『2』は戦闘シーンのたびに起こるロードに辟易して途中でやめ、『3』はもう時効だろうからはっきり言っちゃうと、シナリオが中学生が書いたにしてはがんばってるじゃん、え? これ書いたの中学生じゃないの? じゃあ、そういうギャグなのか。ていう爆笑シナリオで、つくづくどうしようもないゲームだったのだ。もういいかげん時効だよね? あと『ガンハザード』もそんなでしたね。でも『オルタナティブ』は最高だった。
 で、4作目の『フロントミッション・フォース』。これが怪作『3』の正統な後継だとしたら、もう絶望だ。そこまで言うか。言うよ、本当『3』は……もう……。ライトノベル戦記を小林源文の作画でマンガ化したみたいな、おそろしい気持ち悪さがあったのだ、あれ。
 そこでいったん家に帰ってみる。こんな時こそインターネットである。Googleで検索すればレビューも何十本でも速攻で見つかる。その中でも『3』をメチャメチャ言ってるレビュアーを探すのだ。そういう人であれば信頼がおけるっていうか、少なくとも自分に近い感性の人ということで、耳を傾けるに足る。でも、そういう『3』と『4』両方に同時に言及してるレビューって探しづらいのよねーこれが。
 机の前に座ること1時間、だいたいの傾向は見えてきた。『1』が好きなら結構満足のデキらしく、『3』のようなひどいことにはなってないらしい。そしてシナリオに関しては賛否両論。俯瞰してみるに、さほどドラマチックじゃないところを是とするか否とするかで意見が分かれてるような気がするが、さすがにそこまでくると遊んでみないとなんとも。テンポはかなり良いみたいで、『2』の悪夢はくりかえされずにすみそうだ。
 これは、試してみる価値はあるかもしれんな……。(窓から射し込む夕日を目を細めて眺めつつ)

 というわけで明日にでも買いに行こうと思うんですが、やれやれここにたどり着くまでにえらい時間がかかってしまった。思ってた以上の文章量になってしまった。これでもけっこうはしょったんだけど。ちなみにゲーム屋はつごう3軒見て回りました。
 「ファミ通とかのクロスレビューの『点数』だけ見てゲーム買っちゃう層」ていうのが正直信じられないとこれまで思ってましたが、こういう店頭で悩んだりネットで情報収集したりする手間を省いてパッと買いたいのかなあ、とちょっと思った。そんなもんなのだろうか。

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2005.08.14(マンガ・アニメの話より)

文化の衝突

 ふだん赤マルジャンプを「うっかりジャンプと間違えて買いそうになる、ある種の罠」というとらえ方しかしていない僕ですが、今回発売の2005年夏号だけは別だ。『武装錬金ファイナル』が載ってんだよあの惜しくも(というか、まあ、やっぱりというか)打ち切りになった『武装錬金』のファイナルエピソードが!
 てなわけで慌てて買ってきたわけですが、一応公式発売日より前(*1)なので武装錬金の話はしないでおくことにして。

 読んでて衝撃を受けたのが、巻末に掲載されていた『wisse Maria』というマンガ……というかコミックというか、なんとも言えないものだ。
 なんでもドイツ語版少年ジャンプ(『BANZAI!』)の漫画賞受賞作品らしくて、当然描いたのもドイツ人。しかしこれ、最初見た時自分の目がおかしくなったのかと思ったよ。
Weisse Maria
Rene Scheibe『weisse Maria』(赤マルジャンプ2005SUMMER掲載)より

 絵が死んでいるとかコマ割りの間が平坦とかそもそも何が起きているのか読んでてもわからないとか純粋にぜんぜん面白くないとか、マジ半端ねえコミッククラッシャーぶり。な、なんだこれ、ドイツ中探してこんなのしかいなかったのか! ドイツ人はみんなアレなのか! こんなことならベルリンの壁崩すんじゃなかった!(暴言) と思ったけど、よく考えたら同じドイツ人でも『MAUS(*2)みたいな傑作描いてる人もいるんだけどなあ。
 つまりこのマンガ(いちおうそう呼ぶ)、無理に日本のマンガっぽく描こうとしたらこうなったらしい。思えば『MAUS』も'90年代のコミックとして確実にありえなくねっていうくらいクラシックなコマ割りとタッチでしたけど、そういう環境の中で日本マンガを彼らなりに分析して解釈した上で描いたのがアレだったんじゃないかっていう。
 このことから明らかになるのは、君らの解釈はヘンだからそれマジで、ということだ。

 いやバカにしてるわけじゃなくて、興味深い事実だなあと。そりゃ確かに僕も最初に読んだ時はドイツ人ありえねえ!とか思いましたが、今は純粋に興味深いって思う。
 つまるところドイツ人、まだ「日本マンガの読み方」を知らないっていうことですよ。そういや僕もアメコミ最初に読んだ時はアメコミ特有の「コマとコマの『行間』を読まないといけない」(*3)というお約束が理解できず、なんで日本のマンガだと10コマ以上はかけるこんな場面を1コマだけで描いちゃうのかとしばしば頭を悩ましたものですが。
 生きた絵の描き方とか動きのあるコマ割りのしかたとかそもそも情景描写のしかたとか、日本に生きてる僕らがふだん何も気にせず読んでるマンガのお約束とかを、彼らはそもそも知らずに今までずっと生きてきた。知識ゼロの状態からドイツ語版少年ジャンプというケーススタディだけ(かどうかは知らないけど)を頼りに少しずつ勉強している。その中途半端な段階での成果が、今回のひどくいびつなマンガなのだろう。
 「もし日本のポップスが海外で大売れしたとしても、その曲は日本人が聴くのと同じ感覚で聴かれているというわけではないだろう」てなことを最初に言ったのは糸井重里さんだったかしら。それと同じことで、日本人がマンガを読むようにはドイツ人は日本のマンガを読んでない。彼らドイツ人の目には、たぶん日本のマンガはどっちかというと『wisse Maria』みたいに見えてるのだ。
 日本のマンガが海外で高い評価を受けているなんて話も、こういうのを見ると話半分で聞いた方がいいんじゃねえのと僕なんかは思う。たぶん僕らが読むのと違う読み方されてるよ『HUNTER×HUNTER』。

*1 公式発売日より前

お盆休みのまっただ中が発売日になった都合上、本来の発売日よりかなり前に本屋に卸されているらしい。

*2 『MAUS』

アート・スピーゲルマン著。日本語版(『マウス:アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』)は晶文社より刊行中。

*3 コマとコマの『行間』を読まないといけない

アメコミはコマとコマの間の「画」だけ省略する(だから1コマの中に異常に大量のセリフが詰め込まれてるように見える)。読者はコマとコマの間にあるキャラクターの動作を想像しながら読まないといけないのだ。

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2005.08.15(その他もろもろの話より)

少女青年

 『少女少年』といえば少女マンガ家(微妙)やぶうち優先生による、少年が完璧な女装をしてその後はもうシッチャカメッチャカという有名なナイスクレイジー作品群ですが、じゃあ「少女青年」というのはどうだろう。どうって言われても。

 そんなことを思ったのもJUNの『Moon Risin'』を買ったからなんだけど(iTunes Music Store)。『サンセットシティライト』とか『マジックタイム』とかの小ヒットでおなじみエレポップの人ですが、あらためて聴いてみるにいい大人の男が歌うにしてはスゲエ歌詞の世界だなと。
抱きしめたいよ 触れていたいよ
口づけてよ 僕の夜の太陽
目覚めないよ 君といたいよ
眠りの姫 毒リンゴもうひとつ

終わらない夜 まるで星のよう
止まらない夜 魔法のメロディ

このまま魔法は君や夜を抱きしめて
帰さないよ 放さないよ
このまま僕は君と夜を駆け抜けて
狂ったメロディを奏でてる
そのまま魔法は僕の夜も抱きしめて
帰さないよ 放さないよ
そのまま僕は君と夜を駆け抜けて
狂ったメロディを奏でてる
JUN『Apples』(『Moon Risin'』収録)より、耳コピ詞

 なにこの乙女美ジョン発動120%なオトメチック路線。このアルバムは「ジゴロ」をテーマにしたコンセプトアルバムだという話ですが、たしかにジゴロはジゴロだがこれ乙女フィルターを通して見たジゴロじゃないですか。

 この少女青年ぶりを見るにつけ、そういや'80年代のバンドブーム前夜の頃ってみんな歌詞がオトメチックだったなあって思い出した。
 テクノポップのTM NETWORKからパンクのTHE BLUE HEARTS(甲本ヒロト作詞限定)、恐るべきことに布袋の兄貴擁するBOφWYに至るまで、いい大人の男が歌うには信じられないくらい甘く美しい乙女ビジョンに溢れていた。それはオーディエンスの中の無視できない層である少女たちにコミットした結果でもあるのだろうけど(←ちょっと音楽雑誌っぽく書いてみた)、実際の話けっこう素でみんな少女青年だったのじゃないかと思う。あの頃乙女回路を内蔵してなかったのってCOBRAと原爆オナニーズぐらいだったんじゃないのってくらい。
 その後バンドブームが起こるにつれて反動で乙女の匂いを自ら消しにかかったアーティストも増えていつしか乙女歌詞はガールズポップのものになったり、渋谷系という近いが違う系に分化したり、悪そうな奴はだいたい友達式の和風ギャングスタ世界観や爽やか男子ポップスに駆逐されたり、あるいはダサい男肯定路線という新たな潮流が生まれたり、おおむね少女青年は死んだことになってるこの時代ですが、そんな中で少女青年の復活をたからかに歌い上げるJUNの存在は必要以上に輝いている。

 実際のとこ、新しいのに'80〜90年代ポップスを感じさせるJUNの楽曲は素で格好いい。「電グル」とか「岡村ちゃん」とか「TMN」とか「痛快ウキウキ通り」とかのキーワードにビンビン反応してしまう種類の人にはイキナリ的におすすめですよ。

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2005.08.16(マンガ・アニメの話より)

素敵な登場人物

さらっとひどいことを言う人  『史上最強の弟子ケンイチ』の17巻は基本的にはラグナロク編終了後の中継ぎの巻で、クリストファー・エクレールとの対決(を見学する)話が主なのですが、僕がこの巻を読んで一番心に残ったのはあまりにもチョイ役の「死合い場の見届け人の僧」だ。なんか知らんが好きだ。妙に好きだ。17巻のことを思い出そうとすると真っ先に出るのはこの人だ。顔だろうか。セリフだろうか。人生で一度でいいから「死人はできるだけ だしてもらいたくない!」とか言ってみたい。人生でそんなセリフを言う場面がいったいあるのだろうか。

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2005.08.17(フロントミッション4(フォース)より)

説明書

 やっと説明書読み終わったー!
 『フロントミッション4』買ってからこっち、3日そこらかけてやっとこさ説明書を読破いたしました。ちなみに総ページ数は36ページ(うち本文は30ページ)だ。活字離れが嘆かれる昨今、まさしくうーんなんつうか世相とか関係なしにバカだよね君、という感じであろうが、だってこの説明書憶えることたくさんあんだもん。←堂々と

 いやあ一番最近に遊んだフロントミッションシリーズ作品が『1』(それもリメイク版の『ファースト』とかじゃなくスーファミ版)なもんで、この深化したシステムに頭が全然ついてかなかったことなかったこと。
 今作ではバックパックに種類がいろいろある事やスキル数に上限があることから見て、どうやら今回は特に各キャラごとの役割分担が大事になるものと思われますが、まあそんなところです(後が続かなくなった)。だから書いてあることが小難しくて頭に入ってこないってんですよチキショー!(逆切れ)
 ちょっと読み進めてはまたわかんなくなって前のページに戻り、また読み進めては戻りという3歩進んで2歩下がる方式である。チータこと水前寺清子はそんなことを言うが、おかげさまで30ページをいつまでも読破しきれないのである。でも読破しとかないと変な育て方しちゃって半分ぐらい進んだところで取り返しがつかなくなったりしそうだしなあ。こうしてゲームは電源を入れる前から暗礁に乗り上げるのである。
 そして31ページ目まで読んだところで、ゲーム中にチュートリアルモードがあることが小さく書かれてることを発見したり。そ、そういう事は1ページ目に書いといて! 太字で。そしたらもうちょっとさらっと流して読めたのに!

 その他、説明書で心に残ったこといろいろ。
(以下、画像はスクウェア・エニックス『フロントミッション4』説明書より)

 移動範囲を示す半透明のチップがきれいでかわいい。
 攻撃範囲を示すチップ(赤色)も同じくきれいでかわいい。
 くだらんことにも思われるだろうが、世の中見た目だ。

 「狙撃 (snipe)」というスキルがあるだけでもけっこうぐっとくるが、ちょっとこの画面写真どういうことよ。でけえ! 武器おそろしくでけえ!
 たぶんこれヴァンツァーの全高よりも長い武器かついでんでしょ画面写真見るに。使いたい。できれば今すぐ使ってみたい。

 やっぱり両手持ちはかっこいい。今回も主人公機は両手持ちでいきたい。マシンガンとショットガンの両手持ちにかぎるだろう。もしかすると今回は他に両手持ちできる武器あったりするのかな。楽しみだ。

 主人公の1人「ダリル」のキャラ絵を見た時からずっと何かが引っかかっていた。どこかで見たような気がする。いや当然主人公だからゲーム雑誌とかWebサイトとかで見てるんだけど、そういう意味じゃなくもっとよく見知った誰かのような気がする。フロントミッションシリーズに似たキャラでもいたんだっけか。いやそういうことじゃない。もっと違う何かで、たしかにどっかで見たんだ、この髪形。このアゴヒゲ。この目つき。
 ……あ、『銀魂』の近藤局長だ。

空知秀秋『銀魂』(第八巻)より
 おいおいおいダメだろそれは普通に。局長ってアレでしょ、バカの上にストーカー疑惑のつくバカでしょ。大好きですがね、ええ、近藤局長。それにしたってGoogleで「近藤局長」で検索したら1位に「局長のケツ毛を愛そう!」(タイトル)が来ちゃうような男ですよ。すなわち世界トップレベルのケツ毛ですよ。意味わかんないけど。
 ダメだ、もうダリル隊長の顔が近藤局長にしか見えなくなってしまった。たぶんこれゲーム始めても局長がしゃべってるようにしか見えないって絶対。いつヴァンツァーのコクピットの中で脱糞するかわかんないよこの人。
 早くもゲームは暗礁に乗り上げた。まだ電源入れてもいないのに。

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2005.08.18(フロントミッション4(フォース)より)

チュートリアル

 このゲームの説明書がいかに難物であるかを前回は書いたが、なんかまだ気持ちがおさまりきらないのでまた書く。←あんまり
 憶えなきゃいけないことが本っ当たくさんあるんですよコレ。大きく分けて3つ。戦闘のやり方、パイロット(キャラクター)の成長、ヴァンツァー(メカ)のカスタマイズ。戦闘のやり方ひとつとっても、移動方法やマップの見かたなんつう基本的なことから始まり、攻撃のパターンだの武器・アイテムの種類だのバックパックの中身によってできることだの、このシリーズの新概念「セットリンク」だの、本当いろいろあるのだ。それがギチギチに凝縮されて書いてあるのだ。大変なのだ。
 なんとか一通り読んだものの、いまひとつ体系的に頭に入っていないのは自分でもよくわかる。つうか実際、正味30ページ内におさまる内容じゃないだろこれ。
 こういう時、僕はいつも攻略本を買う。攻略本というのはたいてい「ページ数が多くないと売れないんだろうなー」と思うくらいページ数が多く、まあそこはともかくその多いページ数をさいて懇切丁寧にシステムを系統だてて解説してくれているものだ。ドはまりな上級プレイヤー向け情報が大半な一方、ゲームを全然遊んでないプレイヤーにもそれはそれで役に立つものなのだ、前半数十ページは。というかゲームについてくる説明書にもっとページ数あればすむことだとは思うんですが、まったく。
 ところがフロントミッション4の攻略本が売ってないのまた見事に。
 スクウェアの看板人気シリーズのひとつとはいえ『2』『3』と出すたびに期待を裏切り続けたアレなだけに小ヒットに終わったのも原因か、攻略本はメーカー公式本とエンターブレインのオフィシャル本(ややこしい)の2冊しか出てないご様子。でまあ、どっちも売ってない。いちおう攻略本系が充実してる店はあちこち行ったんだけど、どこにも置いてない。しょうがないんでAmazonで注文しました。まあ2、3日すれば届くわけだから。

 2、3日すれば届くってもその間ゲーム遊ばないわけにもいかないでしょってんで、とうとう本日電源を入れました。なんだか矛盾したことを書いている気もするが、まあ、様子見プレーのつもりで。ちょっとオープニングでも見てテンション高めてみようか程度の気持ちで。
 ローディングから数秒、画面にバーンと表示される「SQUARE ENIX」のロゴ。そういや「スクエニ」になってからここのゲーム買うの初めてだなあといまさらなことも思いつつ、このロゴスキップできんのかなあ、スキップできないとなんだか今後がプチガッカリだなあ、と思うもののためしに○ボタン押してうっかりオープニングムービーまで飛ばしちゃいけないので、今回だけはぐっとこらえる。
 そして始まるオープニングムービー。僕はレンダリングCGのムービー観て感動するとかそういうのがないタイプの人なので実際オープニングムービーは軽く流す。いやさっきぐっとこらえた姿勢とはあきらかに相反してますが、ストーリー上重要なムービーである可能性があるじゃないか。まあ見てみたら単なるイメージ映像でしたけどね。
 そして始まるオープニングムービー。え? あ、いや、今度はイメージ映像じゃなくて本当にストーリーに則した映像なのか。レンダリングムービーじゃなくリアルポリゴンだし。
 実は見ていてさっぱり事情はわからなかった(おそらくわざと情報量を削っている)のだが、とにかくどっかのヴァンツァー部隊がどっかの基地を強襲して全滅させたらしい。襲ってきた方は無傷。弱いぞ基地。ふつうこういう基地ってのはそう簡単に落ちないもんじゃないのか。まあ敵方がよほど用意周到だったということだろう。
 ムービーはとどこおりなく終わり、主人公の1人「エルザ」がEC(ヨーロッパ連合)出資のヴァンツァー戦術研究機関「デュランダル」の実験実働部隊に配属されたところからゲームは始まる。傭兵部隊と「巻き込まれて参加」と実験部隊はこの手のロボットバトル導入三種の神器である。そういや『オルタナティブ』もヴァンツァー戦術の実験部隊だった気がするが、今回は時代背景がかなり先になってるので問題なし。
 顔グラフィックの口パクが口パクというかアゴパクになってる(なんかアメリカンアニメ風)のに少々とまどいつつも、新人エルザは実戦テストを受けることになるのである。
 この過程でものすごく親切なチュートリアルが入る。
 ……。ぼ、僕が説明書を3日かけて読んだ立場は!
 このチュートリアル、説明書と違ってとてもていねいに作られてて、まず戦闘の基本中の基本である移動方法だけをきっちり1ターンやらせて、その次は攻撃の基礎、その次はアイテムの基礎、もっと詳しいことはまた次の機会で、という非常に入り込みやすい設計。画面上でアニメーションしつつ矢印で画面に注釈をいれるし、実際にプレイヤー自身に操作させたりしてまさにゲーム中のチュートリアルならではのわかりやすさ。
 さらにこの戦闘が終わると、今度は戦闘はいったんおいといてパイロットの成長システムについてひとくさり。もっと成長してからできることやヴァンツァーのカスタマイズについてはまた今度。今憶えないといけないことだけ説明しますからここだけキッチリ憶えてください的なやり方。ち、ちゃんと系統だてて解説できてる! やればできるじゃないアンタ!
 いやわかってますよ説明書を前もって読んでたからこそ今チュートリアル見てスイスイ頭に入ってくる面もあるってことは。予習してから受ける授業みたいなものなんでしょうよでしょうけども、このチュートリアル確実に説明書よかわかりやすいしAmazonで攻略本買った意味もかなり失せた。いいよもう、ゲーム先に進めりゃいいんだろ、わかんなくなったらその時攻略本読むよ!

 とにかく今見れるチュートリアル(おそらく初級編的なやつ)を全部見て、セーブして電源切りました。こんなんなら説明書はもっと薄くして紙メディアでしか伝えにくい情報(操作方法とか表形式のリストとか)だけ書いといたらよかったんじゃないのかとか思いつつ。

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2005.08.19(フロントミッション4(フォース)より)

デモンストレーション

 今日こそはゲームを進めるぞと思いつつ電源をオン。
 ちなみに結局メーカーロゴはスキップできませんでした。ちっ。わかっちゃいねえぜ(メーカーロゴ嫌い)。でも実際、オープニングムービーが始まってからようやくボタン入力を受け付けるっていうのはスマートじゃないと思う。別に何回も見たいという種類のムービーでもあるまいに。
 あ、でも今回ムービー見直してぐっときたところはあった。世界三大漢(おとこ)の武器のひとつとされるパイルバンカーの存在だ。こないだは見逃してたけど、このゲーム、パイルバンカーあんのか! あれ、前のシリーズからあったっけ?(あいまい)
 パイルバンカー。「杭をぶちこむもの」とでも訳せばいいのだろうか。パイルドライバー(杭打ち機)じゃだめなのだろうか。バンカー (bunker) だと掩蔽壕と意味がかぶったりハードゲイ用語(さすがにナニなので具体的な意味は書かない)だったりでなにかとアレな気がするのだけど。まあとにかくパイルバンカー。一般的には戦闘ロボ(こう書くとみもふたもないね)に時々装備される格闘戦用武器である。主に腕に備え付けられ、マジで杭打ちをするように巨大なクイがバスッて出てシュバッて戻る。冷静に考えるとこの「バスッて出る」出力とクイの硬度だけで成り立ってるような武器で、そんな破壊力が期待できるとは思えないのだけど雄度(おすど)補正によって強力無比な近接兵器とされることが多い。ちなみに世界三大漢(おとこ)の武器の残り2つはドリルと巨大剣(巨大斧と巨大槌を含む)である(*1)
 パイルバンカー、ぜひ格闘系のキャラに装備させたいものだ。ううむ、説明書のキャラ紹介だけじゃ誰が格闘系なのか想像がつかんなあ。などとタイトル画面横目に説明書を眺めてたら、2つめのムービーが始まった。
 ああ、このゲームは何種類か(後で確認したら2種類)ムービーあるのか。たぶん店頭デモ用の配慮なんだろうなあ。で、その内容はまあ今回もイメージ映像ではあるのですが、ジオン開発工場では次々と新型モビルスーツの開発が進められていた方式(*2)の基地の様子に始まり、赤ランプとサイレンと共にワンダバする(*3)という熱い展開で、ちょっといい感じだった。ゲーム本編はまずワンダバシーンがなさそうなシステムなので、いい感じだったからそれがどうしたと言われれば、答えに窮する。←役立たず

 あ、ゲームの方は1マップ軽く終えて(初の実戦で、それだけにすごくゆるい)、その後にまた一気に追加されたチュートリアルを消化してたら結構時間が経過してたのでセーブして電源切りました。たぶんこれからももうちょっとの間はこの調子でなかなか先に進まないんだろうなあ。

*1 世界三大漢の武器の残り2つはドリルと巨大剣である

漢の武器四天王になると、これに携行型砲が加わる(バスター砲を含む)。まあ全部僕が勝手に言ってるだけだが。

*2 ジオン開発工場では次々と新型モビルスーツの開発が進められていた

むかしのガンダムのプラモデルCMにそういう感じのナレーションがあったのです。うろ憶えです。

*3 ワンダバ

一般に、戦闘メカ類の発進シークエンスの映像表現をこう呼ぶ。『帰ってきたウルトラマン』でMAT(怪獣攻撃隊)出動シーンにかかるBGM『M-3』の歌詞(つかスキャット?)が「ワンダバダバダバ、ワンダバダバダバ、ワンダバダバダバダ」だったことが由来だそうです。

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2005.08.20(フロントミッション4(フォース)より)

導入部

 前回「この先しばらくはちょっと進めてはチュートリアルのくりかえしであろう」的なことを書いたら、いきなりどんどん話が進みました。効果てきめんってやつだ(ネガティブ思考)。
 このゲーム、2人の主人公による2つのストーリーが同時進行していく風なストーリーになっているらしいんだけど、えーとまず第1の主人公であるエルザ(前々回から出ずっぱり)であるが、謎のテロリストによる基地襲撃、そしてその背後に隠された秘密とは? せまり来る正体不明の敵ヴァンツァー部隊。謎を追え! ぼくらの戦術研究機関デュランダル! 君は小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか──。みたいな話だったはずですよ。あと関係ないけど、チームの1人で調子のいい黒人オペレーター「ハーミーズ」の声が僕にはエディ・マーフィーの吹き替えの人の声で聞こえます。なんとなく。
 そしてもう1方のストーリー、『銀魂』のほうの近藤局長似ことダリルが主人公の「ダリル編」(ひねりゼロ)。ゲーム中の顔グラフィックは思ったより局長っぽくなかったので、なんというか、助かった。
 舞台は、どっか南米(あいまい)。ベネズエラ州のUSN(ニューコンチネント合衆国)独立宣言をきっかけに独立紛争が勃発。それはそれとして、日銭を稼ぐのが主眼でマジメに戦争する気がさらさらないダリル以下USN3馬鹿兵士たちは、偶然にもベネズエラ政府要人の隠し財産を発見。俺達にも運がまわってきたぜ!(ありがちな表現)とばかりに根こそぎいただいて軍も辞めて純白のメルセデスとプール付きのマンションと最高の女とベッドでドン・ペリニヨンを飲もうとした浜田省吾もとい3馬鹿兵士だったが、基本的に悪知恵は回るがあんま計画性とかない連中なんでそこかしこで危ない橋をわたったり(実際ミサイルとか撃たれた。橋で)結局持ち主に顔バレして逃げまどうハメになったりと大忙し。てなわりとライトタッチの話でした。
 ていうかこれ映画『スリー・キングス』まんまなストーリー(*1)ですが、まあ100%わざとというかオマージュのようなものだろうからつっこまない。個人的な意見としては、あんまり最近のモノをオマージュするとパクリパクリ言われるので、どうせなら『M★A★S★H』(*2)あたりの古典をオマれば(←新語)商業的にはよかったんじゃないのかしら。とか余計な心配をしてみる。
 さてそんなこんなでダリル一行のいまいち緊張感のない逃走劇が始まった……一方その頃(なのか?)エルザたちデュランダル隊はテロリストの手がかりを求めて、ヨーロッパのどっか(あいまい)に向かおうとしていた。TO BE CONTINUED。
 エルザ編になった途端にTO BE CONTINUEDになったのは、そこでセーブしてやめたからですよ。いやイベントシーンで歴戦の女兵士が仲間になったんで、とりあえず親睦会がわりにシミュレーターバトル(*3)をやってみたらけっこう時間食っちゃって。

*1 『スリー・キングス』

1999年公開、ジョージ・クルーニーほか。湾岸戦争停戦後のイラクで、日銭を稼ぐのが主眼でマジメに戦争する気がさらさらないクルーニー以下アメリカ軍3馬鹿兵士たちは、偶然にもフセインの隠し財産を発見。俺達にも運がまわってきたぜ!とばかりに(以下略)という導入部。

*2 『M★A★S★H』

1970年公開、ドナルド・サザーランドほか。軍隊コメディ映画と大真面目な反戦映画をシェフの気まぐれ味つけでミックスしてみました的な、わりと変わった映画。まあ時代が70年代だったからなー。

*3 シミュレーターバトル

コンピューター上のシミュレーターを使ってバーチャル敵軍と戦う模擬戦。経験値も稼げる。あと勝利するとお金ももらえるが、そこは不思議だと思う。

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2005.08.21(フロントミッション4(フォース)より)

リンクの冒険(駄洒落)

 興が乗って3時間くらい遊び続けましたが、ストーリーは前回からまったく進んでいません。
 それというのもいよいよゲームが本題に入ってきたらしく、ヴァンツァーのパーツを買えるようになったり「リンク」が使えるようになったりしたのだ。今日電源を入れて2分後に。どうやらすごい切れ目でセーブしてたらしい。

 『4』で追加された新システム「リンク」とは何なのか真面目に説明するとものすごく長くなっちゃうのでおおざっぱに言えば、敵をフクロにするシステムである。集団ボコ殴りにするシステムである。私刑(リンチ)である。
 たとえばいま僕の使ってるスタイルを例にとると、ある敵にわがチームの格闘担当ラトーナ姐さんがパイルバンカー攻撃をしたとする。ちなみに名前に「姐さん」をつけて呼ぶのは、なんとなくそんな感じだからだ。きっぷのいい姐さんなのだ。ハスキー声はいなめないのだ。
 とにかくラトーナのこうげき。てきヴァンツァーに100のダメージ。敵はふらつきはしたもののまだまだ余裕である。敵も反撃してくるのでラトーナ姐さんにも70くらいダメージが入る。まあここまではいつものフロントミッションでもおなじみのパターンだ。しかし、その裏に恐るべき罠が待ちかまえていようとは、このとき敵は知るよしも無かったのである。
 チームの回復担当を務めるハーミーズ(気のいい黒人青年)がとりあえず近寄ってラトーナ姐さんを回復。おそらくハーミーズはラトーナ姐さんに「坊や」呼ばわりされていると思われるが、それはさておきハーミーズはベホイミをとなえた(比喩)。回復と攻撃は同時にできないので、この時点でハーミーズも行動終了になる。さらにそこに現われますはチームの銃担当にして紅一点のエルザさん。←ラトーナ姐さんがいつのまにか女性の立ち位置から外されている
 エルザのこうげき。てきヴァンツァーに100のダメージ。ここからである。ここからリンクが発動するのだ。さかのぼること数分前。戦闘の前に、エルザの「アタックリンク」にラトーナ姐さんとハーミーズをセットしておいたのだ。するとどうなるのかというと、エルザの攻撃が終わった直後、行動終了状態だったはずのラトーナ姐さんがおもむろに近づき(おそらく「ゆらり」という擬音つき)敵ヴァンツァーを殴りつける。さらにハーミーズも手にしたマシンガンをぶちこむ。絵ヅラ的には、3方向から連続でボコられている敵ヴァンツァーの図である。まあ、そりゃ爆発もしますわ、敵ヴァンツァー。
 これがリンクシステムだ。エルザが攻撃したら、すでに行動終了になってるはずのラトーナ姐さんやハーミーズも一緒になって攻撃するのだ。敵をフクロにすると誓った仲なのだ。いやだな、そんな仲は。
 もちろんおいしいだけではなく制限もあって、ちゃんと敵を射程範囲にとらえていないと発動しないとか、攻撃できるだけの余力を残してないと発動しないとか、リンクを設定できる人数には限りがあるとか、レベルを上げないとリンク設定すらできないとか、いろいろと考えてセッティングしておかないと発動すらしなかったりする。
 しかしまあこれうまく決まると気持ちいいの。なまじ敵が一撃では痛くもかゆくもないような顔してるバランスなだけに、連続で攻撃してボコボコにすると痛快そのもの。バランスといえばこのゲーム、格闘戦担当は銃担当と違って2連続攻撃ができないシステムになってて、そのせいで普段はいまいち輝けない役割なんですが、リンクしようとするといきなり活きてくる(連続攻撃できない分、リンクに回す余力があり余っている)のもよくできたバランス調整。
 そんな面白システムのリンクですが、ああでもないこうでもないと設定したりシミュレーターでテストしたりしてる間に3時間。なにもストーリーは進行しないままに本日は終了いたしました。先が思いやられる。

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2005.08.22(その他もろもろの話より)

おおシャンゼリゼ通り

 そもそもはダニエル・ビダル(*1)の『オー・シャンゼリゼ』を聴きたいと思ったのがはじまりだった。
 シルヴィ・バルタン(*2)とかと違って音源が残っていないのかなんなのか、ろくにCD化されてないし当然レンタルもされてないしかといってアルバム買うのも(オリジナル音源じゃないし)どうかって感じだったんだけど、もしかしてiTunes Music Storeなら単曲売り150円であんじゃないのってんで検索してみたと思いねえ。
 残念ながらというかやっぱりというかダニエル・ビダル版は置いてなかったんだけど、越路吹雪(*3)カバーバージョンがすげえかっこよかったんで思わず購入。

*1 ダニエル・ビダル

遅れて来たイエイエアイドル(※キャッチフレーズ)。代表曲『オー・シャンゼリゼ』とか『オー・シャンゼリゼ』とか(個人的選曲)。フランス人なのに日本語がめっさうまかったそうな。

*2 シルヴィ・バルタン

フレンチポップスの妖精(※キャッチフレーズ)。代表曲『あなたのとりこ』とか『あなたのとりこ』とか『レナウン娘』とか『あなたのとりこ』とか(個人的選曲)。フレンチポップスの妖精なのに実はブルガリア出身なのはないしょだ。

*3 越路吹雪

シャンソンの女王(※キャッチフレーズ)。代表曲『サン・トワ・マミー』とか『ろくでなし』とか『ラストダンスは私に』とか(まともな選曲)。三島由紀夫の元カノだったというパンチの効いた過去を持つ。あと顔もパンチ効いててかっこいい。

 で、こないだ買ったJUN(黛ジュンじゃない方)もいかすが越路吹雪サマもやっぱりカッコイイぜ! とかヘビーローテーションで聴いてたんですが、どうしても違和感がある。こんな歌詞だったっけ? 具体的には「頭のおかしい男がギターを 弾いてる店など いいじゃない」のあたり。
 いやいやいやふつう遅れて来たイエイエアイドルは「頭のおかしい男」とか歌わねえよ! ダニエル・ビダルも日本語バージョン歌ってたはずだけど、金髪ロリータで押してたアイドルに「穴ぐらのバーへ出かけよう」とかこんな歌詞はありえねえって! サビのとこ「オゥ★ シャンゼリーゼ♪」って可愛く歌ってたはずよこの人?
 そんで調べてみたら、『オー・シャンゼリゼ (Les Champs-Elysees)』の訳詞には有名なのが2バージョンあるらしくって、越路吹雪Ver.は岩谷時子訳、ダニエル・ビダルVer.は安井かずみ訳なんだとか。すごく納得いった。
 しかしこれ、2つ見比べてみるとあらためてものすごい落差があって単純に驚かされる。かたやシャンソン、かたやフレンチポップスという違いでこうも変わってくるのか。

『オー・シャンゼリゼ』


安井かずみ 訳詞

街を歩く こころ軽く
誰かに逢える この道で
素敵なあなたに声をかけて
こんにちは 僕と行きましょう

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
いつも何か素敵なことが
あなたを待つよ
オー・シャンゼリゼ

あなたを連れて遊びに行こう
みんな集まる あのクラブ
ギターを弾いて 朝まで歌う
楽しく騒いで恋をする

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
いつも何か素敵なことが
あなたを待つよ
オー・シャンゼリゼ

昨日までは知らない同士
今日から二人 恋人さ
道を行けば世界は揺れて
愛する君と僕のため

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
いつも何か素敵なことが
あなたを待つよ
オー・シャンゼリゼ
  岩谷時子 訳詞

ひとりで街をぶらぶらしながら
話しかけたいな こんにちは
相手は誰でも あなたでもいい
私のとりこにしてみたい

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
欲しいものが昼も夜中も
ここにはあるよ
オー・シャンゼリゼ

頭のおかしい男がギターを
弾いてる店など いいじゃない
踊って 歌って それも飽きたら
穴ぐらのバーへ出かけよう

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
欲しいものが昼も夜中も
ここにはあるよ
オー・シャンゼリゼ

きのうは顔も知らない二人が
ぼんやりしてる街の朝
早起き雀が高い屋根から
恋人たちに愛を歌う

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
欲しいものが昼も夜中も
ここにはあるよ
オー・シャンゼリゼ
 なにこの大意はそっくり同じこと言ってるのに全然違って聞こえる内容。言い回しを変えるだけでこんなにもかもしだすムードが退廃的になるのか。あんたら『ガラスの仮面』でマヤと亜弓が演じ分けた『たけくらべ』か何かか(『奇跡の人』でも可)。翻訳って凄い。半端なく凄い。

 ここまで書いて何を言いたかったのかというと、僕はカーペンターズのロマンチックな名曲『Yesterday Once More』を聴くたびに、トリビアの泉で知った関西弁歌詞バージョン『あのエエ頃 もっかい』が脳裏でかかってしまうのでとても迷惑だということです。なんか耳に残るんだよなあアレ。

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2005.08.23(フロントミッション4(フォース)より)

政軍分離

 今現在の進行ぐあいを書いてみると、ダリル編はあのまま放っとかれっぱなしでいまだエルザ編である。具体的には「ばかもーん! そいつがルパンだ!」とばかりに猛ダッシュで後を追いかけたら「この塔の先に進みたければ我々四天王を倒してからにしてもらおうか!」的なことになって、実際倒してみたあたり。ところで塔とは? 四天王? ルパン?(あやまちに気付く)
 それにしてもこのあたりの展開、なんつうか国際紛争──いやいやこの時代だと国家共同体になってるから内戦扱いになるのかな? とにかく戦争の火種をつくるどころか戦争のキャンプファイヤーでも焚いてんじゃねえのってくらいに国境付近で危険なことをしてる気がするんですが、いいんだろうか。いやデュランダル自体は合衆国に対するFBIばりにE.C.全域に調査特権が認められてるみたいだからやはり非はあちら側にあるのか。あれ、でもまだ正式にE.C.議会の承認を受けたわけじゃなくてイギリス政府の口利きがあったレベルじゃなかったっけ? いやいやでもむこうは明らかに自国政府に確認もとらず独断で越権行為してるわけだし、いやあそれ言ったらこっちも似たようなもんで、むこうが越権行為は承知の上でその1手先を読んでるっぽいのに対しこっちは……てな感じで非常に危うい綱渡りをやってるんですが。
 そういう綱渡りをさせる意図のシナリオであるにしろ、それならそれでもうちょっと政治的葛藤をセリフ回しのはしばしから匂わせてほしかった気もしますが、そこまでするとゲームの敷居がいっそう高くなっちゃうからこのあたりが順当なところという気もする(ころころ変える意見)。

 実際この手の軍事物シミュレーションRPGのシナリオでやっかいなのは、「戦闘行為は最後の手段」というリアルな世界観と「戦闘シーンがないとゲームにならない」というゲームのお約束の間のジレンマなのだろう。最初から戦争状態にあるので敵国をツブせ的なストーリーだとその点は楽に解決できるけど、ある程度二転三転のドラマチックストーリーにしようとするとどうしてもこのへんが難しくなりそうだ。かといっていちいち上層部にお伺いを立てながら侵攻したんではドラマチックにもなりづらいだろうし。
 そいやこのあたり『1』のシナリオ(特に後半以降)は非常にうまく解決してましたな。さすが……と言っておこう(*1)
 ゲームにかぎらず軍事物という話はその性質上、どうしても政治と切り離すことはできない。かといって政治的に正しいことに比重を置きすぎると、プレイヤー的にはミリタリたい(新語)だけだったりするので余計な小難しいテキスト読ませんな! もう寝る! とかなりかねなくて難しいところだ。この矛盾を『1』は最初のうち軍事物とみせかけて、(開始1分後に恋人が死んだという伏線をうまく利用して)後半どんどん軍事からかけ離れた個人の物語にシフトさせていくという方法で解決していた。その後「坂田一族」というこれまた個人の物語的なギミックを逆手にとって最終的にまた軍事物に着地させるという手法もお見事。『1』やってないとなんのことだかさっぱりなことを書いていて申し訳ない。

 その意味ではダリル編が軍事とさらさら関係ねえやっていう個人の物語になるんだろうか。イベントシーンによれば、これからダリル編が始まるようです。

*1 さすが……と言っておこう

関係ないけど、ガンダムファンの間で使われる「ファースト原理主義」(無印の初代『ガンダム』以外のシリーズ作品を認めないという思想)という表現はフロントミッションでも使えることに今思い至った。かく言う僕は『オルタナティブ』も好きなのでファースト原理主義者とは違いマスヨ?

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2005.08.24(夢トイレより)

往復運動

 私は夜中にふと目を覚まして、トイレに向かった。
 いつも通りにトイレのそばの電灯のスイッチを入れながらドアを開く。
 しかし、トイレの中は暗いままだった。私は「もともと消し忘れていた明かり」を消してしまったのかと考えて、いつの間にかトイレから遠くに移動したスイッチを点けに戻る(夢の中の私はスイッチの場所が移動していることに疑問を感じていない)。
 スイッチを押して、再びトイレに戻るが、ドアを開くとそこはまだ暗いままだった。
 この夢の中では電球が切れているという可能性はなく、私はただ何度もトイレとスイッチの間を行き来して、明かりが点くときを待っている。
 暗くほとんど中が見えないトイレの便器だが、直感的に水が詰まっていて利用できないようにも感じられて、私はしだいに馬鹿馬鹿しくなってくる。

いや度:★★

ひどい徒労である。

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2005.08.24(夢トイレより)

物置きの中で

 そのトイレは物置きと共用になっており、ごちゃごちゃと棚やふだん使わない道具が置かれている埃っぽく薄暗い部屋の奥に、洋式便器がぽつんと置いてある。
 私はこの様子を少し不審に思うが、すぐにユニットバスのようなものだと納得して便器に近づいた。
 便器の横には漬け物の樽が置いてあり、いくら蓋をしてあるからと言っても食べ物をトイレの傍に置くのは不衛生だと私は思う。ふと気付くと、裸足である私の足下の床はじめじめと濡れており、本来スリッパを履くべきなのだと私は不意に思い出す。
 スリッパを取りに入口のあたりまで戻ると、そこに漫画などを置いた本棚があることに私は気付いた。トイレの間の暇つぶしに置いてあるらしい。私がどんな本があるのかと物色していると、叔母ふたりが入ってきてその場に持ってきた乾き物をつまみながら世間話を始めた。彼女たちは私がトイレを使うつもりでここにいるとは知らないのだ。
 一緒に叔母の小さな娘も入ってきて、漫画を取ってまたすぐに出ていった。私は本棚の品揃えがラーメン屋のようで、中に大人向けのコミックも混じっていることに気付き、子供も見る棚としては良くないのではないかと叔母に訴えるが、彼女は取り合わない。
 トイレに戻りたい私は、叔母が早く出ていってくれないかとあまり好きでもない乾き物に手を出す。

いや度:★★★★

何か色々と釈然としないことばかりのトイレだった。
ところで物置きに漬け物のタルが置いてあるのって、一般的なんでしょうか。我が家ではそうでした。

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2005.08.25(フロントミッション4(フォース)より)

巨大兵器

 巨大機動兵器でたー!
 いやまあ主人公たちの乗ってるヴァンツァーだってたいがい巨大で全高約6メートル(2階建てビル程度?)だそうですが、今回敵がズシンズシンいわせながら乗ってきたやつは目測で体積にして優に4倍強はありそうな巨大兵器。正確には多脚戦車に分類されるんですかね、あれ。
 ああいう巨大兵器が文字通り地面を震わせながらやって来た時点で「ああ、殺されるな……」と覚悟が速攻で固まる。怪獣映画よろしくズシンズシンやって来る巨大兵器の姿には有無を言わせぬ説得力がある。装甲はものすごく厚いしこっちのパーツを一撃で破壊せんばかりの強力無比な武装を持ってるに決まってるのである。
 こういう一種の畏怖の感情をもって巨大兵器を見てしまうのは、過去のロボット物の記憶のすりこみが原因だったりするんだろうか。それか怪獣映画。ずば抜けて巨大なやつらが地響きを立ててゆっくりやってくるのである。素早くやってきた例はあまり知らないし、あったとしてもあんまり怖い感じではなかった(例:ハリウッド版ゴジラ)。やつらはこちらの抵抗をまったくものともせず、圧倒的な火力などで破壊のかぎりを尽くすのである。たいていそういうことになってるのである。ゲームにおいてもそれはしかり。
 そんで相対した巨大兵器はやっぱり予想通り強かった。こちらのマシンガンの弾が当たっても全然HPが減らない。小雨かなんかのように傷がつかない。かたやあっちが発射するグレネード弾は1撃でこちらのパーツHPを根こそぎ持っていく。それどころかもう1発撃ってきたりする。ああ、殺されるな、これは。

 しかしこっちも伊達にレベルを上げてきたわけではない。伊達にスキルを取得してきたわけではない。伊達にリンクを設定しているわけではないのである。
 接近戦をしかけ、ショットガンで装甲を削る。遠距離からスナイパーライフルで一撃必殺を狙う。うわ全然当たんないわこれ。しょうがないのでやっぱり中距離からスナイパーライフルで一撃必殺を狙う。当然こっちのHPもがんがん喰われていくが、回復要員に絶え間なく回復させ続けていれば回復手段のない相手はいつかは倒せる。いける!
 ……と思ったとたんに敵のヴァンツァーが横から出てきてマシンガン斉射でこっちのHPをさらに削る。ま、待て、それやられたらこっちの回復が追いつかないんだって!
 巨大機動兵器はなかなか倒せる気配がないので、当面の敵としてこのマシンガン兵を先に倒すことに。リンクを利用した一斉攻撃で一気にHPを削る。いける!
 ……と思ったとたんに逃げ出す敵ヴァンツァー。そして安全圏からマシンガン斉射。そして背後には巨大機動兵器。ああ、殺されるな、これは。

 幾度となく死を覚悟したものの、結局なんとか勝ちました。苦しい戦いだった。
これだけ不利な状況でよく勝てたものだと自分でも思う。ゲームのバランス調整がうまいのだろう。

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2005.08.26(フロントミッション4(フォース)より)

ショップ・オブ・ホラーズ

 買い物は一大イベントだ。
 このゲームの流れはまあシミュレーションRPGの基本に忠実で「イベントシーンを眺める」→「敵部隊と戦う」→「セットアップ(買い物含む)」のくり返しだけで進む。イベントシーンの比重はそうとう軽く、実質戦闘とセットアップだけでゲームが二分されているといって過言ではない。ゲームの半分くらいは買い物にかけているのだ。かまけているのだ。
 買い物。RPGなんかではおおむね高いものさえ買っとけばまず強力なんでOKみたいなところだけど、これはシミュレーションRPGである。いやシミュレーションRPGでも高いものさえ買っとけばOKみたいな場合も多々ありますが、このゲームの場合は別だ。

 たとえば僕などは、主役機(それは『ガンダム』におけるガンダムのようなものだろうか)には最強の武器を装備させたい。具体的にはエルザの機体には今買える最強のショットガンを右手に、最強のマシンガンを右手に、そして両肩にはミサイルランチャーを装備させたい。しかしそうは問屋が卸さないのである。いや、文字通りの意味では問屋は卸すすなわち買えるのだけど、重量オーバーになって装備できないのだ。そりゃまあ、そんなひとり一個小隊みたいな装備は確かにふつうありえないけれど。
 簡単に言って過積載なのである。軽トラにミール宇宙ステーションコアブロックを載せるようなものなのだ。具体的にたとえればすべて分かりやすくなるというものではない。
 エンジン部である「ボディ」を高出力なものに買い替えれば最大積載量は上がるが、それだけやってもまだミサイルランチャーを積むには重量オーバーである。というかそもそも今回のフロントミッションは役割分担が重要で、こういうあれもこれも式の武装は許されないバランスになっているのだ。
 そこで無難なとこで最強のショットガンと最強のマシンガンの2挺持ちでいってみると、これはこれでまだ重い。なにかと思えば腕パーツや脚パーツが重いのだ。HPの高い腕や回避速度の高い脚を買ったら、これが本当の脚を買ってアシが出たなんてことを申しまして。毎度ばかばかしいお笑いにだって誰しも限度というものがあろう(反省)。
 まあそんな感じであれもこれも式で腕パーツと脚パーツを買っても重量オーバーである。そこでHPは少なめでも軽くて命中率の高い腕パーツとか、回避率はひかえめになるけど重量もひかえめな脚パーツとか、ある程度の妥協をしながら調整していく。
 すると今度は重量に余裕ができ、じゃあボディパーツもエンジン出力は弱いけど回避率の高いやつに替えたらどうだとか、そこでターボバックパックを接続して出力を飛躍的に上げたらどうだとか、じゃあやっぱり脚パーツはもっと重いやつに戻してみようとか、大騒ぎである。
 いちいち買いながら調整してたらいくらお金があっても足りないので、しぜんメモ帳に買いたい部品と重量を書き出して合計してあーこれじゃ重すぎるってんで消し、また別の部品を書いては重量合計を計算してあーこれなら別の装備でいけるかもってんでやり直し、試行錯誤の果てに装備が決定されるのだ、このゲームでは。簡単に言えばやりくり名人でなくばならないのだ。かしこい主婦のとっておき節約術が試されるのだ。

 そんなこんなを全キャラ分やってると、買い物にも戦闘と同じくらい時間がかかるって寸法。しかしこれが意外に面白い。
 シミュレーションRPGは、端的に言って効率のゲームである。いかに効率よく敵を撃破するか。いかにこっちの被害を少なく、相手の被害を拡大させるか。これもまた一つのやりくりである。そして買い物もまた、同じように効率とやりくりのゲームなのだ。
 うまく装備のバランスがハマッた時は本当に嬉しいし、現状の品揃えではどうにもならなくて武器を泣く泣くあきらめた時も、新型のエンジンが入荷した時こそ! その時こそは! と次回に希望をつなぐのだ。買い物は買い物でひとつのゲームなのだ。
 で、ひととおり買い物を終えたら、シミュレーション(模擬戦)を1回こなして新装備の具合を試したり。そこで失敗に気付いてまた買いなおしたり。また模擬戦をしたり。こんなことばかりやってるからなかなかストーリーが先に進まないのだ。

 今の進行状況は、ダリルたち底抜け三銃士が謎の村にチュパカブラを追ってやってきたところである。すいません正確に言い直せば、ダリルたちが謎の村にやってきたところです。

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